街の絵ですね。
本人には聞いていないけれど、使用されている色鉛筆は「リラ社」の太巻きの色鉛筆が多く使われていると思います。長年一緒にいると、分かるんです!!
ヒロクニさんは、徳之島生まれなせいか、冬は冬眠します。島民だから、冬眠するなんて、しゃれでしか通用しないですよね。亜熱帯の気候の人が、冬になると全ての人が「クマ」になるなんてことはありません。
冬に入ってから、外出したのは二回。煙草を一度買いに行ったのと、所用で出かけただけ。
わたしは、1日一回外に出ています。植えてある花達のチェックや、買い物、あみぐるみの納品、パーツなどの小物の買い物、使い走りなどで外に出ます。使い走りのついでに、どこかで脱線して、お友達の主婦と話をして、遅くなると、不愉快な顔されたりと・・・。最近は、歴史の勉強もしているので、読書や、ネットでお勉強しています。そうすると、無視されていると思うのか、「非難の目」でわたしをジーと見つめている姿を確認します。
飼っている猫達も、かまって欲しい「光線の目」と「気が付いて欲しい鳴き声」があり、何故かわたしに「して欲しい」ことが多いよう・・・・。ヒロクニさんも猫と似ているなぁ~と思わず思った。
ヒロクニさんは、外にでないかわり、毎日制作で、昨日は「気分が悪い」と言うので、「もう、はやく寝なさいよ!」「疲れているのだから、寝るしかないでしょ!」と言ったら、本当に早く寝てしまいましたが、朝になったら復帰していた。75才のわりに、若者みたいなお爺さんです。なんか、怖い・・・・。
小人図鑑というものが小学生に流行っていて、「たけのこびと」のあみぐるみを頼まれて、作ったりもして、気ぜわしい毎日です。
鈴木創士さんからのLIVE通知をメールして頂いて、「ウン。行こう」だったのが、直前でダウン。
サホリと街も歩けるし、梅田、東難波と、ニコニコだったけれど、身体の奴が「イヤ」だと云うのでOUT!
You tube 見て、
NISE(KEY)もヘッドでOK。
そして、この一枚つくりました。
創士さんにデビット・チュードアのことをハナシたり、
彼とのBANBI時代を通じての交友はいつまでも楽しい。
互いに気をつけて健康に。
この画像よりインスピレーションを受けて、上記こ絵が描かれています。
さすが、BOXヒコーキ堂というロック喫茶を経営していたヒロクニさんだと、感心の眼差しの妻です。
すっごくウキウキして、血が騒ぐという感じが、伝わってくるのでした。
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冬の楽しみとして、ヒロクニさんとわたしの間で流行っているのは、トリフォーの映画を観るコト。
つい最近は、上記の映画を観た。
街行く人と地下鉄の入り口から、拳銃を持った男が出てくる。男は途中小走りになり、街行く人の中のある男を撃つ。そのあと、「カット!!」という大声が・・・・。そこで、わたしは、映画の撮影現場だという事に気がつく。映画の撮影と同時進行で、映画撮影に関係する、それぞれ人物達の思いや人生が、錯誤する。悩みというもの、または勇気、愛、恋、心の成長等、生きている間に遭遇する人生の出来事や思いが、映画撮影の現場を通して、監督、俳優、女優、スタッフが教えてくれるのです。
全然教訓的なものはない。クスクス笑いながら疑似体験できるのだ。
猫が、ドアの外に出した朝食の残りを食べに行くシーンなど、傑作だった。お腹を空かした猫を用意しておいて、その残り物の所に猫が行って、ミルクを飲むというシーンを撮ろうとしていたのだが、その猫は人が気になってすぐ戻ってきてしまい、撮影がうまくいかない。しょうがないから、その辺の猫を捕まえて、使ったところ、一目散にミルクのところへ行き撮影がうまくいく。
こんな感じで、人達の織り成す物語が進むのだから、面白い。
ヒロクニさんも「トリフォーっていいね」。「こんなに面白かったかなぁ?」と観終わったあといいます。
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この映画は、20代の頃見たときは、何がなんだか正直分からなかった。
それを、現在見ると、凄く楽しかったのです。
これって、大人の青春映画なんですね。1人の女性を親友2人が愛してしまう物語ともいえるのですが、テーマは友情なのでは?と考察する愉しみがあるのです。その女性役は、ジャンヌ・モロー。いかにもフランス映画です。この映画が、楽しめるようになったのは年を撮ったというか、知らない間に大人になっていたということ。歳を取るのもまんざら悪くありません。
フランス映画というのは、スルメのように噛めば噛むほど味が出てくる作品ってありますね。
ヒロクニさんもシーン毎に「素晴らしい」ってため息をついていました。
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ヒロクニさんは、この映画を観る前、「この映画は、好きじゃない」とばかり言っていたのです。
嫌々一緒に観た。しかし、映画が終わる頃、感動で出来上がっているヒロクニさんなのだ。凄く感情移入していたのか「あの母親すかんねぇ~」「だけど、あの女優も役が合ってたねぇ~」「少年ってねぇ~、こうなんだよな」「最後のシーンに海が出てこなくっちゃ!」
少年院から逃げ出した少年は、捕まらず、海へ出てきてしまった。そこで、映画が終わる。
「少年の世界と少女の世界は、同じではない」という事を痛感しました。
だから、美しいものがあると思うのですが、いかがなものか?
最近よく耳にする「男女共同参画」なるものがあるが、あれって揚げ足取りな感じがするのです。単純に男女共協力しあうということで、いいのではないか?とよく思います。「協力するとは?」どういう事かという根本を考えて欲しい。単純にいうと、我欲を捨て、お互いに歩みよるという事だと思うのですが、これはいかがなものかしら?
わたしは、「フェミニズムは人を幸福にしない」という考えに行き着いた50女です。人生後半、トリフォーの映画が楽しくてしょうがない!!
「オレの恋人」と絵の中に描いてあります
「絵」自体が謎!!
2月に入り、暖かい日があると思えば、急に寒くなったり、雪が積もったりと、寒さを感じます。しかし、春を待つ。花が咲き始めたりして、本格的な春を待っています。ヒヤシンスの芽やチュウリップの芽が出てきています。2月は春が来る様子を感じることができるのが楽しみです。
ガーデニングをする楽しみは、季節を楽しむことかもしれませんね。
ヒロクニさんの絵に、大きな花が描いてあったので、ガーデニングの事などを書きました。
「絵」自体が謎!!
しかし、本人は大真面目な顔して描いているのです。
ちょっと、わたしには全く分からなくて「喰えない世界」に突入か?と警戒しています。
今日は、ハドリー・チェイスの「危険なやつは片付けろ」と「世界をおれのポケットに」を入手して、ほくそ笑んでいるヒロクニさんだが・・・・。決して、頭がおかしい人ではない!と確信しているが、時々不安になる妻です。
大きさは40cm×30cmぐらい
色鉛筆作品です。
タイトルは、「金十丸の船長から火を借りる」
(額に入れてあるので、ガラスが反射してしまって、写真が光ってしまった所があります)
この作品を見ておく為に、簡単な額装をして台所で見ております。
見ながら、ヒロクニさんらしいエネルギーに満ちた作品だなぁと感心する。ヒロクニさんは、「毎日ヘトヘトだよ」とボロッちぃ感じになっていますが、絵にエネルギーをつぎ込んでいるから、わたしに見せる姿は、あまりカッコ良くありません。それに、75歳なんですから・・・。
しかし、基本的にゆっくりしない人。常に刺激が欲しいのか、読書やCDをあれやこれやと入れ替え、自分を取り巻く環境を良く変えます。もっぱら、読書は、ハード・ボイルド。ハドリー・チェイスの「殺人は血であがなえ」。ロス・マクドナルドとの違いを説明してくれる毎日です。
この作品の題が「金十丸の船長から火を借りる」となっているのも面白い。
ギリシャ神話で、火を盗んだプロメテウスの話を思いだした。
プロメテウスは、神から火を盗み、人間に火を与えた。人間界へ火をもたらし為、神ゼウスが怒り、山に縛りつけ、プロメテウスは死ぬことの出来ない神であるため、永遠に鷲に肝臓を喰われる罰を与えた。物語は続く・・・。
プロメテウスは、文化的英雄と語られることが多い。
ヒロクニさんが、ギリシャ神話に詳しくないのを知っているので、「火を借りる」と表現したところが面白いのです。何故、そんなタイトルを付けたのかなぁ?と。
西洋の神話は、日本人からすると大胆で面白い。攻撃するのも、される方も徹底的で明暗がはっきりしていて、読む方は面白い。大胆な感じがする。
日本の神話も似たような所もあるが、表現としては、肉弾戦的ではなくて、もっと自然が介入してきている感じがする。(日本書記等・・)
ヒロクニさんが、どうしても「火を盗む」とは、表現しなくて「火を借りる」と遠慮した表現なのが、日本人らしくて、謙虚な感じで面白いな、と思ったのです。なんか、大胆さに欠けるヮ・・・・と思いつつ、西洋と日本の違いを考えた。ヒロクニさんは、ほとんど無意識に付けていると思うけれど、「火」が出てくる作品が最近あります。いい絵だなぁと思うけれど、売れてなくて手元にあります。
武内は、「この作品を1つの指針として、30点を描いてみたい!!」と宣言。
今もアトリエで、製作中です。
ヒロクニさんとわたしは、読書傾向がまったく違うので、本の話をお互い押し付けあっているような・・・・。ギリシャ神話は、ローマ帝国の始めの頃、祭られていた神々であり、イタリア・ルネッサンスの絵画を理解する上で役に立ちますよ。
(役に立つという感覚もヒロクニさんは、嫌いみたいです)