色鉛筆作品。
タイトルは「終焉のたどり着いた暗い窓」
台所の片隅に貼られていた絵です。
何故か私は、神戸にある松方ホールから見た風景を思い浮かべてしまうのであった。
窓越しにみた風景である。海が見えて、その左にコンクリートの船付場。そして海。
ピアニストの伊藤ルミさんのピアノの音色。
現実的な女だと叱られそうな感想なんですが・・・・。
ある時間をこの絵を見て、再体験しているのです。
他の人はどんな印象を受けるのか想像つきません。
ヒロクニさんの気分が悪いという症状もやっと治まってきて、ホッとしてきている所です。
「もう、死ぬのかなぁ」。
「もう、終わりなんだろうか・・・」。と、擦り寄ってくる姿に幽玄を見い出せる程、
幽鬼な感じでフラフラとして歩いてくる姿は、怖かった。
そして、私の事を「おばあちゃん・・」「おばあちゃん・・・」と言う。また、怖くなった。
しかし、よく話を聞いてみると、幼少の頃におばあちゃんのよく甘えていた記憶のことを言っていたのです。
体調が悪い時は、人にちょっと甘えたくなるのはよくわかる。
だだ、それを全開状態で近寄ってくる姿に怖さを感じたのでした。
眼精疲労はあなどれない。
けっこう辛いもの。
今回は、献身的に接することが初めて出来た私です。
体調を崩すと怒りっぽくなるヒロクニさんに、「ハイ、ハイ」とはいを2回いいつつ、乗り切った初めての看護。
(いつもは、ムカついて途中で逆上する)
今回は、病人にぶち切れずに穏健に過ごすことが出来、なんか達成感を感じています。
病気中、ヒロクニさんがよく話すのは、画家の熊谷守一の事。
熊谷守一の写真集や画集から読み取った、ヒロクニさんの独り言をづっと聞いていました。
これは、なかなか面白く私も聞き入っていました。
しかし、病気の時も絵の話しかしないヒロクニさんには感心する。
また、ヒロク二さんが話す、熊谷守一さんの事をまとめて書きたいと思います。
とても暖かく天気のいい日に撮った我が家の花達です。
これから咲く花ばかり。春が待ちどうしい今日この頃ですね。
5色のプリムラが並んでいます。
冬に咲く花として、気に入ったプリムラを毎年ちょこっと買います。
昨年は、カルーナとプリムラを丸く土植えしましたが、今年は鉢に1つずつ分けました。
右の手前は、魚柳梅。色が気に入っています。
チューリップやヒヤシンス等も芽が出始めていて楽しみにしています。
寒い日が続きます。
そんな中、ちょっと気分が明るくなる色鉛筆作品をご紹介します。
2月は寒い中にも、春を感じる日があります。
2012年作のようですが、昨日見せてもらった作品。
「冬来たりなば、春遠からじ」。春が来たら身体をおもいっきり開放して動きたいものです。
ヒロクニさんから絵のサイズも記入するように、注意を受けました。
34.5cm×26.5cmのサイズと付け加えておきます。
弾けた絵とは、裏腹にヒロクニさんは、食が細くなって体調を崩している。
そして、気分が悪く吐き気に悩まされている。
胃薬もあまり効かず、とりあえず首と肩、腰をマッサージをこまめにしています。
絵の描きすぎで座ったままの姿勢を崩さないヒロクニさんは、肩こりと眼精疲労から
胃までおりてきて気分が悪いにちがいないと判断。
こまめなマッサージしかない!!とマッサージに取り組んでいます。
実は、私もCADオペレーターの仕事をしていた頃、この気分が悪くなる症状に悩まされたことがあるのです。
病院にいって胃薬も処方してもらったが、一時楽になるが、すぐ同じ症状がぶり返し、苦しかった。
一番効くのは、マッサージでした。
兎に角、マッサージ三昧の日々をヒロクニさんに送ってもらっています。
足裏のマッサージは、リラックス効果があるので、それも併用してやっています。
「今日は、絵を描いたらだめです!」とダメだししていますが、「ちょっと・・・」と思って描き始めて、
気分が悪くなったというヒロクニさん。
もう、何回もこの繰り返しなのですが、学習しない。
絵を描く執念ってあるのですね。
何の為に描くのかという疑問すら持ち合わせることもなく、
中学生の頃から芸術家になるという決意のもと、ただただ描く行為を選んだ人であります。
小説家になろうか?と思ったこともあったらしい。
絵を描いてみると、これは面白い!!ダイレクトに表現できると思い、絵を描き始めた。
そして、今に続いているという事です。
この冬は、ヒロクニさんの作品も内証的な作品も多く、今までと違う作風の作品が出来てきています。
完成された作品が少ないので、アップできる日があればと思っている。
ヒロクニさんって、外交的な人のようで、内向的な要素もあり、中間がなく微妙なバランス感覚で生きています。
それでいて中庸の精神を説いたりする人。
仏教に感心を寄せていて、禅寺の和尚さんと仏教の話をしている会話を横から聞いていましたが、
高度な内容なので、私は入っていけません。
私が読む仏教の本は簡単な本で、「暮らしの仏教用語」というもの
たとえば「観念」という言葉
観念という言葉は、諦めるという意味や、何かしら主観的内容という意味で使われます。
しかし、もともとは仏教用語で、仏や真理を想い念ずることを意味しています。
日頃、諦めるという意味で使われることも、仏教的な傍観に由来するものと思われます。
こういうのを読んで、観念の意味って深いのね・・。と思うレベル。
仏教は、我欲を諌めたりしている所もあることを考えあわせ、そうなんだ!と思ったりしています。
ヒロクニさんに影響を受けて、明泉寺さんの和尚さんが書いた「仏教聖典 釈尊のご生涯とみ教え」を
読んでみたりしています。
仏教の教えは実行することにあり、いくら口でいい話をできても実行できてなければ意味がないそうです。
お釈迦様ははっきり言い切っているのです。
私などは、してはいけないことを羅列してくれて、それを守るように指南していただければ・・と思う単純さ。
知性的に仏教を語れる2人を羨望のまなざしで見ています。
なんか、話が脱線しました。
昨年、プリムラとカルーナを植えた場所に、ブラックとブルーのパンジーを植えました。
円形にしている場所なので、春になるとこんもりとした姿になるのでは?と楽しみにしています。
「会議の前」と題された作品。
シュールな作品です。
ヒロクニさんは「渦」の夢をよく見る人で、渦の夢の中で、何度も見る夢があります。
駄菓子屋に行く夢で、その駄菓子屋はある種の暗さと不気味さでつつまれており、
この菓子にしようか、どうしようかと迷っている。
その時は、必ず無人で人気がなく自分ひとりだそうです。
迷っていると不気味な老婆が現れ、急に握りこぶしにした手を差し出されるそう。
その老婆が手を広げると「渦」があり、その「渦」を見た瞬間、「また、これだ・・・」と驚く。
初めて見た「渦」なのに、夢の中で、「また、これだ・・・」と思うという事に驚くそうです。
この夢をよく見るらしく、何故この夢をよく見るのか不思議に思っています。
「渦」というのは、ユング風に言えば「母性の象徴」という説があります。
ユングの言うことはおいておいて、古代の土器などの文様に「渦」というのは必ずあります。
そんな事を考えて、絵をみてみるのはどうでしょうか?
古代の土器の文様を紹介してみたいと思います。
アムール土器(中国)
古代ケルト
縄文土器(日本)
縄文土器(日本:新潟県長岡市)
ちょっとこちらは土偶。縄文時代後半になると作られた「ミミズク型土偶」だそうです。
プリミティブであり、「俺は、シュールレアリスト」だと宣言するヒロクニさん。
けっこう言えているのではないでしょうか?
絵画探求から、いろんな事に興味を広げていくのって楽しいなぁ~と思います。
20年ぐらい前、美術家の間で、縄文時代がはやっていたのを思いだします。
この縄文時代を正式に歴史に刻んだのは「岡本太郎氏」なのです。
フランスで民俗学を学んでいた「岡本太郎氏」なのです。
冬で寒い日が続きますが、種から植えたビオラが咲き始めました。
このビオラは売っていないので、種から頑張ってみた。
20粒の種でしたが、3株しか育っていません。
ブッチの入り方がユニークで、野性味の強いビオラです。白い所に紫の斑点があるのがなんともいえない!!」
種は、イギリスのビオラです。F1ではないので、種を採集して来年も蒔こう!!と鼻息あらく思っています。
庭には、まだ花は少ないですが、チューリップやヒヤシンス、水仙の芽が出てきていて、春待ち状態です。
微笑む人。
寒い日が続きます。
そんな時に出来上がった一枚の絵。
ちょっと、気持ちが安らぐ絵であります。
私は趣味程度で絵を描きますが、「どうしてこういう表現が出来るのか?」と、
いつも驚く。顔に見えるとは言え、まるで顔の表現とは程遠いフォルム(形)で
構成されている。植物的な感じもするこの人物は、優しそうでもあります。
その間、我が家では、病院へヒロク二さんが行く、行かないの闘争がありまして、泥沼状態。
書類の関係上から、来診して欲しいと、福祉事務所から電話がかかってきていて、
すぐにでも診察を受けるようにと言われているにもかかわらず、朝になったら「今日はダメだ」と、
動かない。それが、10回も続く。その間、福祉事務所の方も「こちらも困っている・・・」と何度も電話が。
そりゃ、困っていると思うわ。
そんなことをよそに「君が悪い。妻たるものは、着替えを用意したり万全をきするものだ!そして、私が悪いという。」
とか言う。
私は「カメムシのように、怒りの悪臭を放つ虫のごとく急に小さな丸虫になった気がした。」
この丸虫状態は続き、食事もとらず怒りに没頭していた。
異変に気づいたヒロクニさんは、腫れ物にさわるような態度で私に話しかける。
「知らね!!」「話かけんな!」とい言い、
布団にすぐ入る。
3日ほどしたら「俺を困らせないでくれよ。」という。
私や役所の人を困らせているという意識はまったくない。
「病院に一度行けばいいのに、私や役所の人が困ってる意識はないのか?」と言うと、
アトリエに無言でササッと移動していく姿は、ゴキブリのようにも思え、また私は丸虫になったのでした。
そうは思ったものの、日夜食事を共にしないわけにはいかず、
食事しながら、「これ美味しい」とか、「今日のこれはいいねぇ」という会話まで否定しないので、
なんとなく仲直りしてしまうのです。
我が家は、貧乏で外食はほとんどしないので、ある意味お金がないゆえ、共同生活の決まりが多く
それが離婚につながらないのかもしれない。
そんな日の夕食です。
スズキの白身魚が2切れ、値引きで280円だったので購入。
バターソテーにしました。パセリを刻んだものをふりかけています。味は塩、胡椒。
あとは、菜の花の白和え。
じゃがいものポタージュ。(牛乳を入れ忘れていたポタージュ)
鳥のひき肉を甘辛く炒ったものとグリンピースの入った厚焼き玉子(昨日の残り)
こいもとイカの煮物(昨日の残り)
ご飯を食べながら、仲直りしていく2人です。