この絵は冊子にされています。
見開き2ページ分から抜粋。
「クリスマスの絵ありますか?」とお尋ねがあり、
クリスマス的な絵を紹介した絵の一枚になります。
クリスマスの仕事は、武内と相性が悪く、
絶望状態な中、クリスマス的と称してむりくり選ぶことに。
そして、もちろん話もまとまりません。
しかし、わたしはこの絵の右の青いページには思い入れがあり、
気に入っているので取り上げることにしました。
個人的なカードを作ったことがありまして、
とても気に入っていたのです。
この絵を厚手の紙、インクジェット用で印刷すると水で落ちなくなる紙に印刷して、
その周りを切り取り、2つに折るとカードになります。
丁度、表紙と裏表紙のようになり、カードに最適だった。
それにおめでたい感じもして、良かったのでした。
そして、カードの存在そのものを愛でていて、
また何かあったらコレを利用しようと思っていたのです。
この冊子は、厚手の水彩紙の表と裏に両面に絵が描かれていて、
10ページぐらいの絵本のような感じなので、非売品のように存在しています。
ばらばらに出来ない。
ページの裏の絵も見開きが続いているのです。
画材は、マジックと鉛筆、アクリル絵具。
脈略がない冊子なので、色と形が呼応しているだけの冊子ですが、
わたしは好きで、ファイルを開くと手を止めて見入ってします。
ある意味、一番自由さを感じるものなのです。
意味というものを考えさせない所があります。
右の部分だけだと、
↑こんな感じに。
青い部分に文字を入れれば、年賀状にも使えそう。
これは、カードの表紙にもなったわけですが、いろいろ使えそうなデザイン。
この冊子は、武内よりもわたしの方が大切にしているような気がします。
武内の「意味不明なキュートさ」が、炸裂しているから好きなのです。
上の文は、27日に書き、今は30日。
その間、実家に所用がありブログの更新が遅れてしまいました。
街には、正月用の素材や料理が並び、賑やか。
近くに百貨店もあり、いろいろ見て回る。
しかし、百貨店というのはお値段が高い。
目を楽しませることのみに終わりました。
ヒロクニさんは、引っ越しで梱包されていた絵を引っ張り出し、
「こういうのも描いていた頃があったんだね。」と、20号の油絵をしげしげ見て、
「これは、売りたくないな・・・。」等と言っている。
また、アクリル板で作った額に納められている絵を見て、
「アクリル板というのは、いいねぇ。」というから、
「それ、額代が高くついていると思うよ。」とわたしは答えた。
2人して、「そんな高い額に入れるゆとりがあったことが驚きだ!」と言い、
「今じゃ、考えられないね。」と時間の流れを振り返る。
店頭の商品がだんだん小さくなっている現象と考え合わせると、
わたし達も考えや思う事が小さくなってきているのではないか?と危惧する。
正月の買い物も、あとは“生もち”ぐらい。
冷凍庫もパンパンに食料が詰まっている。
そして、明日31日に、煮しめや卵のふくさ焼きをして、
ゆとりがあれば“鯛のサラダ”を作るつもり。
わたしという人は、いつも「食べ物」のことを考えている人間なんだとつくづく思う。
あれこれ食品の食べ方、料理を思い浮かべている。
どういう頭の構図になっているのか?と。
脳を違うことに使ってもいいのでは?
人にも“食べ物”の話をついしているようで、「あ、またやってしまった!」と思うことが多い。
来年は、脳の変革として違う知識を入れてみては?と、
自分に問いかけます。
冬に入り、ヒロクニさんは相変わらず「寒い。」「寒いのは嫌だ!」と言って、
かなり機嫌が悪くなり、不平不満を言う。
寒いのはわかるけれど、だからと言って「怒る。」ので始末に悪い。
その形相は、邪気すら帯びている。
そして、部屋の温度は、温室の如く。
そこまで暖かくして、
文句を言うとは「何事じゃ!弛んでいる奴じゃ!」とわたしは思うわけです。
それに、その文句を浴びていると、穢れてくるような気も。
お清めのようなものは、ないかしら?と思い、思いついたことが・・・。
「水垢離(みずごり)」
寒い日に文句を言っているヒロクニさんを尻目に、
風呂を沸かし、湯に入る前に水を浴びた。
初めてした時は、頭からかぶると頭が“うぬっ“とうめいた。
する前は、洗面器の水を持ち上げては、何度おろしたことか。
しかし、一瞬頭の働きが止まるというか、不思議な感覚があって、
かぶり終わると“しゅわしゅわ”としたしびれのような感じで、何かが軽くなる。
それで、嫌だけれどして良かったと思ったのです。
これをヒロクニさんに報告して、その感覚を伝えると、
「意外としたら何ともないのでしょう?」とか言うのです。
わたしは、「そんなことない。崖から飛び降りるような勇気が入った。やっぱり嫌だなと思うもん。」と言うと、
ヒロクニさんは押し黙ってしまった。
それからは、ヒロクニさんが「寒い。」という度に、
「わたし、水浴びてますから。」と言うと、
冷えって顔して、押し黙るようになったのです。
バリヤーが出来たみたい。
水垢離をしている人には、受け入れられないことだと言う、ガードが出来たようです。
それよりいい事は、“胆力“が付きそうなだということ。
そういうわけで、入浴前に水垢離をしています。
ヒロクニさんのいう事や、行動に右往左往することが多い、わたしだ。
“胆力”というのは、ないよりあった方がいい。
そう思って、入浴前の儀式として取り入れました。
やり方としては、後で湯で温もってもいいのかどうか?それはよく分からないのですが、
風邪を引いても困るしなと思って、この方法になっています。
これは、冬にするのがいいのだそうです。
水垢離は、先ほど書いた“脳の変革”に効果はありそう。
こうことを書いて、思い出した冗談があります。
ご年配の男性が、「来年の豊富として、妻と言う字を、“毒”とかかないようにします。」と言っていて、
わたし凄く受けてしまいました。
ヒロクニさんにとって、だんだんBlackな妻の要素になっていったりして。
必要な“毒”ってあるよね。
最後は、なんとか花を付けていっている我家のビオラ。
種を継いで言っているものです。
↑黄色と茶色のビオラ。
この好きなパターンのビオラは健在です。
しかし、ただの黄色に変化してしまうものもあります。
↑こちらは、濃い紫色だけの花が咲く予定だったのですが、
中央に濃い黄色が出ました。
受粉の段階で、違う花の花粉がつくとこうなる。
花に蜂とか虫が蜜を吸う時に、組み合わせが増えるようです。
路地裏で育てています。
家の前は、路地裏になっているのです。
今日は、ブログを日にちをまたいで書いた為、
途中で話が変わってしまったような感じもしますが、これが私たちの年末の様子。
今から、「湊市場」に行こうか、どうしようか迷っています。
市場の雰囲気って見るだけでも好きなのです。
来年はどんな年になるのでしょうか?
水垢離での脳の変革も続けるつもりなので、良き年になって欲しいものだと思います。
今日も相変わらずな2人の話を最後まで読まれた方、ありがとうございます。
来年もよろしくお願いします。