武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

朝の珈琲(作品紹介784)と 引き継がれる“焼きそうめん”

2024-08-26 14:58:33 | Weblog

この絵が、朝の絵だというのが分かるのは長きにわたり暮らしてきた賜物です。

右上には、黒い線で歯ブラシが描かれています。

歯ブラシというのは、武内にとって、朝の象徴のようなモチーフで、

コップと歯ブラシのスケッチなどもあります。

これが転じて「歯ブラシ女王」というものを考え出し、

歯ブラシがたくさん登場する絵を描いていた時期もあった。

歯ブラシでサーフィン、またはスケートボードのように駒がついているものに、

一つ目の四角い人物像が立っている様子が、個人的に好きでした。

それはさておき、朝の珈琲を愛する武内の心情が現れていて、

今日も元気でやってみよー!という意気込みが感じられます。

今日も爆発するゾ!そんな予感。

いや、しかし最近は老体に鞭打っているようで・・・、苦しい日があるみたい・・・。

画材は、鉛筆とクレヨンになります。

 

 

そろそろ夏バテするか?と思いながら過ごしていましたが、

思ったとおり、暑さに疲れております。

さすがのわたしも、料理をする前に躊躇します。

食欲はあるのですが、作るとなると「今日は休みたいな・・・」と思うわけです。

そんなときに、弟の訃報が入って、21日はお葬式にいっていました。

あまりにも突然だったので、信じられませんでした。

実は、4年ぐらい前に妹を亡くしていたので、4人兄弟だったのが、半分になって2人だけに。

弟は優しい人柄。

わたしたち兄弟は、家のものが皆働いていた為、

幼い頃、兄弟4人で過ごすことが多く、4人で濃密な子どもの時間を送っていました。

わたしは長女なので、一番下の弟のお世話は、よくしたと記憶しています。

せざるを得なかったということもありますが、一番下の弟は小さくて可愛かった。

弟をおんぶしていて、そのおぶい紐で弟をくくり、兄弟揃って写っている写真を見ると、

いつの時代の貧民か?という様子です。

亡くなった弟は、上の弟で、小さいながらそっとわたしを手伝ってくれるようなところがあり、

子ども心に、そういう優しさを感じさせるような弟だったのです。

下の弟達は、兄弟げんかをしたりしながら、とても仲が良かった。

下の弟は、母が「孤児院にいれてやる!」(このしかり方、いつの時代?)と怒鳴ると、

「僕、お兄ちゃんとならどこでも行く」と答え、ぜんぜん悪びれる様子がなく、

「そんなにお兄ちゃんが好きだとは・・」と残りの家族一同で呆れた。

また、親が許してくれない要望などは、兄弟で話し合ってから一致団結して、嘆願したものだ。

だから、子ども議会なるものがあって、親が家にいない時によくやった。

不愉快なことも議会で話し合われ、何故それが嫌なのかという理由と共に、

止めて欲しいと嘆願するのです。

だから、お互いが何に対して、どういうふうに嫌かということを知る機会にもなり、

結束力がますます高まる。

だだ、親との話は、かみ合わなかったり、通じなかったりといろいろで、

難航し、お互い感情的になったりすると、一番下の弟が、

「お姉ちゃんもお母さんも皆、やめてよ!」と大声を上げ止めるのです。

意外な横やりに、皆驚き、弟を見つめるその他一同。

言い争いは終わる。

わたしは、「家族が争ってあんなふうだと、弟は気持ちが荒れるんだ」と思い、納得した。

そんなふうに、祖母、母、兄弟姉妹の人間模様があって、

とても楽しいく、笑った日々が思い出され、子どもの頃の時間がオバーラップされる。

そんな私達も大人になり、それぞれの家庭を持ち、時々顔を合わせることも減ったが、

会えば冗談をいい、わたしは、よくからかわれた。

競馬を楽しんでいる弟に、

「よくそんなことやるは。賭けても負けることがあるじゃない。そんなものは嫌よ。」と言うと、

「僕らは、サラリーマンだからね。ハラハラすることってないし、そこがいいんよ。」と言った後、

笑いながら、「お姉ちゃんとこみたいに、人生が賭けじゃないからね」と言われ、言葉につまりぐぬぬ・・となる。

そんなふうに思っているのか・・ということや、

「人生が賭けねぇ~」上手いこと言うと思ったが、

自分のことを考えるとトホホ・・となりながらも面白いのです。

お葬式の最中、奥さんと話す機会があり、

「お姉さんが作ってくれたと言って、そうめんを焼く料理をよく作ってくれたんです」と。

「あの焼きそうめん?錦糸卵やらハム、きゅうり、もみ海苔を乗せているやつ?」と聞くと、

そうだと。

「それは、祖母がよく作ってくれた料理で、美味しかったから今でも作るけど・・」と言いながら、

記憶を手繰り寄せる。

作った記憶ははっきりしないけれど、あれやこれやと弟に何か作っていたことはある。

なんたって、母の料理のことで、同じ意見だった上の弟と、今日の料理の怖さを語り合ったものだ。

そんな記憶と共に、そんなことを言いながら奥さんに“焼きそうめん”を作ってあげていたと知ると、

可愛い弟だという思いがこみ上げる。

その“焼きそうめん”は、油そうめんと言われるものと違い、見かけは冷麺のようなのです。

茹でたそうめんをバターで炒め、軽く塩こしょうをして、お醤油を垂らすのです。

醤油の風味加減で塩こしょうを調整したらいいというもの。

その上に、先ほど書いた通り、錦糸卵、ハムの千切り、きゅうりの千切りをのせ、

もみ海苔をふりかける。

混ぜながら食べるとバターの香りとよく合います。

ヒロクニさんも美味しいそうで、たまに作ってと言われます。

私たち4人は当時、一般的に見たら可哀そうな兄弟にも見えていたと思いますが、

そういう状況だったからか、お互いに思いやり、そして子供らしく笑い、子どもらしく何かに熱中し、

冗談や親しみをこめたからかいで、ある意味濃い兄弟でした。

1人かけ、2人かけ、寂しく思いましたが、

この寂しさというのは、ことわりなのかもしれないと思い、

楽しい思い出はそのままにしながら、自分の人生をまっとうしなくてはいけないのだろうと。

気弱にならず、生きていかねばなりません。

何やかやと、最終的に食べ物の話に流れていくのが、わたしなのでしょうかと思いつつ、

今日はこの辺にしたいと思います。

個人的な話し、それもわたしの個人的な心情オンリーの話でしたが、

お読み頂いた方ありがとうございます。

 

 

実家に帰る道のりで、撮った写真を。

今の神戸の家は、夏は植物にとって厳しすぎるのか、

トマトの苗も枯れてしまいました。

宝塚市は、ヒロクニさんの言う通り、花の多いところなのだと実感しています。

 

5月に。宝塚にて。

 

 

 

 

 

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1枚の切り抜きから(メモ紹介783)と 西暦536年の寒冷期

2024-08-15 16:14:43 | Weblog

これは、イラストの写真を貼ってから、派生したメモ(エスキース)になります。

貼ってあるイラストは、2人の人物が、ポップでハートが描かれたTシャツを着て走っている。

多分、わたしがこの絵を雑誌でみたとしても、

「可愛い絵」と思いながら、次のページをめくるだろう。

ここに貼られているから、まじまじと見て、ハートの柄だとか、細い人と太い人だとか、

黄色い色に青色とハートの赤色でポップだとかと言っていますが、

まず記憶に残さない絵柄です。

鉛筆だけで描かれた右下の形が印象に残る。

特に足が前方に出てくる感じに線が伸びているので、

力強くこちらへ向かってきている感じがして、変な迫力を感じ形が頭に残る。

すると、イラストの走る形と呼応しているのがわかります。

そして、フランスのシュールレアリストが書きそうな小悪魔的な婦人像が描かれていますが、

これが奇怪な様相。

そして、この婦人も走っているのです。

大きく描かれたこの婦人の雰囲気から、

“嵐”の到来が来る前に、走って家に帰ろうとする人が描かれているような雰囲気がします。

しかし、武内のメモは“ノンセンス”なものが多いので、理解しようとは思わず、

そこから受ける奇妙な感じだけを味わうのが一番いいでしょう。

右下の端に描かれた「マジメに。」という言葉。

わたしの解釈では、「やっぱり、ふざけていたから、マジメにやれ。」と自分に言い聞かせているのか?

と、思えてしまうのです。

しかし、このメモは大切らしく、破られることなくファイルに入っていました。

形の呼応の試し描きとして、

イラストから新しい形を作りだしたかったのかもしれません。

絵の形を生み出す、一つの方法だと思います。

メモは、実験的なものが多いので、未分化な絵が多いのですが、

思考の片鱗を見ることができます。

武内は、絵で考えたり、絵で遊んだり、絵で苦しんだり、いろんなことをしているようです。

 

まだまだ暑い日が続きます。

食料を買い足しに行きますが、道中はもとより帰ってきた家の中でも汗を拭いています。

ハンカチではなく、小さいタオルが離せない日常。

夏に強いヒロクニさんも、さすがにクーラーをかけています。

以前は見なかったテレビを見ていて、

クーラーをつけないで熱中症で亡くなる老人のニュースがあると、

食い入るように見ていて、眉間にくっきりと皺を寄せている。

事実は、説得力があるようで、

以前、わたしがクーラーを入れると、「浅ましい」と言われていましたが、

自分でクーラーの温度調整が出来るくらいに進歩しました。

季節の感覚が以前と随分違ってきて、夕立があった夏が懐かしい。

我が家は、夏の定番、スイカと濃いめの麦茶で懐かしい夏の味を満喫しています。 

クーラーという文明の利器がなければ、多くの人が死ぬような夏なのでしょうか?

怖いことだ。

こんなことを考えていたら、「人類史上最悪の年、西暦536年」という文章を見つけてしまいました。

ヨーロッパでの出来事です。

西暦536年にインドネシアのジャワ島とスマトラ島の間にあるクラカタウ山が大爆発を起こし、

吹き上げた火山灰が風に乗って地球の空全体を覆った。

それは、約1年半にわたって完全に太陽の光を遮り、その後数年間は世界各地で異常な低温が続き、

干ばつと洪水が繰り返され、飢饉(低温による作物の不作)、ペストなどの疫病が大流行し、民族移動、

そして大きな帝国の滅亡(ローマ帝国)に繋がっていく。

わたしが驚いたのは、太陽の日が差さないことで起こる不の連鎖だ。

作物が成長せず、食料危機が起こるのは思い浮かぶが、

光を浴びないことで、人にビタミンDが不足し、免疫不全になり、病気への抵抗力が失われるということだ。

そこにペストが流行りる。

弱り目に祟り目のように、疫病によって次々と人が亡くなっていく様は地獄だっただろうと想像する。

なんと、その上この寒冷化は10年続いたという。

この火山の爆発の影響は、南米のペルーや中国、韓国でも起こり、日本でも起こっていたらしい。

ペルーでは、モシェ文明が消滅し、中国では夏に雪が降り、日本でも凶作が起こったと。

「日本書記」には、

当時の宣化天皇の言葉として、西暦535年には豊かな恵みに感謝するといったようなことが書かれているのに対して、

翌536年には一変して大凶作に陥ったことが書かれているそうです。

ただ、日本はそれ以前から凶年に備えるため、収穫した穀物を収蔵し、食料を蓄積してきていたようで、

その年はさほどの大混乱にまでは陥らなかったというのが幸いだ。

日本の時代は、聖徳太子が登場する頃にあたります。

こういう事実を照らし合わせ、太陽の光が差さなくなると、

人類には災いが蔓延し、大きな変化を強いられる因果があるのだろうか?と思い、神妙な気持ちになりました。

太陽というのは、命の源でもあり、前向きな存在なんだと思いました。

やはり、天照大御神はおられるのでしょう。

人類と密接に繋がっています。

暑ついのも限度を超すと難儀ですが、

やはり怖いのは寒冷化のほうだと思いました。

この西暦536年のことが分かったのは、最近の事らしく、2018年。

それもハーバード大学での研究で、「7世紀の貨幣の歴史」を調べていくうちに分かったそうです。

今は、異常気象の話題や、地震が世界的に多いことを思えば、これはどういう事だろうと考えます。

きっと、人類へのメッセージがあると思いますが、分かりません。

わたしには、叡智がないのでした。

占星術では、風の時代に入ったと言われます。

2025年からがその特徴が現れると言われています。

何か大きな変化があるのでしょうか。

(占星術は、日本では星占いのように言われていますが、外国では権威があってアカデミックな研究がされています。

 長い間研究され、学術的な学会もあります。

 なるべく、そういう人達の見解を見るようにすると、バカにはできないものだと個人的には思っています。)

「破壊と再生の時代」と言われていますが、

何が破壊されるのかと思うと、ぞわぞわします。

もう、時代について行ってないと思うことが多いので、変化についていけるのか?

これが、問題です。

 

今日は、暑さよりも冷夏のほうが怖いのでは?ということを垣間見ました。

しかし、身近に不可解なことで驚かしてくれるのは、夫です。

お茶漬けではなく、“水漬けのご飯“作ってと言われました。

わたしの常識と夫の常識は、違うのです。

今日も、最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。

536年のことについては、『西暦536年の謎の大噴火と地球寒冷期の到来』という著書があるようです。

歴史家ではなく偶然、科学者が発見したというのが、不思議ですね。

前表紙
 

↑本の表紙

 

 

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ネズミの蜃気楼(色鉛筆作品紹介782)と ネズミの物語あれこれ

2024-08-03 18:11:31 | Weblog

暑くて、私は、こんな表情をしてるかも?と思う時がある。

そして、右には蜃気楼。

そんなことを思い浮かべ、今日はこの絵を選びました。

その蜃気楼が、水色の鼻からヒゲを生やしたネズミの顔に思え、

ひとりで受けて笑っていました。

以前、「ヒロクニさん、あなたはネズミと結婚するのよ。」

と、意味不明なことを言い、

大きなネズミに世話をされている武内の姿を思い浮かべ、爆笑していたのでした。

ついでに、ネズミと夕飯を食べている姿も想像し、可笑しくてたまりませんでした。

「ヒゲを俺に当てるな!」とか、言っていることも想像し、

事細かに細部や、会話、その様子を思い浮かべていると、滑稽で可笑しかったのでした。

大体は、ヒロクニさんの唐突な行為や変な行動に驚かされるのであるが、

時にわたしが、狂う時があるのです。

何がそんなに面白いのか、と思う人は多いでしょう。

普段はわたしがしていること、身の回りのこと、食事の用意、会話(話しを聞いていることが多い)は、

女性であるわたしがしているから当然で当たり前に思えるし、

人間が、人間を世話をしているから、なんだか武内が偉いような感じだと思うのです。

ところが、大きなネズミがエプロンなどをして、

かいがいしくヒロクニさんの世話をしている姿を想像すると、

ぜんぜん偉そうではなくて、悲しい感じすらしてきて、哀れな感じがするのが可笑しい。

ヒロクニさんが、怒ったりすると、

ネズミ奥さんは、エプロンの裾で目頭を押さえ、涙したりする。

わたしは新婚の頃は、泣くときもありネズミ奥さんのような感じになったこともあります。

ある意味、今から思うと新鮮な行為。

今では、「それだから、どうだっていうの?」と口答えすることを思えば、

初々しかったと言える。

ネズミ奥さんとヒロクニさんの姿を思い浮かべるに十分な月日が経ち、

数々のシーンを当てはめると、今までのことがママゴトのような生活に思え、

客観視されるのです。

何故ネズミに置き換えるのか?

それは、わたしの読んできたネズミが主人公の読物にある。

●『ナルニア国物語』C.S.ルイス著 (シリーズもの)

 リープビーチというネズミが登場する。

 ネズミの族長で優れた剣士で騎士道精神の持ち主。最後は、1人未知の世界へ旅立つ。

 

       こちらがリーブピーチの挿絵↑

ナルニア国物語は、子供向けに「聖書」を語るという内容なのですが、

寓話で哲学が語られる部分もあり、大人にもファンが多い。

わたしもそのひとりという分けです。

●『ミス・ビアンカ くらやみ城の冒険』マージョリー・シャープ著(シリーズもの)

  ミス・ビアンカという上品なネズミが登場。金の鎖を首にかけ、なんと!ネズミなのに詩を書く。

  その他に、バーナードという勇敢だが食べ物のことが頭に離れないネズミ、

  ニルスというアイルランド訛りのある荒くれものネズミがトリオになって、囚人を救い出す。

 ↑ミス・ビアンカとバーナード

●『ハードウッドホテル』 ケイリー・ジョージ著(シリーズもの)

  孤児になったモナというネズミが、ひょんなことからハートウッドホテルで働くことになる。

  そこでの動物従業員とホテルの客が繰り広げるドラマ。

  

      ↑これが、ねずみのモナ。ホテルの扉をノック

●『ネズミ女房』ルーマー・ゴッテン

  ネズミの奥さんが、鳥と話をしているうちに外の世界に憧れる話しなのですが、

  読む者は、少し身につまされるのですが、滋味深い読後が残ります。

   

   ↑奥さんネズミが鳥と話している様子

●『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』斎藤敦夫著

  これは、アニメにもなっているけれど、本で読むとまた違う面白さがある。

  ガンバをはじめ15匹のドブネズミ達が、イタチに挑みます。

  わたしは、“イカサマ“というネズミがお気に入り。

  「ぐだぐだ言うより、俺はこのサイコロの決めたことに従うぜ。」というノリが好きだ。

  

  ↑これは、ガンバが危機一髪というところで登場するシーン。いいシーンだな、と思う。

●『フレディ 世界でいちばんかしこいハムスター』ディートロフ・ライェ著(シリーズもの)

  初めてネズミものを読んだ本。フレディというパソコンで文章が書けるハムスターと 
  エンリコとカルーソというモルモットが出てくる。エンリコとカルーソは即興劇をよくする。
  その劇が面白い。これを読んでから、ネズミに虜になり読むようになった。
  
   ↑フレディは、怒りっぽい性格でもある。
 
●『野ねずみハツラツ 六つの冒険』ジャン・ウォール著
  ハツラツという野ネズミが、広い世界を見てみようと船にのって旅をする。
  いろんな動物や、音楽、そして人間に出会い、故郷へ帰る。
  そのハツラツを通して、世界の不思議を感じました。とても詩的に思いました。
  
   ↑挿絵も独時の雰囲気があります。
 
後は、『ニューヨークのネズミ 10万ドル大作戦』というのもあった。
芸術心があるネズミ一家がいた。その一家はネズミの中では、何故か異端者扱い。
その息子で絵を描いていたネズミは、それが何故なのか気になるが分からずじまい。
10万ドルが必要だ!という時に、息子ネズミの絵を人間に絵を売った。
今度は、有名人扱いだが・・。そして、また運命は狂う。
そんなネズミ家族の一家の物語。
 
もう、まだまだあって、ネズミの本収集家みたいなのです。
書ききれません。
だから、あらゆるネズミが想像できるのです。
挿絵なども頭に入っているし、ネズミのタイプも。
だから、ネズミなのです。
 
そして、今日の絵は、そんな理由で選びました。
 
画材は、色鉛筆になります。
 
それに、絵の大きさは小さく、13㎝×18㎝。
 
 
 
実は、この絵は、裏にも絵が描いてありまして、それは下のものになります。↓

どうして裏にまで絵を描いてあるのか、分かりません。

鉛筆で描かれていて、その上に透明なメディウムがしっかり塗られています。

畑の畝のように思えるのですが、穴倉のようにも。

わたしは、上部に描かれた雲の形が気になります。

なんとも言えない形をしていて、武内らしいと思いました。

もう一度書きますが、どうして裏にまで絵を描くのかさっぱりわかりません。

好きな方を見ればいいということなのでしょうか?

相変わらず行動に謎が多い人です。

 

 

それでは、最後に神戸散策を。

今や、買い物と言えば、「神戸の台所」という東山商店街へ行く。

そして、ちょっとした楽しみがあります。

↑冷やし飴、と“レモン”と書かれた飲み物が楽しみです。

とても懐かしいというか、レトロ感が一杯なお店。

この店で初めて頼んだのは、“あめ”のほう。

生姜が効いていて、飴の甘ったるさが歩き回った身体にちょうど良く、美味しい。

次の時は、“レモン”のほうを。

レモンの爽やかさと甘さの加減が良く、溶けかけた氷が表面に浮いていて、

飲むとシャリシャリとした氷が口の中で溶けます。

これも病みつきになりそうです。

3回目は、どっちを頼もうか無茶苦茶悩みました。

本当に悩んで、苦しかった。

こういう苦しみを久々に味わい、子どものような感じに。

50円だから、2杯飲んだらいいと思うかもしれませんが、

楽しみに一杯というのがいいと思うのです。

思い込みなのですが・・・。

そして、結局、“あめ”の方にしました。

これで納得して、岐路についたのです。

買い物の仕上げの儀式になりそうです。

 

今日は、1枚の絵からネズミの話になりました。

わたしネズミの物語が好きなのです。

夏の暑さで、頭のネジが弛んでいるような気がします。

今日も、このような内容を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

今年は、酷暑ですよね。

毎日、「あつ~!」と言って過ごしています。

 

 

 

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