武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ふたり(色鉛筆作品紹介516) と ヒロクニさんと島尾敏雄の話

2019-06-30 16:58:57 | Weblog


「ふたり」という作品。
しかし、変な人だ。
左は、男性で、右は、「ねずみの亡霊」がいるのだろうか?

左のヒトの眼らしきものは、いつも地下鉄の入り口に描かれる形です。
ヒロクニさんの絵には、「地下鉄シリーズ」というのがあり、地下鉄をモチーフにした街の絵があるのですが、
その絵とも共通した部分もあり、風景画の感じも半分入っているような、そんな絵のような?
不思議な絵で、私も、なんと言ったらいいか分からないのです。


最近、ヒロクニさんは、島尾敏雄氏(小説家)の「日々の移ろい」を読んでいて、
読んだ部分のストーリを話てくれる。映画化された、「死の棘」の原作者です。

島尾敏雄氏が、奄美大島に住んでいた頃の随筆で、徳之島生まれのヒロクニさんは、幼少のころ育った風土を思いだしているようです。
懐かしい子供の頃に、育んでくれた自然。風や土地。木々。海。船。祖父。祖母。家等を。
「日々の移ろい」は、尾敏雄氏の奥さんが、ちょっと精神をわずらった時期に
療養も兼ねて、奄美大島に暮らしていた時期に書かれたものらしい。

奥様のミホさんが、あらゆる種を畑に蒔く様子を見ている島尾敏雄さんの話や、
素朴な生活の断片を語ってくれます。
アスパラガスの種まで蒔いていたそうで、ちょっとビックリした。
アスパラガスは、根から育てるのが一般的なんだけど、種もやはりあるみたい。


梅雨に入り、まだまだ話を聞いていたが、ヒロクニさんは急に、「寒い!」と言い出しストーブを点けだす。
話をおとなしく聞いていたが、暑くて話どころでは、なくなった。
この蒸し暑いのにストーブを焚かれるなんて、拷問だ!
さっそく、文句を言いに「服を着ろ!」「頭おかしい?」「ガス代がもったいない!」と、口うるさく言い、
ブッチっとガスストーブを消す。
ヒロクニさんは、ちらっと私を見て、軽蔑するようなまなざしで見る。
本来は、軽蔑されるべきは、ヒロクニさんだと思うのだが、家の中では、強く思いこんだ方が勝ちなので、
ややこしい会話になる。
「俺は、寒いからつけているんだよ。」と涼しい顔でストーブを点火。
片や蒸し暑くて、汗をだらだら汗を流す私。

なんか、こうなってくると「日々の移ろい」ではなく、「死の棘」状態だ。
「死の棘」は、妻が夫の浮気を問い詰める内に精神的におかしくなっていって、その妻のエスカレーションした状態に
 夫は付き合うしか選択するしかなく、夫はどんどん追い詰められて・・・・・という話なんですけど。

寒いと思ったら、とことん機嫌が悪くなり、マイナス方面になるヒロクニさん。
「靴下と、上をもっと厚着をして!」というと、
私の口真似をして、「靴下!靴下!」と言い、その素っ頓狂なモノマネを見ると、ほんと頭にくるのだ。


変人と一緒にやっていくのは大変なんです。トホホ・・・・。

そして、我家にあった島尾敏雄の「死の棘」の本は、以前に、私に破られてバラバラ事件になって、手元にありません。
「死の棘」の本の感想は、我家では、語ってはならないことになっています。


暑苦しい話題で、すません。
81歳と56歳にもなって、まだまだ夫婦喧嘩をする夫婦で、未だ子供な部分があるような??




さて、醜い夫婦の話は、さておき。
梅雨に入る前の庭の様子です。


↑全体はこんな感じ。 黄色い百合の後ろは、山芋を植えています。さやいんげんも大きくなって。



↑ミニトマトとニチニチ草



↑朝顔やジニア。トマト。



↑小芋。こちらは、ヒロクニさんの友人から苗を頂き、昨年は、大失敗してしまいましたが、
 今年は無事大きくなったらいいなぁ~と。



↑こちらは、ししとうと小玉すいか。小玉すいかは、近所の方からおすそ分けで頂きました。
 なんか青々としていています。


土の再生の作業もほぼ終わっているので、今は、家で刺繍をしています。


↑こちらなんですけど、試作品が出来上がりました。(試作品なので、ちょっと刺繍が乱れていますが・・)
 この柄は、ヒロクニさんの絵の中から取りました。
 ヒロクニさんは、えらく気に入ってくれて、「凄くイイ。」と言ってくれてます。
 ポケットTシャツを何枚か作るつもりです。

 刺繍は好きみたいで、疲れなければ、いつまでもやっていたいみたい。
 














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夕暮れ(油絵9)作品紹介515 と テレビを見る猫

2019-06-24 13:43:01 | Weblog


7月に、ギャラリー島田でのミニアチュール展のために、制作中の武内。
1点を出品なのですが、あれやこれやと描いています。
その中の1つ。
本人が出展するのに一番しっくりくるのを出す予定。
1枚目の候補がこの作品。(まだ、決めていない)

私は、「サインを入れたら?油は乾くのに時間がかかるよ。」と言ったが、
そのままになっている。

この色は、ヒロクニさんの夕焼けの色。
色鉛筆の作品にもこの色が使われていて、「夕暮れ」というタイトルの絵がある。
雲の形がなんともいえない。唐突だ。
いつも色の感覚が冴えているというか、使い方にハッとさせられる。

ヒロクニさんは、実は、女性的な感性ももちあわせているのです。
それが、色彩の感覚の豊かなところの所以かもしれない。
大抵の男性は、女性の買い物、洋服とか化粧品の買い物には、付き合いきれないというか、
一緒に見たりしないと思うのだが、口紅などを選んでいたら、
「この色いいんじゃない?」とか、
「俺、この色好きだなぁ~。」とか、横からいろいろ言う。
服なんかは、これ着てほしいなぁ~と一緒になって考えてくれる。
実に、軟派な感じである。

しかし、時々とんでもないアバンギャルドな服を勧められたりするので、「やめて!」と思う。
私のセリフは、「もう、こんな服を着れる歳じゃないの!」だ。

このアバンギャルドな感覚は、小物(スカーフやピーズのネックレスなど)をプレゼントしてくれるモノに発揮されると、
アクセントとして、大変お役立ちになるので、ヒロクニさんってセンスいいとよく思います。

こうやって、色や形、雰囲気のある女性のものに接するのは、普通な人なんです。
一時、カラフルで万華鏡のように細かい色鉛筆画を描いていた頃は、
「色気違いならぬ、イロキチガイ。」と紹介されたりしていました。

女性的なことは、すんなり受け入れて軟派な感じではあるが、
絵の事になると、硬派な感じになって知性のない絵は、ダメだ!と、豪語します。


現在は、作風はややシンプルになってきているのは、ヒロクニさんも晩年の制作に入ってきているのかもしれない。
そんな風に感じながら横にいます。ダーリンは81歳ですから。



その傍らで我、家のピピ(猫ちゃん)は、マイペースで、テレビを見ています。
ヒロクニさんがテレビをつけっぱなしにして、アトリエに行ってしまっていたら、
ピピが非常に熱心にテレビを見ている。
あまりにも真剣なまなざしに、なんか胸が熱くなった。


こちら↑
私は夕食を作りはじめようかな?と思った時。
『ダーウィンが来た!生きもの新伝説』という番組。



画面を見てみると↑
真っ黒で、膨らんで奇妙なダンスを踊る鳥をじ~と見ているのだ。
つい、私も一緒に見てしまった。
踊ると光を放つ部分があって、真上から見ると、それが人の顔に。


食い入るようにみているピピ。↑
真剣。



場所を変えて再び真剣。
「熱帯のミステリー 踊る!漆黒の 人面鳥」というタイトルで、パプアニューギニアの鳥でした。
ピピは、番組の終わりまで見ていました。
なんか集中力ある猫なんだなぁ~と感心。感心。
また、一緒にテレビ見てみたい。


でも、テレビの報道って、いつも思うけど、レベルが低いなぁ~と、ため息。
重要な出来事は、隠している時があるし、まあ、洗脳されないように客観的に見るようにしています。
ヒロクニさんなんか、チャンネルを一定に止めないで、すごいスピードで変えていきます。
その変え方の速さ。
挙句の果てに、ブチ!
画面の変わる早さで、めまいがしそう・・・・・。
ヒロクニさんの性格は、イラチであります。


まあ、とにかく、またピピと見れる番組が、またありますように!





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顔(色鉛筆作品紹介514)と 俺は引きこもりなのか?

2019-06-16 16:40:24 | Weblog


画像を接いだので、線が入ってしまいましたが、1枚ものです。
最近作。
この絵を出来た頃、現代美術家の方が我家に来まして、ヒロクニさんはこの絵を見せた。
「これどう?」とヒロクニさん。
美術家の方は、「う~ん。よくわからないかな・・・・」と困り顔。
正直な方だ。わからんものは、わからんでいいと思う私なのでした。
しかし、私は、その方の作品の方がわからないので、いろいろだなぁ~と美術事情を考えたのでした。

ヒロクニさんの絵も現代美術のカテゴリーに入るのか?私が現代美術家と思っている画家を浮かべてみる。

マルセル・デュシャン、ジャン・フォートリエ、ジャン・デュビュッフェ、マーク・ロスコ、イサム・ノグチ、
ジャクソン・ポロック、ジョン・ケージ、 ヨーゼフ・ボイス、ロイ・リキテンスタイン、 ロバート・ラウシェンバーグ
アンディー・ウォーホル、イヴ・クライン、サイ・トゥンブリー、草間 彌生、ニキ・ド・サンファル、ジャスパー・ジョーンズ
フランク・ステラ、キース・ヘリングなど。

マルセル・デュシャンは、現代美術の創史者のような存在だ。
ジャン・デュビュッフェは、今よく耳にするアウトサイダー・アートの創史者のような人。ヒロクニさんも私も好き。
マーク・ロスコも優雅である。
イサム・ノグチは、日系のアメリカ人で、彫刻家であるが建築、特に造園家としての日本庭園が有名です。
ジャクソン・ポロックは、アクションペインティングの創史者た。
ジョン・ケージは、ヒロクニさんがとても好きで、その関係の本やら、CDなどもたくさんあり、肖像画なんかも描いている。
ヨゼフ・ボイスは、ヒロクニさんの絵のコレクターの方が作品を収集していらして、見せて頂いたことがある。
ロイ・リキテンスタイン、 ロバート・ラウシェンバーグ 、アンディー・ウォーホルは、アメリカのポップアートの大御所だ。
ニキ・ド・サンファルのオブジェの大量生産の張子は、我家にある。
フランク・ステラは、優雅で精神の大きさを感じさせるアーティストです。

この辺が、私の思う現代美術なのですが、今はもっと変容しているようです。


ついこの前、今の美術手帳を久しぶりにみていて、現代美術も私には分かりにくい作品が増えた。
もう、時代について行っていないというか、ついていこうともしていない私になっている。

私の作品の見方は、自分の中で意味をなすものとなさないものに分ける。この時カテゴリーなどはいっさい無い。
この自分の中というのを説明したいが、簡単にいえない。
いろんな絵を見てきて、感動した絵と、無視して通り過ぎた絵の振り分けが凝縮したものが、
私にに集約されていると、説明したらいいだろうか?

そんな私が若い頃、武内ヒロクニ展を見に行って、ヒロクニさんの絵画は、私が求めていた1つの絵画だったのです。
今回、取り上げた「顔の絵」。私は、好きなのです。
フォルムの広がり方とか、ちょっとした静けさが感じられるところとか、感覚だけになっているところとかが。
とっかかりというのがあるのです。

ヒロクニさんも美術のブームにのったりして、「グループ位」のメンバーだったりしたことがあるけれど、
今はそんな事もそぎ落とされてしまって、ただひたすら色鉛筆を握っている感じなのです。



そんなひとですが、やっかいなことを言い出すのが常。

ヒロクニさんは、「俺はひきこもりか?」と急に言い出し、
「俺が引きこもりかどうか議論しようぜ!!」とノリノリな感じで言い始めた。
テレビで引きこもりが50万人~60万人いるというのを見てから、自分の事を思ったのでしょうね。

その会話。

私「あなたは引きこもりではないと思うよ。」

ヒロクニさん「ここまで、外に出なくなっているのは引きこもりと同じじゃないのか!」

私「あなたは、めんどうくさがって外にでないだけです。」

ヒロクニさん「それが、引きこもりだっていうのだよ。」

私「あなたは家で仕事をしているのだから、家にいるのが仕事になってしまっているでしょう?」

ヒロクニさん「宝塚、この眠った町にいるから、俺もここの空気に同化してきてしまっているのだ!
       クソッ、この腐った昼寝の町め!いまいましい!」
      「こういうことは、妻が気を利かすもんなんだ!」

私「自分が外に出ないことを、宝塚のせいにするな。」
 (イライラしてくる)

ヒロクニさん「なんだ!偉そうに!」

私「前、出かけようっていった時、何回も、今日はやっぱり制作するからやめとこうって、何回機会をおじゃんにした?
  自分が悪いのだろうが!!!!」

いつものパターンで、口論に・・・・・・・。
「妻が気をきかすものだ」のくだりで、責任を転嫁してくるから、跳ね返さなくっちゃ!と躍起になる私。
確かに、宝塚も田舎でのんびりした町で、ヒロクニさんの育った街中(神戸の街)とは、違うだろう。
宝塚で、ジャズをかけている店に入っても、神戸の街のジャズ喫茶のように、話が弾む人はいないし、寂しいのだろうね。
確かに、ぼんやりした人は多いような感じではある。
会話をしながら、ジャズのセッションのように、頭脳を刺激するような感覚的な快楽はやはり都会でなくっちゃと。
ヒロクニさんのの感覚をうけとめてくれる感性のある場所を求めているのだろうと思います。

なにもかも私ですまそうとするから、無理がくるのだ。

さらに、「愛の形成について語ろう。」とも言い出し、

「俺、愛は科学みたいなものだと思うんだ。」と。
「だけど、都合、不都合っていうのがあって・・・・・・」と。

ああ、もうやめてくれい・・・・・・。と私は内心思う。
夫婦で愛の話をするのは勘弁して欲しいと。
なんか、ねちねちとお話を延々とするのが好きなんでしょうね。
やっぱり恐るべし、武内ヒロクニなのでした。



そんな夫婦の横で、マイペースなピピちゃんです。↓


ピピちゃんは、顔がユニークなんです。
まん丸な目で写っていた写真が可愛くって里親になりましたが、やっぱり目が可愛いのです。
今は、座布団が好きで、廊下にある座布団と台所にある座布団の上を行ったり来たり。
目の前に来て座る時は、身体を撫ぜて欲しいみたい。
撫ぜるとゴロゴロのどを鳴らして、お尻をグッと上げてご機嫌のよう。
ヒロクニさんのお話攻撃があっても、ピピによって癒され、立ち直るのでした。

また、ヒロクニさんがピピに「ピー、何しているんだ。」と語りかける姿を見ても微笑ましくて癒されます。
いつも同じことを言うのですが、「こいつは、目が可愛いねぇ。」と言います。
なんか、ホッとします。

















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櫻島 作品紹介(513) と 建国神話

2019-06-08 14:22:10 | Weblog


タイトルは、「スミレ荘」から
色鉛筆画の初期の頃作品です。
遠くに見えるのは、桜島。

ヒロクニさんの幼少期は、九州です。
生まれは徳之島で、疎開先は宮崎県だったと思います。
桜島から降る噴煙で、学校の机に薄っすらと教室が白くなることなどを話してくれるので、
なるほど~そんな体験をしているのね。と、面白く聞いていました。
そのころ毎日見ていた桜島が、幼少の体験で沁みこんでいる。
そんな絵を紹介しました。


少し前のことですが、ロームルスとレムスが狼の乳を飲んでいる絵をみたことがあります。
この2人は、ローマの建国の神話に登場する双子の兄弟で、ローマの建設者。
その時、どこの国も建国の神話があるものなんだなぁ~と。
そして、そういうものが絵画のテーマとしてあるのだという事です。
その時見た絵を探しても、見つかりません。残念。
そのかわり、彫刻がありました。
こちら↓


ローマの建国の神話に登場する双子の兄弟ですが、謀略により、川に捨てられ流されたが、狼に育てられる。
狼が育てていたが、羊飼い夫婦に引き取られ立派に成人する。
そして、祖父を復位させ、兄弟は、自分たちが捨てられた地に都市を建設しようと決めた。
これが、ローマの始まりというわけです。
この彫刻も素晴らしい!!時間が経とうとも斬新さが失われることがない素晴らしいものだと思います。

日本の建国が書かれたものは、「古事記」「日本書紀」です。
しかし、私がこういうものを読んだのは最近で、それまではまったく興味もなく過ごしていました。
つまり、50代に入ってから。

イギリスの歴史学者、アーノルド・j・トインビーという人がいます。
この方が、

1 理想を失った民族は滅びる。
2 すべての価値を物やお金に置き換えて、心の価値を見失った民族は滅びる。
3 自国の歴史を忘れた民族は滅びる。

文明が挫折する根本の原因は、内部の不和と分裂であると。

最近、古事記が読まれるようになっているようで、何か不思議に思います。
そして、新しく書かれた本がたくさん出版されています。
私も何故興味をもったのか?と自身に問うてみる。

古典は高校時代から好きだったということもあるが、
田辺聖子氏がよくインタビューの度に、「若いお嬢さんに、もっと古典を読んで欲しい。」と
何度も言っていたのがとても印象的だったのです。
また、田辺聖子さんの小説は、若い私(20代)に、何かつまずく度に読むと元気を貰い、次に進む。
そんな田辺聖子さんの言葉だったので、古典文学はちょこちょことつまみ食いのような読み方で、
脈絡なく、その時、その時限りの読書で終わっていたのですが、

バルチェスというフランスの画家の奥様(節子夫人)のエッセイで、非常に日本の古典文学や、
日本の文化に造詣の深いバルチェスに、「君は、日本人なのに日本のことを何も知らないとはどういうことだ。」と、
言われてから、本当に勉強をし直したことが書かれていて、「私も知らない・・・・・・」と
自分自身をかえりみたのです。
途中、バルチェス婦人の着物の暮らしに憧れて、頭がそっちの方へ行ってしまい、
実家に着物を漁りにいったり、帯(半幅帯)を作ったりとして、横道にそれて、
脱線を楽しみつつ、いろいろ読んでいったという訳です。

そして、やっと古事記に突入。
始めは、わけが分からなくなるだろうと思い、直訳の漫画で大体のあらすじをつかみ、
直訳の訳で、注等もよく読みながら読み勧めていくことに。そうして読み終わった。
ところが、最近また違う本で、読み始める。

こちら↓


まだ、弐巻しか読み終えていないが、この本画期的なんです!!
すらすら読めるし、面白い。
古事記には、「序章」というのがあって、読むにあたっての注意が紹介されているのですが、
まず読み方、漢字を音で読むか、訓で読むか、漢字を使っているが音(おと)だけ使いますとの表記がされています。
また、声に出して読むとき、ここを強く強調して読むなど、読みながらそれを体験できるようになって書かれている。
その解説が秀逸で、多くの神様が生まれる箇所は、普通に読むと、読み慣れない名称とその羅列になると苦しい・・・・、
となりますが、その部分も「なるほど!目からうろこだわ!」楽しく読めてしまう。

また、序文には、原文    「莫不稽古以縄風猷於既穎、昭今以穂典教於欲絶」
        読み下し文  古(いにしえ)を稽(かむが)へて風猷(おしへ)既に穎(くず)れたるを縄(だだ)し、
               今を照らして典教を絶やするには補はずということ莫(な)し
        現代語訳   古を省みることで世の徳が崩れることを直し、歴史によって今の時代を照らして、
               人の道が絶えようとしていることを補わないということはありませんでした

そして、解釈が続きます。古を省みることで~は、「今を照らす教典であり」「人の道を学ぶもの」と解釈されて、
その観点からの解釈も、すっと腑におちるというか、心になじんできます。
江戸時代にも、古事記研究がさかんになったことがありますね。本居 宣長だったと思うのですが。

この方の古事記も画期的な訳だと思いました。
楽しく「古事記」を読むのにお薦めの3冊です。
建国記念日のことを語ることが出来るようになったか?自身に問うてみます。



そんなことを思いながら、庭は夏の野菜と花を植え付けていってます。
春の終わりに玉ねぎを収穫しました。
写真はこちら↓

引っこ抜いたところです




ヒロクニさんが落書きした、バケツに入れて。
干したあと、お世話になっているところへおすそ分けして、昨日はビーフシチュウに使いました。
昨年の秋に植えつけたものが春収穫できるわけです。
だんだん大きくなるのを観察していますが、ものごとが成熟するのにはあせらず、待つ大切さを感じています。












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