武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

いたずら者(作品紹介718)と 冬の意気込み

2023-01-25 19:23:12 | Weblog

エネルギー全開という感じです。

この絵は、最近出来上がったもので、アトリエに通された針金にクリップで吊るされていました。

B5サイズの小さめの絵になります。

扇風機が回っているかのような動きをしていて、風を送り込んでくるかの如く。

だけど、風じゃない。

仁王立ちしていて、原始的なエネルギーを放っているようだ。

ひょうたん型の顔は、最近よく描く形で、この絵意外にもよく描いている。

たぶん単純に顔ではないのだろうけど、顔に見えるわたしにはインパクトが大きい。

「これ、いいでしょ。」とアトリエで言われる。

いいも悪いもを超えてしまっていて、答えに躊躇した。

喜び過ぎている犬がしっぽを千切れんばかりに振っているような気もするし、

ピピ(猫)が、布団の上で暴れてはしゃぎすぎているような感じでもあるし、

(羽根布団の上で、暴れるの好きな猫なのです。)

武内が大ふざけしている時のような・・・。

「独特なエネルギーを感じる。」とだけ言った。

そう言うと、「こっちの絵はどう?」と聞く。

「それ、可愛い。」と言うと、

「可愛いって・・・、そんなのじゃなくて。」と言われ、

「えっ、可愛いじゃいけないの?可愛いじゃん。」と言うと、アトリエから開放してくれました。

その後、布団のシーツを洗おうと思いシーツを剥がすと、

シーツの中で羽根が出ていて、部屋中に羽根が舞い上がった。

布団の布が破れていて、それもあちこちに破れが出来ているのだ。

布団を繕いながら、この絵をもう一度見ました。

ピーちゃんも武内も似たような者か?

きっと、この人物は、命ある生き物で、いたずら者なんだと思います。

やはりこの絵は、武内にしか描けないのではないだろうか。

 

 

寒波が押し寄せ、雪の降らない関西でも雪が積もった。

植木鉢に積もった雪は、丸い円をを描き、地面は白かった。

雪がちらつく中、「煙草とコーラを買ってきて。」と言われ、買ってきたところです。

雪が降る前、TVで予報を見て、「なんとか乗り越えないといかん!」と急に大声を出し、

興奮気味なヒロクニさんでした。

そして、雪が降り始めると“冬眠”に。

熊の生活に近い。

(それより、簡単に寝れるのに感心します。)

絵の方は、1つの山を越えたらしく、ちょっと休息を入れると言われていましたので、

ちょうど良い感じで、冬眠状態であろう。

 

ヒロクニさんが冬の思い出を話す時があります。

京都で開催していた小牧源太郎氏の個展へ、一人で見に行った話。

もう1つは、冬の寒い日、エリック・ロメールの映画を一人で見に行った話。

若い時、多分40代後半のことだと思われる。

この頃、悶々とした日々を送っていたらしく、制作で家にこもっていたという。

憂さを晴らすために、夜は街のバーで騒いでみたりするが、一向に埒が明かない。

そこで自分に問いかけたそう。

「お前、この前見つけた“小牧源太郎”の個展でも行ってみないか。」と。

そして、京都にある宮脇ギャラリーに行く。

すると、本人が会場に居られたらしく、

「小牧さん、本人が居るとは思わなくてねぇ。何か念仏を唱えられていたよ。

 小牧さんは、仏教に関心があった人だから。」と話す。

わたしは、小牧源太郎という名前を始めて聞き、知識不足で、

絵を思い浮かべることが出来なかったので、その重要性を理解できなかったのですが、

小牧氏の1906年~89年という年代から、かなり高齢だったのだということを知り、

前期シュールレアリズムからのシュールレアリストの画家であることを知って、

武内にとっては、大きなことだったのだと分りました。

以下絵を紹介

独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索  小牧源太郎 生きとし生けるもの | 市立伊丹ミュージアム | 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ  ヤフオク! -小牧源太郎の中古品・新品・未使用品一覧

左から、

アムレットNO.3 油彩

エスピリト・サントNO.3 油彩

民族系譜学 版画

この小牧源太郎の絵を見たら、納得します。

やはり、自分の絵を描こうと思ったのだと思う。

 

エリック・ロメールの映画は、「やたら、女が泣くんだよねぇ。」と言い出したかと思うと、

この冬の日も、「お前、一人で行ってみろよ。と、思ってねぇ。」と言う。

続けて言うには、

「冬の晴れた日でねぇ。行ったことがない吹田って言うところへ行ってねぇ。」

「ロメールを見ようじゃないかと。」

「なんか、そう思うことがキラキラしていて。」と。

この言い方が乙女チックでした。

わたしは、ロメールの映画には確かにキラキラしたところがあると思い、

「映画の中で、光りを感じるものね。」と相槌を打った。

こういう映画を冬に独りで見に行くというヒロクニさんから、淋しさを感じました。

やたら泣く女がということから、「緑の光線」というタイトルの映画でしょう。

バカンスに行くのに、誘われない少女がとても悲しくなる映画があるのです。

フランスでバカンスに行けないというのは、大事だそうで、

始めのほうでは、悲しんでいるのが分らなくて、よくこんなことで泣くなぁ~と思っていました。

後から、だんだん事情が分ってくるのですがね。

ロメールの映画は、深刻ではないのですが、

ちょっとした気持ち、嬉しさや悲しさの幅の揺れ動きが、

葉の隙間からの光線や、空とともに、人の表情が映るのです。

女の子の洋服、小物もフランスらしくて、それもまたいいのです。

上澄みの気持ちの揺れ、エッセンスの宝庫という感じ。

頑張って見に行ったというヒロクニさん。

この頃は、冬眠はしていなかったようです。

 

ヒロクニさんは、自問自答の時は、

「お前、○○してみろ!」と言うことが多いみたいです。

そういえば、茶碗洗いの手伝いも、「お前、茶碗洗いぐらいしてもいいだろう。」って言ってました。

決意固く、それから33年経ってきています。

 

今日は寒い一日になりました。

我家の庭にも、雪が積もりました。

↑あまり積もらない地域なのですが、こんなに。

 

無事に皆様過ごされますように。

今日もお読み下さった方、ありがとうございます。

春が、今から待ちどうしくなります。

 

 

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なぞなぞ(色鉛筆作品717)と 冬は機嫌が悪いヒロクニさん

2023-01-18 17:05:54 | Weblog

いつも思うのですが、絵を見るたびに

なぞなぞをしかけられているような気持ちになります。

天照大御神が隠れた、天の岩戸の入り口のように思えるけれど、

「古事記」にまったく興味の無い武内なので、そのイメージではない。

置物が置いてあるように感じることから、抽象的な静物画かもしれない。

まさしく、なぞなぞだ。

いやいや、髭の生えたおじさまがいるようにも。

この絵に静けさがあることから、くぐもった低い声がよく聞こえ、

「わたしはな~んだ。」と問い、わたしを困らせてきます。

小さい声で、「武内ヒロクニじゃないの?」と答える。

いつも異次元を漂い、異空間にいる人だから。

この答え、合っているのでしょうかねぇ。

 

 

冬になると機嫌が悪いヒロクニさん。

「やれやれ。」とよく言い、「よっこいしょ。」が口癖に。

「今日は疲れた。」もよく言う。

以前、「もっと規則正しい生活をしようよ。」と言ったら、「嫌だ。」と言われた。

「不規則な生活がしたいの?」と聞くと、「そうだ。」と。

この冬は、不規則な生活が全開で、夜遅くまで制作をしていたり、

昼間は、途切れ途切れに睡眠と制作を。

この起きたり寝たりを自在にしていて、「これが、彼のいう不規則な生活なんだ。」と納得しています。

ヒロクニさんが言うには、「訓練して出来るようになった。」ということらしい。

すぐ寝れるなんて羨ましい限り。

(わたしは寝付くのに時間がかかるほう)

 

冬は機嫌が悪いヒロクニさんは、

「俺が寺に描いた壁画のことを『なぁ~んだ!』って言ったやつがいて、

 頭がパーだから、そんなことしか言えない自分のことを鑑みろってんだ。」と、目の前で言う。

わたしは、目をパチクリ。

それ、わたしが言った事だから。

神戸にあった明泉寺の壁画をデートの時に、見に行こうと言われて行ったのです。

若くて怖いもの知らずで、壁画を見るなり大きな声で、「なぁ~んだ!」って笑ったのでした。

絵を見たとたん、大らかな気持ちになって、笑ったのです。

「お前、よくも、なぁ~んだって言えるな。俺がどんな思いをして描いたのか・・・。それをよくも。」と憤慨していた。

「そういう意味じゃない。悪いとか全然思ってないって。」と言ったが、伝わってなかったようだ。

気を取り直し、「それ言ったのわたしだって。」と言ったが、怒っていて言葉に耳をかさない。

何度も、「それ、わたしだって。」「悪かったわね。」と言うが、

「それ、君じゃない。」と言い張って、耳をかさない。

意外と傷ついていたのか・・・、と思うとなんだか可笑しい。

しかし、34年前の事を急に思い出して言い出すのは何故?

だけど、わたしもぬけぬけと思いきった事を言ったものだと思い出し笑い。

(ヒロクニさんが、傷ついていたなんて!!)

 

冬は機嫌が悪いヒロクニさんは、

とても細かくなる。

今年は、わたしも湯たんぽを購入して、日中は膝にのせたり、足元に置いたりしています。

ヒロクニさんも湯たんぽを使用しているのであるが、

わたしの湯たんぽの具合まで気にしてくれているようで、「湯たんぽは大丈夫?」とよく聞かれる。

省エネということで、ガスストーブの上にのせて暖めます。

その湯たんぽの温度を気にしてくれていて、「もういいのじゃないか?」と。

ストーブの上にのっていないと、「冷えてしまっているのじゃない?」と。

言う通りにしていないと、何度も声をかけてくれる。

正直言って、わたしは湯が煮えたぎっていてもかまわないぐらい気を使っていない。

何かをしている時は、ずーと集中していたい派。

何かをしている時は、あまり動きたくない。

「絵も細かいけど、やっぱり何事につけても細かいのだ。」と思い、わたしは机に撃沈する。

夏は、戸を開けたり締めたりと風の入る量に気配りしていて、

しょっちゅう「風は、これぐらいでいいかな?」と聞かれる。

正直いって、何かをしている時は、「風が吹こうが吹かまいが、どうでもいい。」

何度も「風の量は、わたしどうでもいいから、好きにして。聞かなくていいよ。」という始末。

温度の体感に関して、敏感なようです。

 

冬は機嫌が悪いヒロクニさんは、

洗剤が切れそうになると、不安になる。

「洗剤を買ってきて。」としょっちゅう頼まれます。

特に、“ホーミング”が切れると、「やっぱりコレがないと。」と言い、「コレは重要なんよ。」と。

「いつもシンクがきれいなのはコレでやってるからねぇ。」と言いながら、

勝ち誇ったようにわたしを見る。

“洗い物は俺がしているから、君はよく知らないでしょ”という顔で。

「冬は、油ものは大変なんよ。」とも言い、見ていると、

洗い桶の中に、中性洗剤を逆さまにして、チューと流し入れているのを目撃した。

この使い方だと、早く洗剤が減るわけだ。

洗剤が気になるのが、分った瞬間でした。

あと、「絵かきにとっては、筆とか手とかを洗うところに茶碗があってはダメなんだ。」とも言われてます。

これは、重要でしょう。

 

冬になると機嫌が悪いヒロクニさんは、

アトリエと台所を往復する時、窓際にいるピピを見ます。

音に敏感なピピは、止まった足音に気づき目を上げる。

2人は見つめ合っている。

その様子に気が付いたわたしは、ピピの顔とヒロクニさんの顔を見ます。

ピピは目を丸くしてヒロクニさんを見ていて、ヒロクニさんは愛おしそうに目を細めて微笑んでいます。

冬の機嫌が悪い顔を見慣れている私は、とてもホッとして、

「こういう顔もするんだ。」と思い、気持ちが和みます。

ヒロクニさんは、わたしが見ているのに気づかず、アトリエへ。

なんか微笑ましい。

 

 

そんな冬に作ったケーキと食卓の花。

↑花はまだまだ。

自生した万両の枝と小粒のゆずの実。

それにビオラを合わせて。

南天の実にしようかと思っていましたが、万両の木が50センチぐらいになっていて、

枝を切っても大丈夫なぐらい大きくなっていました。

ただ、実は下向き、葉の下になっていますので、2本の枝は輪ゴムで縛りました。

それをコップに寝かせ気味にしながら置きました。

その間に、ビオラを入れます。

 

ケーキは、実はチョコレート生地のスポンジケーキを焼くつもりだったのが、

チョコレートとバターと小麦を入れて混ぜてある最中に、来客があり慌てたのです。

早くしないと冬は、チョコレートが固まってきますから急ぎました。

後から入れる卵の個数を間違え、3個(白身は泡立てる)入れるはずが、

老眼でちゃんと見えていなかったらしく1個に。

焼き型に流し終えると、量が少しなんです。

ここから気持ちが動揺すること1分。

焼き型から出してやり直すとベタベタになったものを洗ったり、混ぜなおすことを想像した。

やぶれかぶれな気分で、そのままオーブンに。

ねっとりしたヌガーみたいなケーキクッキーに。

ヒロクニさんは、「今日のケーキいい。」と。

これをまた作ってといわれると、焼きが足りなくて表面がブツブツ煮立っていた時の光景を・・・。

焦げ茶色のチョコレートの表面に丸いものがプクプク浮いて、

悪魔の作るお菓子みたいな感じで、邪悪な姿でした。

心には寒い風がヒューヒューと吹いていました。

でも、「今日のケーキいいのです。」

味は、いい。

ナイフで切るとき、みしみし音を立てて切られます。

 

↑花をもう少しアップで。

なんでもありな感じです。

 

 

今日は、冬は、機嫌の悪いヒロクニさんシリーズになりました。

人のことばかり書いて、わたしはどうなのよ!という思いも頭に浮かびますが・・・。

わたしは、もう少しモノを片付けるようにしないと。

自分の部屋って、下宿みたいな感じで女の部屋とは思えないありさま。

60歳の女が、下宿の部屋。

笑えない。

今日も、いつもの2人という内容ですが、最後までお読み頂いた方ありがとうございます。

今飼っているピピですが、けっこうよく鳴き賑やかな猫なんです。

ヒロクニさんの笑みをさそうピピを見て、やっぱり猫っていいな、と思います。

 

 

 

 

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地下鉄と運転士(色鉛筆作品716)と 現代美術の元祖の画家

2023-01-11 17:54:29 | Weblog

これは、地下鉄の絵。

正面に兜をかぶったような人は、「運転士」です。

この形が単体で、ドンとアップで描かれた絵のタイトルが「運転士」でした。

ブルーとピンクの色合いで、皆夕焼けに包まれているような印象を受けます。

顔の中央の鼻筋の部分は、ビルで旗のようにパンツがたなびいていたり、

その上は、コップに歯ブラシ。

後ろには、待機する電車。

扇形の上には、走る電車と可愛い家。

虹のような部分は区切られていて、珈琲カップ、振られている手、建物、花、ドクロ、星。

よく見るとファンタジック。

わたしは、かわいい家のありように心が惹かれます。

この家に「安心」を感じるのです。

この絵は、ハチャメチャなのですが、どことなく懐かしい気持ちを喚起され、

子供の頃感じていた安心感ってあったなぁと思い出したりしています。

98と書きこまれているので、25年前の作品。

作品を見ると月日を感じますが、あれからそんなに時間が経ったのか?と。

体感では、ちょっと前ぐらいの感覚なのです。

「光陰矢の如し」とは、こういうことかと痛感します。

 

 

夕食を終え、すぐさまアトリエに行き制作に励むヒロクニさん。

わたしはりんごを食べたくなり、デザートとして用意し、ヒロクニさんを呼ぶ。

『ぐんま名月』というりんごが好きになり、

夜デザートとして食べるのが我家では流行っています。

(ヒロクニさんは、夜に果物を食べるとホッとするらしい。)

そのりんごが売って無くて、代替として、王淋やシナノゴールドに変わると、がっくりくるぐらい。

甘みが強く、酸味が少なく、さっぱりしている。

それが、わたしの好きな味のようです。

そうやって、一緒に食べていると、ヒロクニさんから“美術談義”を聞くことになった。

「エンリコ・バイって、知ってる?」と言われ、

「知らない。」と言うと、

「君は何もしっちゃいないね。」とくる。

心の中で「知らないものは、知らないよね。しょうがないよね。

自分だって料理やいろんな手続きのことは知らないくせに。

知ってる知ってないで軽蔑されるいわれはないよね~。」と思い、

「知らないことは罪じゃない。今から知ればいい。」と言いながら、パソコンを取り出した。

画像を見ながら、ほんとに知らない絵で画家でした。

1924年~2003年。イタリア人。シュールレアリズムの後のダダイズムの人だ。

絵を見るとアバンギャルド。

Enrico Baj - Group 2 Gallery←ここをクリックすると元のページに行きます。

この絵を指差し、「この絵も素晴らしいと思わない?」と。

「とてもいい。」と同調するわたし。

COLLAGE by Enrico Baj on artnet←ここをクリックすると元のページに行きます。

次にこんなスタイルの絵を見た時に、

「この四角い人の顔、あなたの絵に通じるというか、同じように見えるんですけど。」とわたし。

「同質のものだ。わたしもエンリコ・バイも。」と、横目でちらりとわたしの顔を見ているのがわかる。

「この流れが、ジャン・デュビュッフェにつながっているからねぇ。」

「そんなことも知らないで、デュビュッフェを見ていたの。」

“そんなことも知らないで”というくだりが憎らしい。

「今、知ったからいいのじゃない。

 知らないことを知ってるっていう方が悪いと思わない?」と開き直る。

Omo, 1966 - Enrico Baj - WikiArt.org←ここをクリックすると元のページに行きます。

エンリコ・バイの作品でこのような四角い顔が見られるのは、

紐を使ったコラージュ作品に多く見られます。

知らなかった画家とはいえ、1950年~1960年のこれらの作品は、どんな評価だったのかと思いました。

「じゃあ、次は“カレル・アペル”を引いてみて。」と。

こちらの画家の絵の方が、見たことがあると思いながら見ました。

日本には、エンリコ・バイよりも、

同時期に同じような資質のオランダの画家“カレル・アペル”の方が紹介されていたのか?。

そう思いながら、見ていました。

カレル・アペル←ここをクリックすると元のページに行きます。

上が、カレル・アペルの作品。(小さい画像しかなかった)

これも、ヒロクニさんに通じるところがあると思い見ていました。

時々、ヒロクニさんの絵を見て、「この絵で大丈夫なのか?」という疑問が起こる時があります。

これらの絵を見て、大丈夫と思いました。

その横で、「俺は、アバンギャルドが好きなんよ。」と一言。

エンリコ・バイは、確かにアバンギャルドの推奨者でした。

ヒロクニさんは、「彼らは、インテリなの。紳士なの。その辺をよく知らないと。」

もう、そうですか~、そうですか~しか言えないわたしであります。

著書「薔薇の名前」で有名なウンベルト・エーコーは、彼の協力者だったようです。

きっとインテリ仲間なんでしょう。

残念ながら、この本が流行った時、手に取りませんでした。

難しそうなイメージがしたのです。

ENRICO BAJ - BIOGRAPHY and ARTWORKS - CASATI Arte Contemporanea←ここをクリックすると元のページに行きます。

↑こちらが、エンリコ・バイの近影

 

オランダの画家カレル・アペルが死去した。 | 世界メディア・ニュースとモバイル・マネー←ここをクリックすると元のページに行きます。

↑こちらが、カレル・アペルの近影

お顔を拝見すると、円熟した画家の顔をしておられます。

主人の絵は、日本でなく外国に持っていってみるとどういう反応になるのかに興味を覚えました。

ほんと、エンリコ・バイは、カタカナで検索してもあまり出てこなくて、

“enrico baj”で検索すると多く出てきます。

日本では、興味がない画家になっています。

りんごを食べながら、意外な美術講座を受けることになりました。

知らないことは、知らないと言い、知ればいいと思います。

何かと軽蔑の眼差しを向けようとするヒロクニさんって、嫌な感じ。

小さくなって恥じ入るよりも、好奇心を持って知ればいい。

わたしは、ヒロクニさんと違って道に迷ったら、すかさず人に聞きます。

そうやって目的地に着くことが多い。

そのわたしに付いてきて、ヒロクニさんは目的地に着くことが、あるのよ~ん。

このコンビネーション、素晴らしいでしょ。

 

いつも日常の一コマの写真をのせるのですが、カメラが部屋で見つかりません。

掃除をしろってことなのか?

そう思いながら、今この文章を書いています。

見つかったら、アップする次第。

最近、よく探し物をします。

これ、老化現象ですよね。

今日は、現代美術の元祖、創始者の画家の美術談義でした。

ヒロクニさんを通しての画家の話し。

ヒロクニさんは、外では隠れインテリの称号を得ていますが、妻からすると、

「この人、頭がおかしいのじゃない。」と思われがち。

今日は、その汚名を返上することが出来ただろうか?

いろんな絵があるのだと、思って頂けたら幸いです。

今日もお読み頂きありがとうございます。

 

 

 

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2023年、明けましておめでとうございます。(作品紹介715)と 変化の年

2023-01-04 17:23:14 | Weblog

この絵は、スキャンしたところ、蛍光色の色鉛筆を使用していたため、

色の部分が白くなってしまい、写真を撮ってなんとか写しました。

写真だと色が出るのが不思議です。

その為、絵が暗く写ってしまいました。

光を多く入れて撮ると、やはり白くなるので画像がいまいちなで申し訳ない。

この絵は、お正月のめでたい雰囲気にいいかもしれないと思い、取り上げました。

鉛筆のグレートーンがフワフワした空間を作っています。

黒は思いっきり筆圧強く、塗り重ねられ黒光りしていて、光を反射しています。

中央の5弁の花?人型?は、はじけるエネルギーか。

周りの空間がそれを受け止めているように感じます。

「元気が一番大事って、和尚にいわれてね。」と時々言う、ヒロクニさん言葉を思い出しました。

 

明けましておめでとうございます。

皇紀二六八三年

令和五年(西暦二〇二三年) 

今年もよろしくお願い致します。

 

今年は、変化の年になるのでは?

それは、わたしの個人的なことなのですがね。

そんなふうに思っています。

お正月は、31日に煮しめ、棒タラの甘辛煮、煮豚を作り、鰊そばを2人で食べました。

夜は、オードブルを加えて、少しお酒を。

カウントダウンは、テレビの行く年くる年を付けて、

日にちが変わったら、恒例の我家での「今年もよろしくお願いします。」をする。

そう言うと、「俺もよろしくだ。」と握手を求めるヒロクニさん。

わたし達が台所ににいると、必ず「いいものがもらえるかも?」と思う猫のピピもそばにいる。

そのピピをそばに引き寄せ、前足を持ち、

「ピーちゃんもおめでとうこざいます。をしなくっちゃ。」と言われ、

座布団に座らせられ、手の先をそろえられてお辞儀をさせられます。

「はい、今年もよろしくお願いしますって。」と言われ、

頭を下げさせられます。

(お願いしま~すの声は、わたしだ。)

3人でこうやると、おかしくて気に入っています。

ヒロクニさんも「そうか。」と言って、ピピの頭を人差し指でなでます。

その気に成りやすいヒロクニさんって、いい。

元旦から、制作に励むヒロクニさん。

この姿も健在でなにより。

ところが、いきなり烈火の如く怒りながら、ドスドスと足音をたて、

顔を真っ赤にして、「寒いちゅうのは許せん!」とのたまう。

正月そうそうこれか・・・、と思う憂鬱さ。

そうやね、こういう時こそ“瞑想”しよう!とひらめき、瞑想三昧の正月になったのです。

料理もしてあるし、けっこう集中してすることが出来て、

時折、用事で動かないといけないので中止するのですが、

それが終わると、また続きを。

こうやって、継続することが出来るのだというのがわかり、収穫でした。

いつもと違うお正月になりました。

ヒロクニさんをいつもはなだめたり、こうしたらと声かけるのですが、

わたしのあずかり知らぬところで怒ってらっしゃるので、

怒りを出し切ったらいいのよと、自分の世界にいた正月でした。

ヒロクニさんと一緒にいる間に世話焼きになったり、

人の間に入ってうまくいくよう心を砕くことが多かったりして、

外交的な人になっていたのだけど、元々の内向感覚タイプな要素が復活してきた。

こういうタイプは、自分の世界に安住するのよ。

やっぱり変化が訪れる予感がする。

あとの変化は、今年は引越しをすること。

荷物が多いので、考えると目眩がしそうなのですが、それが予定に入っています。

いらない物を捨てておかなくてはいけない。

生活に関係ない物が大量にある家なのでどうなるのだろうと思ったり。

大きな変化が訪れると思っています。

 

瞑想していても、食べないといけません。

そんな時に作った雑煮。

↑ヒロクニさんの好みに合わせての雑煮。

肉うどんみたいな感じの雑煮。

海老の餅と普通の餅で、紅白。

大根と人参は別茹でしています。

今年から、餅を汁に入れて煮込むのは、やめたのです。

時々、失敗したら餅が溶けてしまって無くなってしまうことがあり、この方式に変えました。

 

↑どすこい風に佇むピピ。

湯たんぽのチャプチャプいう水の音が怖いらしく、湯たんぽに寄ってきません。

台所の水周り周辺にいるわたしを見ています。

女の子なんですが、雄猫みたいな顔する時があるのです。

凄い怖がりなのですが、この顔を見ていると強そうに思えます。

 

 

私達には変化ある年になりそうです。

2023年は、占星術的には風の時代に入り、23年にその変化の兆候が少し見られ、

2026年には、もっと変化がはっきりしてくるそうです。

物の時代から、目に見えない精神的なものに価値が置かれていく時代だそう。

精神的なものに価値が置かれるとしたら、

わたし達にはいい時代ではないか?と思っているのですがね。

価値観に変化が起こる時代だそう。

ヒロクニさんの絵にも変化があるのかもしれません。

そんな変化の年と自分の変化を重ねて感じていました。

改めて、今年もよろしくお願い致します。

お読み頂いた方、ありがとうございます。

 

 

 

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