白い夾竹桃の花が積もった、外の仕事台。
元素智恵子(高村光太郎・智恵子抄より)
智恵子はすでに元素にかへった。
わたくしは心霊独存の理を信じない。
智恵子はしかも実存する。
智恵子はわたくしの肉に居る。
智恵子はわたくしに密着し、
わたくしの細胞に燐火をもやし、
わたくしと戯れ、
わたくしをたたき、
わたくしを老いぼれの餌食にさせない。
精神とは肉体の別の名だ。
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極化。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の眠る時わたくしは過ち、
耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい。
智恵子はただとしてとびはね、
わたくしの全存在をかけめくる。
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑う。
心の中で、智恵子抄の中の詩の一節「智恵子は元素にかへった」という言葉が身に沁みる。ヒロク二さん共々、お世話になった女性が亡くなった。立場も人格もわたしとはずいぶん違う方で素敵な人だ。時々アイコンタクトを交わして交友した。そんな彼女は、元素にかへってしまったのだという思うと寂しい。うまく気持ちを表現できないので、高村光太郎の詩にたくして「鎮魂歌」として捧げたいと思いました。わたしは、仏教でいう輪廻転生や、死後の世界はあると思う派なので、光に包まれていらしゃると思っています。