武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

朝の時間と会話(作品紹介436)

2016-11-30 16:12:28 | Weblog


ちょっと歯ブラシの絵の部分が光って写ってしまいまいました。
(くもりの日は、フラッシュが自動的についてしまうようです。)

左上の画面に、人、カップ、ハブラシと書き込まれています。
これが、タイトル?
朝の時間が、絵になっているのか?
ヒロクニさんは、歯ブラシが好きであります。
歯ブラシは、色々なものを持っています。
ドイツ製のものに変わったものがあり、それはいつもコップに入れられている。
以前、歯ブラシを玄関の前に、地面に樹立させていたこともあります。
訪問する人や、子供造詣教室に来ていた子供達に「何で、歯ブラシがここに立っているの?」と、
質問されることがあり、答えられなかったことが多々あり。
「私に質問されてもわかるはずないでしょ。ヒロクニさんに直接聞いてー!」とお手上げ。
確かに疑問に思うと思うその気持ちは、よく分かる。
私だって、「何故?」と思う空間なんだから・・・・。

今現在は、引っこ抜かれていて「何故?」と聞かれないので、ホッとしています。
そして、「何故?引っこ抜いたのかという疑問」が湧くが、もうだまっている。

ヒロクニさんって、変な人って思う。
人を驚かすというか、不思議な気持ちにさせるサービス精神には、脱帽!


11月29日(火)晴れのち曇り
朝は早くから起きて制作していたようで、私が起きるとアトリエで物音が・・・。
起きて珈琲を飲んでいると、ぴたりと私の目の前に。
私は、「枕草子」のページを開いて眺めていたら、
「朝ぐらい、話をしよう」。
「人間らしく、会話をしよう」。と、言われる。
「人間らしく」のところが、憎らしい。
(私のしている行動は、人間らしくないというわけだ)
大体、話を聞いて欲しいのだろうという意味の発言なんですが、
憎らしい言い方をする。
ハイハイ、とヒロクニさんの方を向くと、いろいろ話す話す。

「僕の絵は、個人史にたいなもので、俺が愛したものや、遭遇したもの、幼少の記憶、俺が体験したこと、
その全てを含んだものが、俺の絵なんだ」。と。
この日は、幼少の記憶のなかの「自我の発見」ということを共有した友人の話になりました。
聞いていて、「自我の発見」という言葉から、そういうことを凄く意識した人なんだなぁ~と思いました。
私なんて、自我とかいちいち意識せずに、なんとなく成長していったって、感じだから・・・。
「自我の発見」を語るヒロクニさんに、男らしさを感じたのでありました。



急に寒くなりましたが、着物ってとても暖かいので快適に過ごしています。
割烹着をいつも着ていて、ぜんざいを小豆から作りました。
なんか、「かーちゃん」が板についてきているなぁ~という感じ。
猫のジルくんも、窓の外から鳴く。
家に入りたいのか?と思って開けてあげると、急に地面に降り立ち鳴く。
「かーちゃん、一緒に外で遊ぼう」なのである。
割烹着は、かーちゃんという気分にさせるアイテムね!という発見をしました。

そんな日の夕食です。


ヒロクニさんは、机の角に自分の皿を引き寄せてしまうので、
私が食べる方を写真に。
メニューは、鮭の香味焼きにバターで炒めたしめじを添えつけ。
ジャガイモのポタージュスープ。
きゅうりの細切りと水菜(植えてある)のサラダ。
大根の葉の漬物。
きゅうり短冊。もろみと共に。

鮭の香味焼きは、ミックススパイスを鮭にまぶして、オリーブオイルで焼く。
ヒロクニさんが一番美味しいといった、しめじのバター炒めは、味付けは少量の醤油を最後にたらしたもの。
ジャガイモのスープは、じゃがいもを茹でてマッシュしたものを、バターと小麦粉を炒め、
お湯を入れ、固形スープを入れたものにマッシュしたジャガイモを入れ、最後に牛乳を入れ、
コショウを適量ふって出来上がり。パセリは植えてあるものを刻んで飾る。
サラダは、きゅうりを細く切ったものと水菜を適当な大きさに切ったものを混ぜるだけ。

夕食は、以前と比べたら作る時間ができたので、加工食品はなるべく使わないで、
原産地が分かる食材で作るようにしています。
そのおかげなのか、どうかは分からないけれど、
ヒロクニさんは、血液検査異常なしという結果です。
私も、血液検査特に異常はありません。

来年の9月に東京展があるので、健康が第一かな?と思う妻であります。






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古ぼけた街(インクと鉛筆の作品紹介435) と 新嘗祭について

2016-11-25 13:58:55 | Weblog


この作品は、古い小品。
インクと鉛筆で描かれています。
ちょっと古ぼけた感じが、なんともいい。
30年以上前に描かれたものだと思います。
西新町というのは、西明石の方にある地名なのです。
そして、踏み切りがある場所がありそう・・・。

12月23日
どんよりとした曇り。
ちょっと寒い日。

ヒロクニ画伯は、「ゆっくりめに制作する」と朝、珈琲を飲みながら言った。
わたしは、「そうよ、時々ペースを落としてみるのもいいかも?」と答える。

そして、「君も、疲れないように、あまり動いてはいけない」と付け加えた。
ちょっと驚きの言葉であるが、疲れていないので、困った。
本当に疲れている時、この言葉をいってくれていたらどんなにか嬉しかっただろうと想像する。
心底疲れが溜まっている時期にこのような言葉はいっさいなかったのです。
まあ、過去のことはこの際、覚えているけれど、もうあまり言わない方がいいような気もして、
ヒロクニさんに「気にしてくれて、ありがとう」とにこっと笑顔で、言っといた。

何か、ねぎらってくれているのが新鮮でした。

ヒロクニさんは、やはりそれでもアトリエに篭って、一日中制作をしていました。
本当に絵に向かっている時間が長い。

我家では、ちょっとした転機があって、引越しの予定をたてなければいけないのです。
時間的猶予はあるのですが、あと2年と10ヶ月で必ず引越しをせねばならない事情が出来た。
その家探しというか、相場を一日中、PCで検索して見ていました。
家の中は、絵や画材で一杯だし、かといってお高い家賃は払えそうもないので、
すごく厳しい家探しになりそうだ。家賃さえ高くてもよければ、いい物件はたくさんある。

現在住んでいる所の目と鼻の先にも、物件があるのを近所の方が教えてくれて、
その近所の方の近くの近所の方が、近所の方が借りていたことがあるので、
その大家さんの住所を聞いてくださった。
近所の方々が、それぞれ私と一緒になって知りたいことを協力してくれる。
良い感じで優しい人が多いので、場所的にもすごく気に入っている。
わたしも、知らない間に輪の中に入れてもらっていたようで、なんだが心がほっこりしました。
ヒロクニさんは、引越しなどになると、口だけで、何も実行しない。
ここは、現実を生きる女の出番である。

まだまだ、先の話だけれども、物件の相場や可能性に集中した一日になりました。
やはり、制作することが出来る家でなければなりません。
相場や予算によっては、少し辺鄙な場所へという選択を考えねばならない。
そんなことを思って過ごしていました。

今日は、「勤労感謝の日」ということで、祝日でしたが、
11月23日は、古来から行なわれていた「新嘗祭」が行なわれてきた日なんです。
「枕草子」にも宮中で行なわれて祭祀の描写が多く出てきます。
「枕草子」では、「新嘗祭」の様子が書かれているところには、遭遇していません。
そのかわり、葵祭りについての描写があります。
とても風流で、大勢の人が楽しそうに集まっている様子が書かれています。
ちょっと宮中は華やかな感じになるようすや、人々の衣装に気合が入っているようすが細かく語られています。

「勤労感謝の日」といわれる祝日は、「新嘗祭」だったのです。
「新嘗蔡」は、日本の古代から行なわれてきた祭祀で、天皇陛下が新穀を神々に奉ると共に、
自らもお召しになられる祭祀です。奈良時代にも行なわれていました。
「新嘗祭」が終わるまでは、新米を口につけては、いけなかったそうです。
まず、「新嘗祭」で、新米を神に捧げる儀式が終わってでないと、
つまり、神様に捧げてから、人間が口にすることが出来るという順番になっていました。
ここでいう神様は、天照大御神であります。
明治時代に、祭祀が法的に整備して、宮中祭祀は国民生活にも浸透していたのです。

戦後、GHQが日本の文化を破壊する為に、無味乾燥な名前に変更したということを、
若い人から教えてもらいました。
最近、若い人が日本のことを勉強しているので、感心しています。

偉そうに、ヒロクニさんにも教えて上げたら、
「そんなのまるで知らなかった」とびっくりしていました。
「また、清少納言の話とかを時々聞かせて」と本は読まないが、話は聞きたいというのが、なんか面白い。
ヒロクニさんは、「清少納言は、どこの国の人?」って何度も聞く。
里帰りの話は出てくるが、どこの場所が里なのかは書いていないので、答えられないのです。

そんな日の夕食です。


メインは、カレイのから揚げ。
その他は、韓国の料理チジミとよく似たもので、小麦と山芋と卵1/2をかつお節の出汁で溶いたものに、
玉ねぎ薄切り、ニラ、豚ばら肉、海老を小さく切って混ぜ合わせたものを、サラダ油を引いて、
お好み焼きのように焼きます。混ぜ合わせた時に醤油を少したらしておくと、そのままの味で
とても美味しい。
写真では、ひっくり返す時にバラバラになってしまって、見た目が悪くなっています。
付け添えているのは、山芋のすりおろし。ときゅうり。きゅうりは金山時味噌で頂きます。
あと、卯の花。これは、スーパーのもの。ヒロクニさんのリクエストで、いり卵です。

カレイが、3切れ298円とお安かったので、こんなメニューに。
1つを半分に切って、4切れにしました。








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雨の日の一日(作品紹介434) と「枕草子」

2016-11-20 16:52:55 | Weblog


タイトルは、「コップの水」。
雨の日なので、アトリエから、この絵を取り出してきました。
たぶんこういう絵は、個展会場には、並べないのでは?と思っています。
普段、なにげない絵も時々、描いているのですが、
個展での絵を選ぶ時、選別から大抵外すことが多い絵柄です。

11月19日(土)
朝から、雨がふり一日中どんよりした天気。
ヒロクニさんは、「晴れがやっぱりいいね」。と言う。
「どうして人は、天気でこんなに気持ちが左右するのかねぇ」。と。
天気で気持ちが左右されるのは、自分の精神は、たるんでいるのであろうか?と
疑問に思うわ。
ヒロクニさんに、「天気で気持ちが左右されるってどういうこと?」と聞くと、
「人間ってオートマチズムな面があるからね。」と、
不思議な答えが・・・・・。

そんな一日のはじまり。

しかし、ヒロクニさんはいつも判で押したような行動で、いつも同じである。
制作、制作です。
天気が悪いといつもより、文句は多い・・・・・。愚痴とかを言うの。
問題は、私である。
この日は、何もする気が起こらず、時間が過ぎていった。
台所で座って、「枕草子」の本を、開いてみる。
読んでいると、「枕草子」に『雨のうちはへ降るころ』という章がありました。
その内容は、
雨がひきつづいて降るころ、主上のお使いとして、式部の丞信経(じょうのぶつね)が中宮様のところに
参上している。その参上している丞信経は、敷物(毛の座布団のようなもの)出しているにもかかわらず、
その敷物を遠くへおしやって、床の上に座っている。
清少納言は、それを見て、「この敷物はだれが使うものですか?」と問う。
(問うているが、何故そこにすわらないのだという意味)
すると、丞信経は「こんな雨の時に座れば、足の跡がついて、きたならしくなるでしょう」と笑っていう。
そんなことを言う丞信経に、追い討ちをかけるように
「そのきたない足をきれいにする役に立つでしょう」といいかえすのだ。
丞信経は、「そのしゃれた言い返しは、私が足跡のことを言わなければ、おっしゃれなかったでしょう?」と返す。
その返答が、とても面白かったと清少納言は、締めくくっています。

わたしもこのやりとりが面白く、2人ともユーモアがあり、いい感じと思ったのでした。

現在の男と女もユーモアを持っている人は、人生を楽しくするであろうなぁ~と思い
ちょっと微笑んでしまった。少し、更年期を過ぎたあたりから、日本の古典を読むのはお勧めです。
田辺聖子さんが、「若いお嬢さんに、古典を読んで欲しい」といつもいってらしたけれど、
それが、50代になってやっと分かってきた。

ぼんやりした一日の有意義な時間を清少納言からちょっと与えてもらったという感じ。

ヒロクニさんは、私とは別世界を同じ家の中で、送っており時々ちぐはぐなかみ合わない会話があり、
そういう時、お互いしらけています。お互い「えっ!!」という顔で。
しかし、夕食を共にすることで、帳消しになります。

我家の夕食(たいしたことないですが)

小芋の煮付け(ごぼう天1本、小芋、にんじん、鶏肉、こんにゃく)
牛肉の細切れを焼肉のたれでからめたもの(たまねぎ、にんじんを少量一緒に)
湯豆腐(昆布の出しで煮る、そこへ春菊とおぼろ昆布を添えて)
だいこんおろし
きゅうりのスティック(金山時味噌をつけて)
チーズかまぼこ(お酒のあてに)


夕食を一緒に食べるのが、つどいの時間になっています。








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涙のヒロクニさん と マジックの作品紹介433

2016-11-16 14:28:49 | Weblog


マジックで描かれた作品。
並べる作品ということです。


11月16日
朝は、青空がみられたが、曇りに変わる。

8時起床。
ヒロクニさんは、すでに起きていて制作の音が・・・。
私が、コーヒーを飲んでいると、台所に来て、いろいろ話す。

昨夜からマジックで描いていた作品があるらしく、その絵を持ってくる。
「ちょっと、こういうのをかいていてねぇ~」と。
マジックで描かれた絵は、激しいというか、激しく自由に線が描かれていて、色も混沌としている。
「いいと思わない?」と聞かれる。
芸術家は、いつも褒めてもらいたいのです。
武内の作品の中でも、繊細さがある作品が好きな私は、ちょっと困った。
しかし、私の好き嫌いだけで判断するのは、おこがましいので、
「そういう作品は、1枚や2枚でなく、たくさん作っておくといいと思う」。と言った。
ヒロクニさんは、「そうだなぁ」。と、思ったのか勢い込んで仕事場へ飛んでいった。

10時ぐらいになると、私の母が訪ねて来る。
ヒロクニさんは、朝が早かったせいか仮眠をとっていた。(夜も遅い)
母は現在1人暮らしなので、ボケ防止の為、いつも心良く訪問を受け入れることにしています。
疎外感を与えないようにしているのです。
今日は、「特に用事があるという分けではないのだけど、なんか来た」と、ばつが悪そうにいうのだ。
ボケられることを思うと、お安い御用なので、「どうぞ、どうぞ」である。
ヒロクニさんが仮眠をとっている間に来て、帰っていった。

どんよりと曇った空を見て、前から頼まれていたヒロクニさんのトレーナーのパッチワークに取りかかる。
着物の(最近、着物、着物とうるさくてごめんなさい)半襟を縫い付ける作業をするうちに、
縫い物が好きになってしまって、ヒロクニさんに「何か縫って欲しいものがあったら言って」と言った。
そうしたら、ヒロクニさんは、「このトレーナーにこういう布で、パッチワークをして欲しい」。と言って来た。
自分のいらないシャツやスカーフ等をドバッと持ってきて、「これで考えて欲しい」ということで、やってみている。

「そんなのやってくれるなんで、元気百倍。僕、嬉しいなぁ~」と、楽しそうである。
こんな風に言われて、やらない人間っている?
ヒロクニさんて、人にやる気を出させるのは天才かもしれない・・・・。
ヒロクニさんって、ヒモになれる素質あるよね~。(苦笑)
確か、阪神大震災以降・・・・と思いだすわ。

夕食の前、ヒロクニさんはめずらしくテレビを付けていて、古い演歌の番組を見ていたみたい。
作詞家の「星野哲郎氏」が写ると、なんか涙ぐんでいました。
ヒロクニさんって、涙もろいのだ!
「しあわせ食堂で、星野哲郎さんの『いわしの刺身』の絵を描いたね」。と言ったが、
気持ちが一杯になっていたようで、涙のヒロクニさんは、私の言葉は耳に入らなかったみたい。

そんな日の夕食です。

手羽を鰹出しと醤油、オイスターソース、みりん、砂糖少々、生姜を少しスライスしたもの、八角を入れて
圧力鍋で10分ぐらいで煮たものと、ニラがあったのでニラ玉を作りました。
春菊のおひたしと、白菜のぬか漬け。ぬか漬けは自家製です。
コラーゲンを取ってもらいたくて、この料理よくします。


パッチワークの前は、薄汚れたマットを捨てるために、裂き編みでマットを作っていました。
こちら↓

捨てるTシャツでこんな感じのマットが・・・・出来ました。
ヒロクニさんは気に入ったらしく、「予備もたくさん作っておけ」。という。
次する時は、もっと色目に気を使ってする予定。
裂き編みなるものをはじめてしたので、行き当たりばったりで作った結果が今回のマット。
糸で編むよりしっかりしているので、マットには最適な気がします。




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野菊の如く君なりき と 色鉛筆作品紹介432

2016-11-13 18:43:03 | Weblog


波という作品。
鉛筆の黒色が塗りこめられています。
形を囲っている線は、色鉛筆の黒色。
ちょっと違うのです。
画面の表面は、紙をなめしているせいか色鉛筆の部分もつるつるになって、
表面がすべて光っている。
いつも思うのですが、独特の画風で、普通の絵に飽きてしまった人にお勧めかもしれません。
雲のような、人型のような形は、ふわっと浮いているというか、浮遊感覚があって飛んでいるみたい。


12月13日(日)
朝は、青空が見えいい天気。
朝から、アトリエでバシャ、バシャという音が聞こえる。
その音は、紙をなめしている音だ。

昨日、ヒロクニさんは、「ちょっと運動もしないといけないし、外の空気も吸いたいから、
さほり、明日は一緒に出て、画材も買いたそう」。と言われていた。

朝アトリエでバシャ、バシャと制作しているうちに、
「どうしても進みたい、描いておきたい部分が出来てしまったから、
三ノ宮に行くのは、明日にしてくれ!」と外出が明日に変更ということになった。

私は、家の周りにある野草の花を摘み、コップへ花を。
2本の菊と地面に這うように増えていっているピンクの丸い粒々になっている花を摘み、
なんか素朴な感じがするなぁ~と眺めていた。
そうすると、「野菊の如く君なりき」といきなり言う。
「伊藤左千夫の小説だよ」という。
「野菊の如く君なりき」という言葉の響きがとても美しく感じられ、読んでみたいと強く思いったのです。
ヒロクニさんって、以外なことを言う時があって、面白い。

そんな気持ちでスタートした一日だが、私は激しく現実的な所へ1人で出かけた。
美のかけらも感じられない所へお出かけした。
家の近所に激安の古着屋があるのだ。
値段はセーターとかでも、550円とか、高くても750円とかの値段で売っているお店。
ほとんどがボロを置いているといってもいい店なのですが、
よく見るとましなものが5パーセント混じっている。
そして、その値段から30%引きになる券を持っているので、義務のように行ってきました。
ラルフローレンの緑のセーターの他2点購入して、今着ているボロのセーターを捨てたのです。

ヒロクニさんは「さほりも可哀想に、あんな店の服を買って気分転換しないといけないとは・・・・」と言う。
しかし、可哀想な私という気分にはなれないのです。
ヒロクニさんのように感傷的な気持ちにならない私は、「はっ?」という感じ。
節約して必要なものをドンと買うつもりだから、悲しいとか惨めとかの発想がないのです。

私が気にするとしたら、あのお店に滞在している内に、ボロの服の気持ちが私にまとわりつき、
店を出るとき、自分もすっかり中古商品と同化してしまったような気分になるのが恐ろしいだけである。

今もアトリエ(隣の部屋)から、バシッ、バシッ、バシッ、と音が聞こえています。
夕食を食べる頃には、けっこう疲れているようで、「やれやれ」と言いながら、
食卓の前に座ります。



夕方から、曇ってきて、秋の空はなにか移り変わりの予測ができないなぁ~と思ったのでした。





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三ノ宮(作品紹介431) と 来年、2017年9月に東京展が決まる。

2016-11-08 15:55:52 | Weblog


メモのような作品。小品です。
三ノ宮と書いてあり、神戸の街の絵。

このところ、ブログを書くのが遅くなってしまっています。
日々、思うことが、たくさんありすぎて、あっという間に一日が終わってしまいます。

そんな風に過ごしていると、
急にヒロクニさんは、「人間は風にそよぐ葦やからなぁ~」。と云って去って台所をさってアトリエへ。
また、詩人になったのか?と思う。

私も「ヒロクニさんの絵は、表現主義といったら可笑しいか?」とちょっと聞いてみた。
一日経って、ドイツの表現主義の文章が書かれた画集の中の文章を「読んどいてね」。と言われ、
読んでみた。やはり、時代の中の定義があるようで、キャバレー文化というか、ボヘミアン達があふれ、
そういう芽の発端が、表現主義から出だしていた。のちに、フランスでは、ロートレックや印象派達に、
エルンストなどのシュールレアリズム運動の芽へと繋がっていくことが書かれていて、
なかなか興味深く読み、その本の中の絵を眺めていた。

ヒロクニさんは、ドイツの表現主義の作品や、ドイツのバンドのCAN等を非常に高く評価している。
私自身は、ドイツ人の絵画は少し肌に合わないようなのだか、ヒロクニさんにはキラキラとした
宝箱のような感じである。

あれこれ思うのは、日本の古典を読み始めたことにはじまる。
現在は、「枕草子」に入っているが、「帝(天皇)」の微笑ましいエピソードが、非常に人間的に
語られ、それの文章を書いたのは女性であり、古来から女性が活躍する余地があった日本。
何度も「帝」は、登場し、心温まるやりとりがされる。
枕草子は、平安時代の一番安定していた時期に書かれたのが、よく分かる。
なによりも、明るく素直で晴れやかな随筆。不安の入り込む余地がないのです。

随分前の話になるけれど、NHKの大河ドラマで平将門をやっていた時、「日王」と天皇のことを
表現していて「違和感」を覚えたことを思いだしました。
やはり、「帝」とテレビでも表現しなければならなかったと強く思いました。
もしかして、そのドラマは基本的な古典などの素養もなく、わざと「日王」と表現したとしたら、
それは、日本人じゃないのでは?との思いを強く持ちました。
そんなことを考えていたのです。

古典・平家物語でも、高倉天皇のエピソードが出てきます。

高倉上皇は人徳に優れた賢王で幼少の頃から柔和でした。
十歳の頃、紅葉を大変愛され、庭に紅葉を植え、一日中眺め暮らしておられました。

ある時、風が激しく吹いて紅葉を吹き散らしたことがありましたが、 庭掃除の召使どもが、その紅葉を集めて、
酒を温める火種にしました。

気づいた係の役人は、真っ青になって高倉天皇に報告します。
しかし高倉天皇は「林間に酒を煖めて紅葉を焚く(注)という詩の心を、誰がお前たちに教えたのか」と
かえって感心され、何のお咎めもなさいませんでした。

こういう心温まるエピソードが、とても多いのです。
平家物語以外にも、特に徒然草にも、その時代の「天皇」のエピソードが数多く見られ、庶民からも慕われている
様子が、古典ではあたりまえであり、高貴な人も文人も庶民も心の支えにしている風がみられ、そんなことに
改めて気づかされ、驚いたりしています。

ニュースで、「生前退位」と乱暴に発言しているのを聞くと、古典の奥ゆかしさにふれたあとでは、
酷く乱暴に聞こえるのです。なにか、美しくないのです。

古典を読み出してから、何か内なるものに変化が起きそうな予感がしています。



こちらは、粋人の「着物の本」。
白洲正子氏は、白洲次郎氏の奥様でもあります。
また、瀬戸内の画家、「松田正平」が無名の頃から、目をつけ評価したという目利き。
白洲正子のきもの (とんぼの本)
クリエーター情報なし
新潮社


そんな人が、45歳から着物に寝覚め、自分で「こうげい」という店を経営してしまう。
目的としては、『職人的技術と工芸作家の創意を結びつけること』というコンセプトとやはり白洲正子氏の
美的感覚が生かされてこそ出来上がった着物が、語られています。

白洲正子氏の粋な着物と帯の組み合わせは、やはり特別な美という感じがして美しい。
かわいらしいという感覚ではなく、こざっぱりしていて、高価なものなのに奥ゆかしさを感じるのがいい。

着物を日常着る努力をしていて思うことは、ごろごろと寝たりできないので、働き者になります。
また、着物のままで、買い物などに行きますが、微笑んでくれる方がいます。古い汚れても気にならない
レトロな着物は、「あー、こういう着物、私も持っている」というようなものなので、懐かしいく思う人が
いるのかもしれません。


武内ヒロクニの絵。また、ドイツの絵画。古典。着物。白洲正子氏という目利きの粋人。
皆、芸術です。


東京での個展が、銀座にある「ギャラリー枝香庵」にて、9月に決まりました。
ヒロクニさんも、気持ちを9月に向けて焦点を定めているのが、伝わってきます。
私も気持ちを引き締めているところです。







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