出来立ての作品です。(油彩と色鉛筆の混合)
「パチン!」という弾ける音が聞こえてきそう。
ボクシングの試合を見ているような絵。
毎年書くことですが、ヒロク二さんは冬は外に出ない。
自分のタバコすら、買いにいきません!!
家にいてすることは、制作。朝起きると制作。
そして、11時頃に朝昼兼用の食事をとる。
そして、制作。
5時に猛烈にお腹空くらしく、昨日の残り物でご飯と軽い食事。
夕食は、8時に。
毎日、毎日この生活の繰り返しの日々。
その生活が維持できるのは、私の按摩だ。
私自身も肩こりなので、ありとあらゆる事を試してきた。
だから、ツボとかにも詳しく、ヒロク二さんにとっては名マサージャー。
足裏のマッサージの免許も持っている。
時々、おもむろに足を私に突き出す。
こういう時、ちょっとギョッとする。
無言で足なんかを急に目の前に突き出し、もう按摩してもらう体制に入っている。
「勝手に、その体制に入るな!」と。
なんか、でっかい猫を飼っているような気持ちもする。
だからジョーダンで、「ヒロりん~。」(ジルを呼ぶときは、ジルりんと呼んでいるので)、と言い、
「スリスリしなさ~い」と顔の所で、手をヒロク二さんにスリスリさせると、
ヒロク二さんは「むにゃ、むにゃ、ゴロゴロ」とのたまった。
猫になっている・・・・・・。1分ぐらいしていた。
「ああ、凄い猫」と心の中で、ため息。
気難しい顔から、この一転する無邪気さ。
「同じ人間なのかよぉー。いろんな顔があって複雑な性格です。」
生真面目とギャグも180度で行ったり来たりする、我が良人。
当人より、絵だけを重視して下さいね。
ヒロク二さんの絵は芸術作品です。
最近、歴史が面白くて、歴史の本ばかり読んでいます。
特に近代に焦点を当ています。(この近代という言葉も日本だけの識別だと知りました。)
教科書的な歴史ではなく、物事の本質と事実をもとに思考している。
なんか推理小説の謎を解くような感じです。
そうすると情緒はじゃまなので、冷静な判断のみとなります。
善悪の判断もしません。
そうすると文系の頭というより、理系の思考が必要になり、ヒロク二さんと会話がかみ合わなくなるのです。
頭は芸術系の事が考えにくくなり、あの色がいい感じだなぁ~とかの感覚が減るのです。
しかし、歴史ミステリーはやめられず、すでに40冊の本が部屋に詰まれている。
この感覚をてっとり早く消し去る方法があって、それはローリング・ストーンズを聴くこと。
イデオロギーや政治的思考(歴史はそこに触れる場合も多いので)が、吹っ飛んでスカッとするのです。
ヒロク二さんが「政治を芸術に持ち込むな!!」というのは、そういう事なのだと痛感しています。
芸術は純粋であれ!
そんなことを思いました。
ヒロク二さんの絵も自由な心で楽しんでいただけたらと思います。
冬の日の夕食。
冬は牡蠣フライも美味しいですね。
家でカリッと揚げました。
あとチキンローフと昨日作った煮物や筑前煮が添えてあります。
チキンローフは、ひき肉に色々混ぜて蒸すだけなので、以外と簡単です。
赤い所は、金時にんじんをスープで煮た物を入れ込みました。
この絵は、我が家にはじめての猫が来た時に描かれたクロッキー。
ヒロク二さんが、キタハマと名前を付けました。
キタハマは大阪から来た猫ちゃんなので、大阪の地名がつけられました。
大仏次郎氏(鞍馬天狗などの原作者・小説家)の猫を飼っている写真を見てから、「猫飼いたい」「猫飼いたい」と日々思っていたのをきっかけに、「猫をもらって下さい」の新聞のコーナーに電話して、迅速な動きをして貰ってきました。
ヒロク二さんは反対していましたが、何度も嘆願してそのひつこさに負けたのか、「いいよ」とお墨付きをもらう。
ものすごく猫好きな家で、猫専用の5畳ぐらいの小屋があり、たくさんの猫が待機していました。
迷うぐらいたくさんいて、選べないでいると、1匹の猫が膝に乗ってきました。それがキタハマです。
来た頃のキタハマ。
ソファーの上でまっすぐに伸びて、それがすごく愛らしい。
こうして、私達はキタハマのとりこになっていくのです。
アトリエでコチョコチョと遊ぶキタハマ。
私はこの頃、大阪の堂島でCADオペレターとして仕事をしていて、ほとんど家にいない。
ヒロク二さんとキタハマは、朝から晩まで2人で留守番なので、キタハマはヒロク二先生っ子になっていて、ヒロク二さんが大好きに・・・。
この写真は私が好きな写真。
花とキタハマのシルエットがとても気にいっている。
猫の形って、キレイなんだなぁと思った写真です。
この部屋は、寝室になっていて、ヒロク二さんとフランス映画を夜良く見た部屋でもあります。
キタハマは白黒の映画だと、ジーと見るので、
「こいつは名画が好きなんだ」と2人で笑った日々を思いだします。
アトリエのヒロク二さんとキタハマ。
もう、すっかりアトリエの住人になり、ヒロク二さんの横で意地でも過ごす猫ちゃんになった。
ヒロク二さんが絵を描く動きを見るのが楽しいらしく、いつもピタリとくっついて、
最後に寝るのです。その様子が微笑ましく横で見ていると楽しい気分になるのです。
今現在の家に引っ越してからの写真。
ヒロク二さんが、こんな風に猫を可愛がるとは・・・。
私はヒロク二さんのにこやかな顔を見ると、心が穏やかになり、嬉しい気持ちに包まれるのでした。
キタハマは、ヒロク二さんにベタベタ。
ヒロク二さんにおねだりの様子。
のりの匂いに敏感で、お待ちかねの様子。
なかなか美人なキタハマ。
賢く、言葉も理解(単語ですけど)するし、「こう来たら、こうでしょう」という振る舞いが、
私達2人にも良く分かり、飼い主は、この裏をかいた行動にでてやろうとか、対話が出来る猫ちゃんでした。
飼ってから18年の歳月が知らない間に来ていた。
年末、歯がガチャガチャいうようになって、私にピタッとくっつくようになり、
嫌いな抱っこをすると、嫌がらなくなり、びざにものるようになってきた。
そのうち、口臭がきつくなり、フラフラと倒れそうに歩くようになった。
それでも、ご飯も食べるし、決まった時間の散歩は欠かさずパトロールしていました。
寒いのに外に出たがり、夕方は冷え込むので、心配で畑にいるキタハマを見つけると、抱いて家に連れて帰る。
夜は、私の横で寝るようになり、しんどそうなキタハマを優しくなでていました。
ある夜、キタハマをなでているうちに、そっと心臓の音を聞きました。
トク、トク、トク。となるキタハマの心臓を聞いているうちに、不正脈のようになる時があり、
心配してズーと聞いていた。キタハマが大きなあくびをした。
それから、心臓が止まり動かなくなった。
あっけにとられたというか、まだ生きているような気がして実感がなく不思議な気持ちに。
ヒロク二さんに言うと涙が出てきて、ヒロク二さんも涙。
数日間は、本当に寂しかった。家が静かで・・・。
そして、死体になったキタハマは、2日目は完全に物になった。
生きている時は、物ではなかった。
その境目が不思議でならなかった。
「死とは、残された者の悲しみである」と強く思いました。
キタハマは、私達と共に生き、楽しさや嬉しさを降り注いでくれた存在です。
魂みたいなものを信じている私は、キタハマはこの世で、徳を積んで、あの世に旅立ったのだから、
きっと安らかな所にいっているでしょう。
人も徳を積んで亡くなった方は、死んでからの世界では評価されるんじゃないだろうか?
私のような人は、中途半端な所へ行くのではないか?
そんな心配をします。
それとりも怖いのは、ヒロク二さんが死んだら、寂しくてしかたないのではという心配。
手のかかる憎めない奴がいなくなったら、寂しいだろうね。
将来、ボケ老婆になったりして・・・・。
死体になったキタハマを2日に渡って布団の横に置き、なでなでしていた私に、
幻想怪奇小説が好きなヒロク二さんは、「ミイラと寝ていたとかいう話があるよね~」とか言いだし、
怪奇幻想ロマンの小説の話をするのでした。
正月は、料理をよくしました。
夕食は、ほとんど2人で晩酌。いつもより少しお酒も飲んで、過ごしました。
正月三箇日が終わった頃、ヒロク二さんが体調を崩し、吐き気がすると寝込むことに・・・。
肩こりと眼精疲労が胃腸まで下りていったようで、気分が悪いと寝込んでいました。
実は、家の猫ちゃん、キタハマちゃんも老衰に入ったらしく、ヨロヨロと歩きながら、尿意をもよしても砂場に間に合わないらしく、粗相をあちらこちらでするようになり、2人の世話に負われていました。
その上、パソコンもつぶれるし、(今は修理に出して帰ってきたが)平常に戻るののに時間かかっていました。
なんといっても、1月10日にキタハマちゃんが亡くなってしまいため息。
そんな1月ですが、変に運気が悪いと思わず、ひたすら地味にやってイコー!!と心新たにしています。
「珈琲を飲む日常風景」が描かれているようです。
珈琲好きなヒロク二さんの日常のようでもあります。
いつも思う事なのですが、ヒロク二さんの絵には音を感じるのです。
ロックやジャズ、民謡、ありとあらゆる音楽が好きなヒロク二さんの世界というかな?
以外なのは、民謡の素晴らしさを語る時があって、「なんでも詳しいのね~」と感心する。
ヒロク二さんの音楽に対しての感性は、評論とかではなく、ヒロク二流で語られている所が聞く方にとって、面白い。
音楽はいつもかかっているので、「ここの部分の○○聞いてごらん」とか言い、「ここが素晴らしいだろ」という風に言ってくれるのです。
しかし、○○としか書けない私は、言われていることが頭に入っていなくて、一度しか聞いてないものは、すべて忘れている。私は同じアルバムをしつこく身体に染み込ませるように聴いて、おぼろげな感想を持つタイプで理解とは程遠い感想を持つタイプであります。
ヒロク二さんの最近買ったCDは、マイルス・ディビスの「COOKIN 'WITH THE MAILES DAVIS QUINTET」。
「このあたりのマイルスをもう一回聞きなおしたい」とマイルス熱が上がってきているヒロク二さん。
そうして、こんな音かぁ~。と、おぼろげな感想を持つのが日常。
それでも、ヒロク二さんからの紹介で、名盤やいい音ばかり聴いていると、それ以下すぎるものは退屈だったりするから、分からないなりに、分かりかけているのかしら?と自問自答する。
ヒロク二さんの絵もそんな要素があるので、横でいろいろ考えるのでした。
ヒロク二さんの身体?脳?には、どんな風に音楽が刷り込まれているのでしょうか?知りたい・・・。
脳のシノプスが違うかったりして・・・。絵も普通じゃないしね。
こちらは、道が描かれています。
帰宅を急いでいる時の路かな?
散歩の路?
上記の作品と同じ頃に描かれた絵です。
最近、色鉛筆の使い方が複雑になってきているような気がします。
しかし、難しい絵。(私の感想ですよ)
空間の事を意識して描いている、実験しているの絵だと言うのは、おぼろげに感じます。
12月に庭で遊ぶジルくん。
キタハマが亡くなったことに全く気がついていなくて、ひたすらマイペースな猫です。
ジルは、ほとんどの時間を外で過ごすので、キタハマがいなくなってから家の中が寂しい・・。
ヒロク二さんも私もキタハマのことを語ると涙目になり、目が赤くなります。
キタハマは、18年間ありがとう!
「ありがとう、キタハマ!」
そして、ジルもいて良かったかな?と思います。
明けましておめでとうございます。
関西でも雪が積り、我が家の庭も真っ白くなっております。
昨年は、あまり夫婦喧嘩もせず、淡々と過ごした1年でした。
今年は、神戸、ギャラリー島田での個展を7月に予定しております。
今年はどんな1年になるのか?
まだ、全然分かりません。
ヒロクニさんは、意識的に実験的な作風が多く、試作品のようなドローイングを山ほど描いていましたが、
ブログで取り上げるには中途半端なものが多く、つまり、わけわからん的なものが多かった為、
そういう作品は載せませんでした。
年末に77歳になり、「えっ、俺ってそんな年齢になってたの?」と言い、
正月早々、「寒いちゅうのは、人をバカにしてる!」と私に怒りを打ち明け、アトリエで絵を描く人です。
あんまり言われると「寒いのは、私のせいじゃない」と言って、そっぽを向く。
「日本の冬ってのは、許せん!」とも言い、「正月は、嫌いだ」とかも言う。
心の中で、日本の冬しか知らないくせに・・・・。
正月を楽しむ事がない寒い奴・・・。
と、思うのですが、正月もいつもと同じように制作に励む姿を見ると、日常の毎日制作する生活が
すごく好きなんだなぁ・・・と思い、そういう事か・・・。と納得しました。
こんな風に相手の立場になって考えれるようになり、喧嘩が減っています。
喧嘩したら、それをつらつらとブログに描いていましたが、それが減って、ある意味なんかつまんない。
いい子になってしまったつまらなさ。
ヒロクニさんは、永遠の不良でいて貰いたいと思う妻です。
永遠的に不良絵画を追求して行って欲しいものです。
この絵は、「手の自由」とタイトルが付けられています。
ドローイングの中から、完成に持ち込んだ作品です。
上記の作品の片割れの絵。ノートの見開きに描かれていた2点の作品。
「赤いヒト」というタイトルがついています。
ヒロクニさんの作品は、センチメンタルな情感のものと、力強さを感じる作品に二分されますが、
今回は、力強さを感じる作品ですね。
繊細なのか、野蛮なのかわからない複雑な感性が同居しているヒロクニさん。
不思議な感性の持ち主です。
今年も、武内ヒロクニをよろしくお願いします。
冬の庭で咲いている唯一の花。
「ムーランフリルパンジー」と言って、イタリアのパンジーです。
雨上がりに撮りました。フリルがキツく入るパンジーを選びました。
結構、豪華なパンジーなので、摘んで食卓のちゃぶ台に飾っています。