武内曰く「花泥棒だ」と言われ手渡された作品。
色鉛筆とクレパスで描かれた絵。
「花泥棒」と言われ、ガクッときた。
なんかもっといい言葉がないのかねぇ~と。
詩にも造詣が深いし、読む本も私より質が高い本をたくさん読んでいるのに、
このボキャブラリー。タイトルは「花泥棒」なんかちょっとヒロクニさ~んである。
私の中では、タイトルは「花追い人、スパイダーマン」という感じだ。
食卓のコップにに花を飾る習慣をつけて1年以上になります。
今の時期は、頂いた菊の花が混ざることが多い。
庭には、花が現在少ないので、ありあわせで花を飾っています。
ガーデニングをしながら、花がある生活が続いたせいか、
ヒロクニさんは、花をじっくり観察しているようで、色や形に不思議を感じている。
ある時、食卓の花をアトリエの仕事台の端にちょこんと置いていたりする。
花は、台所とアトリエを行ったり来たりする日常が繰り返されています。
そんな時に出来上がった絵の一枚。
なんか紫色がキョーレツな感じに使われていて、印象に残ります。
神戸大丸には、バラクラがあり、珍しい花があるので、
私は必ず神戸へ行ったら、花を見に行きます。(しかし、高いお値段・・・)
その屋上で、ヒロクニさんをバシャ。
すっかり冬支度のヒロクニさん。
なんか着こんで、熊みたいになってるのでした。
「屋上は気持ちよかったー。最高やね」の一言。
そして、また神戸の街の散歩へ・・・・。
春の準備が少しづつしています。
ピンクのエリカと、黄緑色の強い葉牡丹と、パンジー。
白い立て札が立っている所は、チューリップを植えつけています。
ピンクのエリカの花が扇状に垂れる種類らしく、今年のお気に入り。
パンジーは、コップに入れて飾るのを楽しみに成長を待っています。
会場で、写真を撮り忘れたので、私のへたくそなボールペン画で様子をお伝えします。
トークの3日前から、私に、当時の南京町のロック喫茶の思い出を語りはじめいろいろ思い出し始めたみたい。
2日前には、チラシを読み直し、乙中商店街の企画ということを知り、商店街の町おこしについても、
言及しないと意味がないと言い出し、そのことについて長く考え込んでいた。
紹介文では、70’~80’の神戸となっているから、
「そんなことは、話さなくてもロック喫茶VOXヒコーキ堂の面白く語ればいいのではないの?」と、言ったのだが、
「そんな子供っぽい話じゃダメだ」とか言い出す。
あまりうるさく言わず、「ヒロクニさんは、個人で話す時は大丈夫だけど、大勢を前にすると上る、しょ」。
「あまり自分を必要以上に、よく見せようと考えると上るわけだから、リラックスしていればいいよ」。とアドバイス。
実は、私も大勢の前で話すのは苦手な方なので、過去の失敗からの助言をしたのです。
過去、教育実習で母校に行った時、階段をのぼって挨拶を一言と言われて、階段を登ると、
人の頭がたくさん見えた瞬間、頭がクラ~ときて、緊張してしまい「ハーイ、コンニチワ」と言ってしまい、
ドッと爆笑が・・・・。さらに緊張が高まり「仲良くしてねぇ~」といい、また爆笑され、
顔が真っ赤になって、ドドド・・・と階段を降りると、また爆笑され、若い私は開いた穴があったら入りたかった、
という経験があるのです。どのように人に見られるかということを意識したことが裏目にでたということです。
最初は、ドカチンさまの質問にまじめに答えていた。
ところが途中から、顔や頭を覆ったりして、難しい顔をしだしたのだ。
自分の世界に入って行っているようで、ソファにぴったりと張り付き、そのままで話す。
マイクが遠くなって声が聞こえにくい。
ちょっと会場のスタッフに頼んで、「マイクから離れすぎているから、主人にもっと近づけて貰った。」
そしたら、マイクを振り払ってしまい、向こう側(反対側)に向ける。
ドカチンさんが、話を振り出しに戻そうと質問すると、質問に全然答えなくなって、
「ぶっちゃけ言うとね、南京町の店で俺がやろうとしたことは、政治とかとまったく関係ないところで、
俺の反逆をしたかったわけでね」
「ジャズも頂点に来ていたし、ロックミュージックが目新しく新鮮に感じたし、そこを発信源として反逆をしたかった」
と、爆弾宣言。(声、急に大きい)
神戸の南京町の公園になっている所が店のあった場所で、当時八百屋さんなども並んでいたらしい。
八百屋さんの区域はいい区域で、ヒロクニさんの店があった場所は、行ってはいけないといわれる区域らしく、
ヒロクニさんの店にも「おまえのとこ何屋や」と言ってヤクザも来ていたそうです。
ヤクザの親分はヒロクニさんに「まあ、先生も一杯」と言われて、静かに帰っていく話や、
店に火をつけられると困ると思い、店には夜に泊まるようにしていたという話も聞いて、びっくり。
それくらい、治安が悪い所だったらしい。
もっと、ロック喫茶での出来事を話して欲しかったような気もするが、ヒロクニさんにとっては、
40年くらい前の通り過ぎた時間で、現在は画家である武内ヒロクニの意識が強いのか、
途中から絵の話に変わったり、後半のトークはハチャメチャ。
当時の南京町を知っている60代ぐらいの方は、「あの話よくわかります」
「確かに行ってはいけないと親に注意された地域でした」と言う。
司会のドカチンさまが、うまくフォローしていてくださりねぎらうと、
「ヒロクニさんは昔からこんな人です。全然変わってない」とお言葉が・・・・。
ヒロクニさんも本質的にはすごく優しいけれど、周りの人の優しさ(おおらかな気持ち)、
男達の優しさもいいな。と、感じた瞬間でした。
帰りの道で「マイクは嫌いだ」とヒロクニさんは言った。
そんなところだろうと思っていました。マイクに反逆するな!!と思った妻です。
最近、ちょっと料理熱がさめていてあまり食卓の画像を上げていませんでした。
我が家では、太刀魚は軽く塩、こしょうをして、小麦粉をまぶしフライにします。
その他のおかずは、もやしとピーマン少々をにんにくと炒め、軽く塩、こしょうして
仕上げに少しだけ醤油のをたらした炒め物と、
さやえんどう(平べったく大きいもの)とブロッコリーの芯をやわらく塩茹でし、
溶かしバターをドレッシングの変わりにしたもの。(ヒロクニさんが、美味しいって)
簡単なてんぷら(ちくわ、のり、しその葉、まいたけ)です。ついでにじゃがいもを素揚げ。
右端にある黒い塊は、残り物のカレーのルーです。
50cc位の焼酎を飲むため、酒の肴になりそうなものをつい増やしてしまいます。
いつも、ヒロクニさんとちょこっと晩酌するのです。
庭仕事は、球根の植え付けや、土の再生、今年は野菜は玉ねぎに挑戦しています。
柿の実は成り放題で、近所やいろいろな所に配るのに忙しく、何故か忙しい日々。
こちらのフォト展にて、ゲストととしてトークイベントをします。
Dokachin氏とは、ロック喫茶VOX飛行機堂からのつき合い。
武内が「ちょっと店みててくれる、君」。と言いい、店の留守番をさせられた人物の1人。
そして、「ヒロさんは、僕の人生の原点でもある」という。
私は、わが夫がそんな存在だったと聞くと、嬉しくもあり同時に驚きます。
(その頃は、まだ知り合ってなかったので・・・・)
写真のパネル張りを少し手伝う時に写真を見ました。
写真もなかなかカッコイイ。
そして、温かみを感じました。
ヒロクニさんがゲストとして、参加する日です。
もし、良ければ足をお運びの程、よろしくお願いします。
こちらのミュージシャンもゲスト出演。
Guest天野SHO 他にも急遽LIVEになることがあるかも?
なんだか、楽しげな感じの写真展になりそうです。
●ブレイガイドジャーナル バックナンバーの展示
場所:ミミソラ オーディオ
住所:神戸市中央区栄町通2-1-2 東ビルB1
ホームページ→ http://www.mimisola.com/
電話:078-392-5587
営業時間:11:00~19:00
日時:11月14~29日の各金土日祝のみ開催
私はどんな話をするのか?
聞くつもりです。
14日は会場にいます。
楽しみにしています。
日常のヒロクニさんは、ゴーギャンの世界へ埋没。
ゴーギャンの世界 (講談社文芸文庫) | |
福永 武彦 | |
講談社 |
この本すごく面白いらしく、4日間で読み終えたヒロクニさん。
確かに、ゴーギャンという人は、株式仲買人という仕事をして非常に裕福な暮らしを捨て、
絵画に没頭し、最終的にはタヒチの奥で梅毒にかかって、死んでいく。
何故、このような人生を選んだのか?という疑問がとても大きい。
ゴーギャンは、たくさんの手紙を家族に送っているらしく、非常に家族への愛情も深く、
罪の意識を吐露していることや、さまざまな点を、福永武彦氏が自分のわかる範囲を
丁寧に書いているらしく、その内容を延々と4日聞いていた。
その間私の頭の中には、ゴーギャンの絵が浮かんでは消え、浮かんでは消え、
ゴーギャンの絵の色彩や絵肌が浮かんでいた。
花を持つ女
ノアノア
アハ・オエ・フェイイ(妬いてるの?)
マタモエ(孔雀のいる風景)
この絵が特に好き。
白い馬
ゴーギャンと言えば、黄色いキリストの絵もよく覚えている。
ゴッホとゴーギャンが共同生活を送って、すぐ破綻。
その時にゴッホが自分の耳を切り落としたのもキョーレツな出来事でした。
しかし、ゴーギャンの絵にも安らぎがあり、彼の人生はただ悲惨だったのかと考えるのは愚かなことのように思います。
ゴーギャンは、修行僧のような感じが私にはするのです。
絵画って、いろんな示唆を与えてくれるので、とっても好きです。
川の匂い、鉄の匂い、遠い空、孤独。
寂しくて明るい神戸の街。
阪急六甲から山側の王子公園を
見てみると、三宮駅。
「西口」と題して作った作品。
阪急、三宮駅西口、
短いエレヴェーターを降りる。
波は岸辺に打ちよせ、地平の向こう。
心のどこかがいつも「行方不明」。
文・武内ヒロクニ
この文章は、トイレの戸に貼り付けてあって、いつも読んでしまうのです。
『心のどこかがいつも「行方不明」』という所で、
私は、心配な気持ちになる。
行方不明な心を探さないといけないのではないか?と、
真剣に思ってしまうからです。
わたしは、心が行方不明などと微塵も感じたことがない人ですから、
「いけないわ。この状態は・・・」とトイレでいつも思っていました。
トイレに行けば、必ず読んでしまっていた文章ですが、
3日程前読んだ時、ヒロクニさんの散歩って、こんな感じなんだろうなぁと
急にストンと腑に落ちたのです。
ヒロクニさんの感性に「センチメンタリズム」というのは、あるのです。
そういう感性から、この詩のような文章があるのだなぁ~と理解ができた。
53歳のおばさんの私をいつも「さほりちゃん」と呼ぶ。
朝、母親のことを「ミネ子」「ミネ」と父親が呼んでいた話をしてくれ、
決して「おい」とか、「おまえ」とか、「お母ちゃん」とか呼ばないところが、
好きだったなぁ~ということを話してくれた。
「さほりちゃん」と呼んでくれる下地があるんだ。と、
色々知った日でありました。
(怒っているときは「君は!!!」なんですけど・・・・)
上記の絵は、街の女の子がモデルのような気がします。
三ノ宮に一緒に散歩すると、いろんなタイプの女の子を見かけます。
街で見る女の子を具現化しているのでは?
上記のような絵を描いたと思ったら、こんな絵も出来上がってくる。
最近は、スタイルを壊しているんじゃないか?と、いうくらい、
描く絵に統一性がない。
形にこだわっている絵と、ドローイングのような絵が交互に描かれていて、
ヒロクニさんの頭はいったいどうなっているのか?
あと、破ってしまう絵も多い。
この絵もなんか不思議な気持ちにさせるところがあり、
これはこれで、いいなぁ~と眺めています。
ブログの更新が遅れている間は、とても忙しかった。
ちょっと、お手伝いに三ノ宮の元町まで足繁く通っていたので。
その上、球根の植え付けや、土の再生、柿もいい感じに色づいてきて、
取らねばと思うが、時間がないから、畑の方に高枝ばさみを渡して、「取ってください」と。
明日は、なんとか柿を取ることが出来たらいいなぁと予定にしています。
私が土を触っていると、草むらで安らいで寝ています。
ジルは、高いところに登らない猫で、地べたが好きな奴です。
「ジルは、ヘンな猫だなぁ」と喋りかけることが多い。