武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

神戸のジャズ喫茶、jamjamにて(作品紹介710)と 損得勘定の是非

2022-11-28 16:42:14 | Weblog

神戸にあるジャズ喫茶jamjamのことを思って描いた絵だと思います。

港が描かれている。

遠くに見える山。

その山には、髪がカールした、いつもの武内の女性像が。

のっぽの人物も左に見える。

顔は正反対の方向を向いていて、お互いは感心がなさそうである。

縦に描かれた絵ですが、その視線のゆくえから海が横へ伸びているようで変な広がりを感じます。

右下の文字があるところに段々になった線があり、

店への降りていく階段のように感じた。

地下にあるのです。

名前が書き込まれているのは、一緒にいた人物?

日記のような絵なのかもしれません。

ここの珈琲は、苦味があっていつも美味しいことも思い出されてきました。

また、この鉛筆の線は、いつも独特な削り方をしている鉛筆でないと出来ないのだろうなと、

アトリエにある鉛筆の先まで思い浮かびます。

 

jamjamにも長く行っていない。

本当にコロナから、出かけない癖がついてしまったものだ。

今は、ヒロクニさんと御所川(ローカルな川)沿いに、リハビリと称して歩くのが精一杯な惨状。

しかし、歩くとじんわりと身体が楽になるようで、距離を伸ばしていっています。

気分屋なので、時々休むのが玉に瑕なのですが。

「今は、制作を続行していたい。」と言われると、取りやめになることもあります。

「今日は、パンを買わなくてすむ。」と思い、ホッとしたりして、

散歩に行くと散財するパン代が浮くことに喜びを感じるわたしがいる。

“堕落の勧め”を奨励しているようで、この気持ちはなんだ?と自分を省みた。

パン代意外に、わたしもめんどくさく思う気持ちがあるのも発見した。

また、損得勘定をしないよう自身に言い聞かせる。

歩く方が大事と。身体が動かなくなる方がいけない。

 

こういう出来事から、

損得勘定だけでを考えていると、虚しい人生を生きるような気がしました。

だからといって、損ばかりする生き方がいいとは思わないのですが・・・。

今日思ったのは、「損しようという前向きにな損。」について考えたのです。

以前、一度だけ、はっきりと損をしてもいいと思ったことがあります。

子供の造形教室をしていた時のこと。

まあ、もともと大雑把なので、「こういうことをしたら面白いだろう。」と思い、

“植木鉢に紙粘土で立体を作る“というものをフランスの美術家からヒントを得てしたことがあります。

芯には、針金(やや硬い)を長く2つ折にして、鉢の穴に4cmぐらい出し、

抜けないようにそれぞれ別の方向に曲げ、長くなった針金を好きな形にして曲げます。

芯の長さも好きに。

芯は自在に曲げられるので、わりと自由な形が出来き、我ながらいい感じだと思っていました。

芯にタコ糸をグルグル巻きにして、粘土を付きやすくする工夫も。

鉢は小さめだったので、重さがいると思い、普通なら新聞紙を丸めて入れ、

その上から紙粘土で土台を塞ぐのですが、倒れたらいけないと思い、

どんどん紙粘土を使ってもらったのです。

かなりストックもあるし、大丈夫と思いながら。

「先生、粘土がない。」という声とともに、どんどん使わせました。

「紙粘土、こんなに使っちゃった。3個目だ。」という声がしてから、

「4個目。」「5個目。」と増え、「8個目。」にまでになった。

個数を使ったということが、子供達には新鮮だったみたい。

また、作品に重量感が出たりして、それも面白かったようで、

粘土を使うことに意義を見出している子もいた。

そこまで、使うとは予想していなくて、「凄いな・・・。」と思っていると、

「先生は、損している。」という声が上った。

それから、細かく計算する子が出てきて、「お月謝はいくらなのに、これでいいのか?」と。

その発言は子供にとってインパクトがあったのか、

粘土が幾らとして、だれだれが8個使ってと、各自に計算ばかりして、

大声で話して盛り上がるという事態になった。

「子供って、親にお金のことをうるさく言われているのかな?」

「細かいなぁ~。」

と思いながら聞いていた。

しかし、ひつこい。

そこで、思わず言った。

「いつも、金勘定ばかり、あんたらはしてるの?」

(怒ると言葉ずかいがやや悪くなる)

「大人はね、たまには損をしていいの。分った?」と、豪語した。

豪語したついでに、「そんなに言うのなら、遠慮したらどうなの!」

「口ばっかり動かしてないで、手を動かさんか!」となり、乱暴な口調に。

ちょっと静かになり、「先生、粘土下さい。」の声だけになった。

だけど、ユニークなものが多く出来き、彩色にも気合が入っているのが多く出来たのを見ると、

「これでいいのよ!」と思い、

粘土をおしまず使わせて良かったと、自分で納得しました。

一度だけ、というのが、世知辛いかな?

子供を前にすると、大人なふるまいをせねばならない時ってあるのだなと、思いました。

これは、わたしがした唯一の前向きな損で、これ以外ないというのが怖い。

 

お金ではないけれど、上の立場の人が間違っていることをしている時、

進言して正すというのも難しいと思う。

言った後で、嫌われてしまう、上司のような人であれば気分を害されるなどの恐れがある場合、

言った後のことを考えて、自分に損害が降りかからない方を選ぶ。

つまり、悪意ではないのに、悪意に捉えられてしまいそうな場合。

これも、一損をしたくないの一種だと思う。

しかし、これは難しい。

自身の立場も失いかねなく、勇気や強さまで要求される。

そういう人が現れるまで、待つことになりそうだ。

これを、皆が常にしていると、全体が悪い方へ落ちていくのだろうと思う。

 

こういうことを書いたのは、近年“五常八徳”という孔子様の言う、五常のことを知ったからです。

「仁・義・礼・智・信」というもの。

それぞれ、意味を簡単に知っただけなんですが、全部出来そうにない。

日本の江戸時代、明治時代は、こういうことを実践出来ているような人が、

上に立っていたように感じるのです。

わたしは、年齢が入ってからなのですが、

戦後教育を受けてきた自身のことを、腑抜けな世代だと自分のことを思います。

今日は、朝から国会中継を見てましたが、

予算のことを話し合うはずなのに、

週刊誌のレベルのことを話す議員が偉そうにしていて、

予算と関係ないことを議論しているのを見て、義も信も忠もへったくれもないことに気がつきました。

日本が心配になります。

 

 

 

そんなことを思いながら、庭にあるジニアを摘みました。

↑背丈が随分伸びて、倒れる花が出て来ました。

↑摘んだジニアを紅葉で黄色くなった葉を添えて。

色は、黄色と白だけを選んで。

夏の花のジニアですが、秋っぽくなり、まずまずと思って眺めています。

「今日の花いいねぇ~。」とヒロクニさんから言われ、ちょっと嬉しい。

 

↑そんな時間の間、我家の家族の猫のピピ。

陽だまりで、いつもの風呂敷包みの上で、だらりと寝ています。

(写真を撮ろうとしたので、薄目が開いています。)

身体が溶けているような寝方。

猫が羨ましい。

ヒロクニさんは、「なんか、こいつ面白い猫ちゃんだ。」とよく言われています。

 

 

 

今日は、散歩(リハビリ)か、パン代か?

そこから、損得の話になり、孔子の“五常”の話しに飛躍しました。

“五常八徳”と言ったほうが、分り易い人もいるかもしれません。

実行してこそ意味があることなので、読むだけでは、「論語読みの論語知らず。」になるということです。

ヒロクニさんに対して、大人な対応を実践できればいいのですが、

なかなか出来ません。

「お前も大人だろう!」となってしまいます。

仁は、愛であると書かれていて、冷っとしました。

多分、まだまだ自分優先なんだと思います。

今日も、最後までお読み下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希望(色鉛筆作品紹介709)と 後悔、二段重ね。

2022-11-21 17:09:36 | Weblog

アトリエに武内の様子伺いに行くと、

積み重ねられた紙からブルーの色がはみ出していました。

どれどれと絵をめくり上げるとこの絵が出て来ました。

目にこの冴えたブルーの色がワッと飛び込んできて、清涼剤のように感じた。

それで、この絵を取り上げることに。

この楕円の重なり具合とか、形のゆがみ具合も良くて、どことなく可愛い。

種や卵みたいで、物事の始まる前の絵か?

青い丸が羅列されているが、だんだん大きくなったり、

小さくなったりしているありようがなんともいえない雰囲気を添えている。

豆の鞘にあるクッションのようで植物的に思える要素だ。

物事として捉えると、始まりの前というのは、

物事がすでに内包しているという事かもしれないと思ったりした。

言い換えれば、まだ果たされないことがあったとしても、

現在の時点で勢いがあれば、それは果たされるであろうということにも通じるかもしれない。

あれこれ考えていました。

この絵を見て思うのは「希望」。

そして、“希望”は、大切に育てなくっちゃ!と思う。

 

この絵は色鉛筆で描かれていて、まったく粉っぽい所が無く、表面は印刷物のように光っています。

紙もなめされていて、普通に描いた色鉛筆の発色とは違う。

顔のように見える形は、同じものをよく描いているので、わたしにとっては見慣れた形だ。

しかし、何度見ても、この形は謎めいていて、理解不能なのです。

わたしとしては、この絵を見て、このブルーの色に頭をガンと殴れれたような感触があります。

このわけの分らない形が、いっそうブルーを強調し、なにか神聖なものを感じてしまったと。

我が良人の頭の中はどうなっているのだろう・・・。

抽象的な形容詞で一杯なんじゃないだろうか。

そんなことを思った。

いつも、話がわかりにくいんです。

 

 

その話のわかり難いヒロクニさんが急にこんなことを言い出しました。

昨晩のことです。

「君って、何にもないじゃん。」と言われた。

はぁ?と思ってヒロクニさんを見た。

「何もないって、どういうこと?」と問い返した。

すると、「君って、東京に個展で行ったときのことを、

     “ああ、あの時はこんなことがあったね“とか全く語ることがないじゃん。なにも喋らないじゃない。

     挿絵の仕事をしている時のことも、懐かしく語るとかしないし・・。」と。

わたしは、めんどくさい気分になったが、

「そうねぇ~。これからのことばかり考えているからかな?

それに、過去のことは、よく思い出して、ブログにはよく書いているけど。

もう、ブログに書いて文章にしてるから、話さないのかも。」と言った。

以下、会話を箇条書きに。

ヒロクニ「君って、僕の世話も嫌そうにするじゃない。もう、するの嫌なわけ。」

    (実は、夜十二時にホットケーキ焼いて、と言われたのを「こんな遅くからイヤ。」と無碍にした。)

わたし「ホットケーキを焼かなかったからって、そうすぐ短絡的にならなくてもいいじゃない。

    わたしにも都合がある時があるからね。」

ヒロクニ「すぐそういうものの言い方する。君より話がわかる最初の妻の所へ行ってみようかな。」

わたし「よくそんなこと言えるわね。わたしは用済みですか。

    だけど、いきなり行ってどうするの?皆、都合があると思うよ。」

    (こういうと、何か嬉しそうな顔をするヒロクニさん)

ヒロクニ「君は、楽になるだろ。」

    (わたしの心中は、楽にはなるだろうけど、寂しくなる。)

わたし「もう、今更遅いわ。何でホットケーキを焼かなかったぐらいでそうなるわけ!

    作ったパンプキンタルトがあるでしょ。

    その話し、もっと前にその話をしてくれたら良かったのに。」

   (ここが、嫌味なわたしの性格)

ヒロクニ「だから、話し合いをしようっていっているじゃん。

     君は、話し合いがそんなにイヤなの。

     それだから、君はダメなんだ。」

わたし「じゃあ、よく聞いてよ。あなたは自分中心で自分の都合しかないけど、

    わたしにも都合があるの。たまたま、ホットケーキを焼くのが嫌だったのは、

    今日は新しい料理に挑戦して下ごしらえを早くからしたのに、うまくいかなくてガックリしてた。

    意気消沈してたの。あなたも肉二切れしか食べないし、じゃが芋は硬いって言ってたじゃない。

    一気に疲れが出ていたから、嫌だったの。分った?」

ヒロクニ「わたしは、美味しかったけどねぇ。塩っぽい豚肉が食べたいっていったら、

     すぐに挑戦してくれて、その勢いが素晴らしいと思ったけどねぇ。」

わたし「とにかく、わたしにも都合がある時があるの。」

~同じような言い合いが続く~

ヒロクニ「そんなもんかぇ。まあ、話し合い出来たし、これでいいんだよ。」

深夜2時。

ホットケーキを無理やりにでも焼いていた方が良かったかも・・・・と。

言いたいことは、「もっと、かまって!」なんでしょうね。

しかし、わたしも忙しくって。

「君には、何もない。」これも、名言かも。

我家の猫、ピピも密着型。

パソコンに向かっていると、バンザイして抱きついてくるのも驚きだけど、

最近、勢いよく身体に駆け上がってきて、肩にいます。

フクロウみたいに。

かあちゃんは、忙しいの気分に包まれる。

ちなみに失敗した料理は、豚バラブロック肉のオーブン焼き。

脂っこくて、気分が悪くなってしまったし、塩、塩、と言われていたので塩が効き過ぎていて食べると頭痛が・・。

大根と煮た方がどんなに良かったか、と後悔しました。

後悔、2段重ねで、トホホ。

こんな日もあるのです。

 

↑食卓に飾っている花。

玄関前にある菊が咲いてきました。

それを摘んで、手捻りのピンクの湯のみに。

柿も我が家で取ったもので、食べる頃を見計らっています。

同じ種類の菊なのですが、

日当たりの加減でピンクの色が薄くなったり、濃くなったりしています。

菊が咲き出すと秋を感じます。

 

 

今日は、夫婦漫才か?

「君って、何にもない。」は、斬新な言葉でした。

それと、何度も結婚している人(何度も離婚している人)は、いう事が違うと感心しました。

「話をしよう。」と言われると、何となく回避してしまうわたくしです。

何気なく話する方が断然いい。

わたし達夫婦の話に付き合って下さった方、今日もありがとうございます。

でも、絵はユニークでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

線がポップ(作品紹介708)と プレミアムノイズのライブに。

2022-11-14 16:08:33 | Weblog

OSAKA、KOBEと書き込まれています。

阪急電車で行く、大阪、神戸の道のりの事だと思われます。

下部に描かれている円径は、車輪なんでしょう。

正面を向いているように見えるのは、電車?

車輪の向きからすると、アクロバットな関係だ。

大阪に着く前、長い橋を行き、淀川を渡る時があります。

その時、前方を見ると、大きなビルがそびえたっているようすが見渡せ、

ビルの群れを見ると、大阪に着いたなといつも思う。

そんな印象が詰まっている絵だ。

上部に描かれた人物は、きっと武内でしょう。

都会で珈琲を飲む自身じゃないかな。

この絵は色はポップではありませんが、線がポップに感じます。

それは何故?

当人は、「絵柄はトランプみたいだけど、これ取り上げてくれない?」と言いながら、

手渡されました。

トランプの柄だとすれば、キングかジャックだ。

どっちなのか判断できません。

こういう絵を描いている当人の近日の写真があります。

こちら↓

阪急三ノ宮駅を出たところで撮った写真。

85歳の画家です。

大真面目に、こういう絵を描いています。

この日は、ライブに行った帰りで途中「もう歩けない。」と言われ、

私が気を揉む惨事がありましたが、帰りの道のりは駅まで送って下さる方が現れたり、

痛みでわたしに怒りに満ちた表情を向けるので、

なんとなく先に歩いて良人を置いてけぼりにしてしまったりしたが、

その変わり、優しい女性がいて、夫の腕を取りながら歩いてくれている人を発見。

そのせいか、帰りはなんとか無事に。

もう、送ってくれた方や優しい女性に感謝でした。

わたしは「何故、足が痛い人に優しく出来ないのか?」と、自分に問うた。

出来ない理由は、「怒りで満ちているところへ行きたくない。」だ。

行きは怖くて、帰りはよいよい。

とおりゃんせの歌の反対になった。

行きは、会場へ着いて席に座った瞬間、空中のあらぬ方向を向き、

「ああ、疲れた。」と呟いた瞬間があったくらい憔悴していた。

帰りは気持ちだけホッと。

今は、2人で歩く時間を取っています。

こんな事がなければ、一発奮起しなかったと思えば、怪我の巧妙だったのかも。

散歩の途中で必ず、パンを武内は買います。

それが楽しみのようで、フランスパン風の生地にたっぷりのチーズとベーコンの入ったパンを買う。

「さほりは買わないの?」と言われるが、

主婦ですから買いません。

財布の紐は硬い。

家計を預かる身ですから・・・。

 

今回行ってきたライブの動画が上っていました。

こちら↓(中央になっている)

実は、ライブでギタリストのエリック隊長さんは、若い頃からの友人なのです。

結婚して明石に住んでいた頃一時にも、行き来がありました。

このブログにコメントがあり、

25年ぶりに再会すると、すっかりミュージシャンになっていて、ライブをしているという。

再会したと思ったら、すぐコロナで大変になった。

そんな経緯があっての、コロナ後のライブでした。

プレミアムノイズがバンド名。

ライブ会場は、須磨の海沿いにあるレストラン。

海風が吹いて、夕焼けに包まれながら到着しました。

(私は、気苦労をためていましたが・・・、地球は回るです。)

下の動画では、2:40ぐらいから、彼のギターが前面に出てき始めます。

わたしはあまり音楽には精通していないので、なんともいえない人だが、音色が好き。

ヒロクニさんも「日本人離れしたところを最大限に生かさんといかん。」と。

ジャンルは何か?会場にいる方から「フュージョンですよ。いろんな音楽がミックスされているでしょ。」と伺いました。

だから、ジャズっぽくも感じるわけだと、納得していました。

 

この動画は、最後の曲だったと思う。

オリジナリティが高く、独特。

後半、フリージャズを思わせる演奏でもあった。

彼の若い時も知っているせいか、個人的にとても感慨深いライブでした。

ただ、わたしの友人ということは、彼は若くはない。

若い、若くないそんなことを取り払って、やっている姿に胸打つものがあるのです。

ヒロクニさんは、「彼はリーダーをやっていける。後は身体を大事にすることだ。」と言い、

「子守唄はいかん。」と言う。

その子守唄って?また、謎の言葉だ。

そんなのなかったのですが・・・ね。

やっぱり、ロック喫茶を経営していたヒロクニさんは、もっとガンガンなものがいいのか?

時々、ジミーヘンドリックスをかけていて、CDラジカセから“Fire”という言葉を耳にすると、激し~と思うもの。

J・ガイルズ・バンドというのも掛けられると、今度はノリノリ。

かけながら、フェイ・ダナウェイの旦那だからね~と付け加える。

そうなんですか・・・という具合。

最近、クラッシクを聴かない。長くかかっていない。

ピアノが好みだ。

わたしは弦楽が好きだ。

やはり違いがある。

ところで、ヒロクニさんのCDをわたしがかけると、選曲が間違っているのか

すぐ変えられるということがあります。

わたしも実験のように、ヒロクニさんがかけているものをワザと変えてみるということをしたことがあります。

ヒロクニさんは、アトリエから出てきたら、すぐ変えてアトリエに行くのです。

何回かくり返しましたが、その度に無言で変えてアトリエへ。

人がかけるとだめなんでしょうね。

VOXヒコーキ堂を経営していた時、店を離れている時でも電話を入れ、

「今は○○をかけとけ!」とやっていたというエピソードは本当なんだと思います。

その頃撮っていた8mmフイルムが1つ見つかりました。

どんな感じなのか、当時を知らないわたしはワクワクします。

(映写機がないから見れない。)

それに、ヒロクニさんの若い時だしね。

 

 

↓庭では柚子がなっています。

もうすでに料理に利用していて、鰹のたたきに柚子の実を絞りました。

にんにくのすりおろし、しょうがのすりおろし、ねぎ、たまねぎのスライスを添えて。

もっぱら、湯豆腐や鍋で活躍する。

その他は、小芋を薄味で煮たものに、皮をすってまぶしたり。

↑庭は、花が少なく冬枯れ状態。

どこにルピナスの苗を植えつけようか思案中。

日当たりがいい方がいいみたいなので、

いったん鉢に植えるものと地植えにするものと分けた方がいいかもと思っています。

気温が下がると日の光のようすにも変化する。

秋は暖色を感じ、冬になると青み、もしくは透明な感じがするのです。

“冬は、青い”で始まる詩を書いたことを思い出しました。

 

今日は、話の内容があっちこっちへ。

ヒロクニさんが言う。

「男が何かやろうとしていることに、協力するのは当たり前だ。」と。

わたしも及ばずながら、そうだと強く思った。

また、ヒロクニさんの変わらぬ姿は2つあって、絵を描く姿と食器を洗ってくれる姿だ。

過去に喧嘩して「離婚だー!」と思った時に、

意外と「いや待て・・・。」とこの2点が歯止めをかける。

意外なんですけど、誠実な姿を感じるものがあって・・。

 

今日は、話があっちこっちに。

今日もお読み下さったかた、お付き合いありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の夕焼け(作品紹介707)と 思わないことは果たされない。

2022-11-07 14:25:18 | Weblog

「秋の夕焼け」

秋に入り、陽射しが斜めから射す。

陰影にオレンジが混ざり、どことなく茶色っぽい。

夕暮れになると、太陽の陽光と青い空の色が交じり合う。

そして、雲が流れてゆく。

すると、黄金色のように輝く瞬間来る。

燃えるように赤くなったかと思うと陽が沈む。

一日が、終わる知らせだ。

 

ほんわりした作品で、フワフワ感がある作品。

秋も深まり、紅葉も見られるようになり、赤や黄色が目に付く季節に。

そう思っているせいか、この絵が目に留まった。

いつもの色彩がギューと詰まっている絵と違い、

もの寂しさを感じるところが秋だ。

だから、「秋の絵」としていいと思ったのです。

中央の黄色の部分が唐突で、“バナナ”に見えてしまうのですが、

わたしの頭の中では、これは「バナナフィッシュなのだ。」と思い込むことにした。

“バナナフィッシュ”というのは、D・J・サリンジャーの小説、「バナナフィッシュに最適の日」に出てくる魚のこと。

確か、「ナイン・ストリーズ」に入っている物語だったと思う。

海の中で“バナナフィッシュ”が泳ぐ様子や、

後半かな?部屋の中を泳ぐ“バナナフィッシュ”の様子がショッキングで、

こんな小説があったことに驚いていた。

いつまでも、この情景の妄想、いや想像した光景が焼きついているので、

「バナナみたいだし、バナナフィッシュよね~、コレ。」と妄想しているのです。

サリンジャーを手に取ったのは、高校生だったのでカルチャーショックを受けていたわけです。

しばらくは、わたしの周りでも“バナナフィッシュ”が泳いでいましたから・・・・。

(頭おかしいです・・。)

それが、この絵を見て復活した。

黄色い魚、それも斑点のある魚が復活して漂ってマス。

 

わたしの頭の方は置いておいて、夕暮れの時間の中で、

電車の走る音や、灯かりの点いた窓があり、

まだ見える青空、ゆっくり動く雲、ほんのりとした寂しさが漂いながら浮かんでいる。

何となく切なさを感じます。

また、童心に返ったような気持ちになり、

かつて、子供だった頃を思い出す絵です。

 

良人が制作に励んでいる横で、自分に関心が向いている妻。

自分のことに思いが向いています。

悟られないように「わたしはあなたのことで一杯なのよ。」と言うシグナルを送りつつ、

自分のことに勤しむ。

「あっ、今は自分に関心が向かう時期だ。」と思ったのは、

外出した時に、今まで使っていた化粧品が合わなくて、

新陳代謝のように変えないといけなくなっていることに気がつき、実行に移した時に思ったのです。

あれ?自分にかまけているじゃないと。

そして、「今は、自分にかまける時期なのかも?自分を追及する時期かも。」と思ったわけです。

60代は、化粧も薄付きで、目元も明るく。

つい今までの延長でしてみたら、目がパンダになっていた。

ヒロクニさんは、「いいじゃないか!」とパンダの目元を見て褒める。

幽霊みたいな顔を鏡で見て、

「こいつは、娼婦みたいなのが好きなのか?」と。

理想が実行できる化粧品は、どれか?

もう、見ているだけで、波に飲まれて溺れそうな感じである。

智恵熱が出そう・・・。

それに、すっかり化粧品も進化している。

もともと、化粧品とかに関心が薄いほうだったわたしにも分る進化だ。

ヒロクニさんは、「化粧してくれ!俺、化粧に賛成!」と言いながら、

レオン・ラッセルのCDを取り出し、

↑「これも、メーキャップだからねぇ。」と言い、見せられた。

「こんなの、嫌!」

「もう、何考えてるの!」と、憤慨した。

あと、最大の問題である目元のくまはどうしたらいい?を解明していくと、

わたしのくまは、目元がたるんでいるせいで出来ているので、消えないそう。

指でくまの部分をひっぱたら、薄いしみぐらいだったので驚きました。

こういう人は、ストレスで歯をくいしばったりして、顔の筋肉が引っ張られすぎてたるみやすいのだそう。

「歯軋りして寝てたよ。」と言われることもあって、そういう日は、顎がだるい気する日もある。

歯を食いしばる行為は、顔の筋肉が不自然で硬くなっているらしい。

それには、顔の筋肉を伸ばしてあげないといけないそうで、顔の体操が乗っていました。

口を立てに開けると、筋が引っ張られて痛い。

すっごく痛い。

そうこうして、一週間ぐらい経って思ったことは、意識を集中してかまけた分、

少しづつ手に入れているもので、改善され、ましになっていることを実感しています。

思えば、ましになる。

これは、外見ですが、それ以外にわたしの中で、挑戦してみたいこともはっきりしてきました。

野望みたいなものなのですが、ここに書いてしまうと果たされないかもと思い書きませんが、

挑戦したいことがある。

「まず、思うことありき。」

思わないことは、果たされません。

私なんて、・・・。と思わずに、やってみよう!

こんなふうに考えています。

そうやって、自分にかまけて、ヒロクニさんをないがしろにすることが増えませんように。

一応、主人を立てる古いタイプの妻のつもり。

こんなふうに過ごしていたら、庭はほったらかし、掃除もしてないという事態に。

そう言えば、ヒロクニさんにも、わたしから話しかけてないという、ないない尽くし。

とりあえず、食べないと思っているから、料理ぐらいはしています。

 

 

今日は青空がきれい。

↑松の木が大きくなってしまいそびえ立っています。

この松の木で日の光が遮られていて、日当たりが悪くなっているのが残念。

 

↑青空を見ているのか?

この風呂敷の上が気持ちいいみたいで、よく昼寝をしています。

↑ことしのビオラ達。

リボンで色分けしています。

種からなので、寒くなった頃にやっと花をつけます。

好きな黄色のビオラは無事に咲くかどうか、いつもハラハラしながら育てています。

 

今日の絵は、ほんわり漂うような色鉛筆画。

秋に合っていると思って取り上げました。

おばさんの化粧の話なども書いてしまい、聞き苦しかったかもしれません。

「思わなかったことは、果たされない。」に重きをおいているつもりでした。

自分自身に、向かってこの言葉を投げかけてみました。

今日も、最後まで読まれた方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする