武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

草ぼうぼうの街(色鉛筆作品743)と 「西遊記」を読んで

2023-08-24 18:55:32 | Weblog

この絵は、スケッチブックの紙に描かれていて、切り取られていました。

「草ぼうぼうの街」とあるのは、宝塚のこと。

明石から宝塚に居住を移した頃、武内は雑草がいたる所にあるのを見て、

「雑草がいいね。」と言っていました。

「宝塚は花の多いところだ。」とも。

次に、「草ぼうぼうの街に住みたい。」という絵も描いていました。

その頃の絵と思われる。

この絵は、“線“がいいなと思い選びました。

太い鉛筆の線が独特のタッチで描かれ、ギシギシとぶつかり合う音が聞こえてきそう。

街と草のせめぎあいだ。

水色と蛍光色が軽いタッチで使われているのもいい。

そう思いながら絵を見ていると、

「こんな絵がいいの?」と横から武内の声が。

わたしは、「分り易いのを選んでいるのよ。」と言い、

「あなたが選ぶのは、難しいから。少しは分り易くないと。」と付け足した。

すると、「この絵は?」と仕事台にのっている一枚を取り出す。

わたしは、「毒蜘蛛みたい。」と一言。

「いつも思うけど、線はいいよね。キュートな感じがあって。」と付け足した。

武内は、「クールな線も描きたいのだが、ひとなつっこい線になってもて・・・。」と笑いながら言う。

「いやぁ、わたしの絵には情がある。って言ってくれるコレクターもいるでしょ。」と続けて言う。

「そうだね。」と相槌を打つが、

わたしは粘着質で、ひつこい性格が出ているのじゃない?と思うのであった。

長所としての“ねばり強さ”につながるから、まあいいか。と、思い直す。

画家の妻というのは、

画家の人格と絵がからまりあって、絵を見る時、純粋に絵を鑑賞するのが難しいのだ。

いろいろ思うところがあって、

「良人の仕事にダメだしをせず、つまり否定せず肯定に重きをおこう。」と、

思い、肯定感のある会話になるよう努力中。

正直に言うのもいいのですが、

ものは言いようという事もあるなと思った次第なのです。

嘘をつこうというものではない。

 

夕方に雨が降る。

その後、気温が下がり、夏も終わりに近づいているのだなと感じ、

少々寂しくもある。

やはり、冬の寒さの方が嫌なのだろう。

冷房を入れている部屋で、中国の古典「西遊記」を読んでいました。

子供の頃に見たアニメ「孫悟空の大冒険」手塚治虫プロのものをいきなり思い出し、

原本に近いものを読もうと。

アニメで見た孫悟空は、乱暴者で、かつ強く、大口を叩く、性格は一直線であった。

その孫悟空が子供の頃、すごく好きだった。

好きな要素を探ろうとYouTubeで観ましたが、

やはり子供でないので少々気恥ずかしく、ついていけない。

そこで、原訳に近いものを図書館で借りてきたのです。

主な登場人物は、孫悟空、三蔵法師、八戒、沙悟浄。

その他に、釈迦如来や観世音菩薩が登場する。

如来や菩薩が登場すると、やや笑いたくなります。

アニメでは、孫悟空が生まれ、石に閉じ込められた経緯は描かれていますが、

三蔵法師や八戒、沙悟浄にも生い立ちから、

何故旅の友をするようになったが事細かく記されています。

三蔵法師の父は、川にいる妖怪が魚に変身した時に漁師に捕まえられているのを助け、

恩を感じた妖怪が、その父が強盗に殺されて川に流されているのを見つけるや、

自分の所につれていって、蘇生できるようにかくまう。

子供だった三蔵法師は、寺で育つことになる。

その間に妖怪やら母親やらが登場して、生き返った父と再会する。

奇想天外なことや、その度に妖怪が出てきます。

妖怪は、変身するのが得意なようで、いろいろな姿のパレード状態な西遊記。

天界という場所が出てきますが、

それがお祝いというと、酒やご馳走が出る。

この描写が出てくるたびに、中国は神でも飲んだり食べたりしないといけないのだと思い、驚いた。

中国社会がこうなんだろうと思いながら読む。

菩薩は、ひたすら優しく慈悲に溢れているようなイメージではなく、

けっこう物言いが厳しく、懲らしめる妖怪には容赦がない。

「いうことを聞かないのなら、苦しい状態のままでいなさい。しらないわよ。」という感じなのです。

孫悟空も、あまりにも言うことを聞かないから、

頭に食い込む輪をはめられた。

きっと、中国はある一面厳しい社会なのだろう。

 

読んでいる途中で、「古事記」の日本武尊(やまとたけるのみこと)が、

死んだあと白鳥になって飛ぶシーンが思い出された。

大和から遠ざけられ、遠征を命じられ、勝利してもまた遠征の命を受け、

その途中で亡くなった。

二度とやまとの地を踏むことなく死に、その魂が白鳥に宿り、やまとの地上を舞う。

物悲しいのですが、大和を愛する気持ちがその情景から清らかさが滲み出ています。

こういう“清々しい”感覚は、西遊記には皆無なのです。

西遊記は、力、能力、思いやり、トンチ、ユーモア、といったものが愉快に並べられている。

文化背景は、日本と随分違うのだろうと思いました。

中国は、力強いものに好感を持つ性向があるのでは?と思いました。

 

わたしは、ヒロクニさんの肩をよく揉むのですが、時々、変な冗談をします。

ヒロクニさんの背中にいて、猿山の猿のようになり、

背中から何かを取る様な仕草をし、それを口に入れる真似をする。

「ちょっとこっち向いて。」と言い、その仕草をしながら

「猿なの。」と言う。

「やめてくれよ。さほり。」と笑いながら言われます。

「猿の親子よ。」

と、また猿の真似。

西遊記で、孫悟空は敵から「このエテ公め!」と言われたりしています。

英雄なのに、猿というだけで・・・。

猿というのもユーモラスな存在だ。

↑三蔵法師の旅の姿。

よく考えると、男ばかりのむさ苦しい一行だ。

今日は、「西遊記」の本を読んでいたせいで、こんな内容になってしまいました。

猿って、人に似ているので、他の動物を見るのとちょっと違う。

単純に可愛いといえない。

だけど、「西遊記」は、お芝居や映画、アニメ、漫画になっています。

けっこう愛されている。

そんなことを確認できました。

今日は、わたしの日常になってしまい、ヒロクニさんのことは少し。

奥様でしゃばりって感じですが、最後まで読まれた方ありがとうございます。

 

 

 

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隠れた骸骨(作品紹介742)と 迷子と迷路の思考

2023-08-18 11:49:08 | Weblog

机の横に置かれていた絵になります。

右上に線描で描かれた人物の表情が目に入り、

「これ、また奇妙な。」と思う。

「しかし、この落書きふうの線がいいし、

 頭にとんがりのあるヘルメットをかぶっている人物は、

 宇宙飛行士に思えてくる。」

武内の読書としては、

SFというジャンルはなく、フランス文学、怪奇幻想文学、ミステリ好き。

それからシュールなものも。

そういうことを考え合わせると。

わたしの“宇宙飛行士”と言う想像とは、まったく違うところから派生しているでしょう。

たぶん、「宇宙」の「う」の字も考えていない。

そして、にある目玉のようなところにあるのは、「骸骨。」

黒の骸骨が黒がとりかこまれている。

二股に分かれた黒い線は躍動感はあるけれど、

どう思って見ればいいのか、分らない。

白と黒の対比を見ながら、「夜の街の絵?」と頭を悩ませています。

 

こうやって、絵の説明を試みるのですが、

本当のところは、「こういう絵を描こう。」と思って出来た絵ではないと思う。

意図的に気に入った“形”や“モチーフ”を描く絵もありますが、

普段から運動のように“線”や“小さい落書き”を溜めています。

そのメモから絵を新におこすこともありますが、

この絵は、ノートに描かれた落書き、それも白い空白が残っているものに

どんどん描き足していくパターンで仕上げられた絵だと思います。

こういうものにちょこっと描き、置いておき、

また、時間をおいてに描き足す。

そういうことを何度か繰り返されて出来上がる絵もあります。

そういう時、「この線ちょっといいな。」とか、つどつど思うと。

その線は、計算されて描いているものでもない。

よく言われる言葉になりますが、特に同業者から

「何でこんなふうになるのだろう?」と言われます。

普通は、こうならないだろうという部分がたくさんあるらしいのです。

「何で??」が総合され、

「アール・ビュルットの人」と勘違いされるようになりました。

わたしは、そこで「一応主人は健常者です!」と、アピール。

本当に、勘違いしている人が多いなぁ~と独り憤慨する。

絵は、本人もどうなるか分らない部分があって、

支離滅裂な作品やら、うまくセーブしながら出来たものやら、いろいろな絵がある。

シリーズになっているものから、単独で出来上がったスタイルのものとか。

始めから、仕上がりを意識していない。

そういう意味では、「何が起こるかわからない!」絵なのです。

 

わたしは「これ、いい。」「これ変。」「これ素晴らしい。」「何かいてるのォ~!」と、

好き勝手言っています。

個人の感想レベルで。

時々「これ、いい。」が共感できる人と出会えば、何か通じるものを感じ嬉しくなります。

今日の絵は、人物の表情に物語を感じました。

黒の使われ方も何かが秘められているか、隠されているようで、印象に残りました。

 

そのメモのいい、悪いは、武内の中で基準があることは確か。

この絵は、破らずにおいてあったということは、何かいいところ、気になるところがあるのでしょう。

それと、よくあるような絵を武内が描くのも変だ。

そういう絵は、他の方にまかせておけばいいのだと思います。

 

では、日常の一コマ。

ツクツクボウシが鳴きだし、夏の終わりの合図がある中、

「ちょっと散歩に行ってくる。」と、ヒロクニさんは出かけた。

わたしは、もうすぐ夕食が出来上がるのに・・・、と思いながら

「中途半端な時間にでかける奴だ。」と思いながら、扉が閉まる音を聞いた。

それが、いっこうに帰ってこない。

夜の10時半。

賑やかな話し声が家の前を通り過ぎたかと思うと、

玄関の扉が開き、「ちょっとビール持ってきて。」という声が。

玄関に出て、男性の肩を抱いて、「この人にお礼のビールを持ってきて。」と言う。

「いや。いらないです。」と言っているのに、放さないヒロクニさん。

どっかで一杯やってきて、連れをつれてきたという感じだ。

知らない人なので、「今、ビールを飲むのですね。」と言うと、

「お父さん、道に迷っていてね。」という。

すると、「この人は親切にも家まで送ってくれてたの。」とヒロクニさん。

事がわかったので、「ありがとうございます。」と言い、顔を見ると、

「早く帰りたい。」と顔に書いてある。

「帰路を急いでいらしゃるみたいよ。」と、

その人の服を放そうとしないヒロクニさんを見て言った。

ヒロクニさんは、よっぽど心細かったのだと思いました。

それと、この方に一時の事とはいえ、親愛の情を抱いているのもわかりました。

暑いのに肩をヒロクニに肩組みされている。

早くこの方をヒロクニさんから、解放しなくっちゃ!と思い、

「放してあげなさい。」とか言って離れてもらった。

湿度も高い日で、離れてくれないヒロクニさんから開放されると、

凄いスピードで帰路を急いでいました。

 

夕食を食べながら、話を聞いていると、

「あの道は、行ったことがないなぁ。」と思い、その道に入ったとたん分らなくなったと言う。

「道へ入った途端、トリップしてもて。」

「わからないから、前へ進んでもて。」

「そうしたら、もっとわからなくなってきてよ。」と、

異次元に突入していく様子を語ってくれる。

普通は、わからなくなったら元の道へ戻ると思うのですが、

追い討ちをかけるように、前に進むのが変なのだが、

ヒロクニさんの絵の進め方と同じで、

前のめりにのめりこんでいくのが武内流のようです。

「人をあまり見かけなくなってきたのに気が付いてねぇ。

 これじゃあ、あまりにも寂しすぎると思って、

 慌てて人に聞くことにしたんよ。」と言う。

そして、6人の人に声をかけたそうです。

そして、最後の人がスマホで住所を確認して送ってくれたそうだ。

感謝の気持ちを表そうが、「ビールを持ってきて。」だったみたい。

以前の迷子と違い、年齢のことを思うと徘徊老人に似通ってきているので、

少々ドキリとしました。

玄関が開くなり「ビールを持ってきて。」と言われた時は、何事かと思ったわ。

「ずっと部屋にこもって絵ばかりで、飽き飽きしてた。」

「そうしたら、このザマ。」

どういうわけか、怒っている。

大変だったのは、家まで送ってくれた親切な方だろうに。

しかし、初体験の

「ビール持ってこい。」は、一昔前の長屋に住むおかみさんのようで、

下町風情を感じて、面白いことでした。

 

こういう事は2度目で、宝塚市に住んだ頃にもありました。

隣の伊丹市まで、行ってしまい、しょうがなく走っている車を止めて、

「ここは何処なんだねぇ。」と聞き、

「歩いて引き返す。」と言うと、

「歩くには遠すぎる、車で近くまで乗せてあげます。」と言われて、帰ってきた。

今回は、スマホで住所を確認して送ってくれたそうだ。

以前の迷子と違い、年齢のことを思うと徘徊老人に似通ってきているので、

少々ドキリとしました。

「ビールを持ってきて。」と言われた時は、何事かと。

わたしも同じようなことをしていて昼間なのに、

「こっちの道でも大丈夫よね。」と思い行くと、

目的地からずれていくということが度々。

昼間でも土地勘がないとこうなんだから、夜道だと路地が迷路になる。

ヒロクニさんの描く街の絵は、地図のような感覚の絵もあり、

絵も現実も非常に接近していると思うので、

彼のとらえる風景は、独特なのかもしれないと思うのでありました。

幻想に近かったりして?

 

 

猛暑のせいか、街で花を見ると茶色くなって葉が枯れている植物達。

街ではニチニチ草はひょろ長くなって、花もまばら。

そんな時、宝塚の家の庭が恋しくなります。

その中から一枚。

↑小さい花のタイプのニチニチ草を植えていた頃があった。

今のご近所にも鉢植えがあるのですが、サボテンを植えている人が多い。

西日だけが強烈にあたる環境なので、行き着いた先がサボテンなのだろうか?

そんなことを思います。

今日は、武内の作画の様子から、作品について語りました。

雰囲気だけは、伝わっただろうか?

こういう人もいるのだと思って頂ければ、嬉しく思います。

(時に迷惑な奴ですが・・・)

今日も最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 

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横顔(色鉛筆作品741)と 死とクーラーの関係

2023-08-10 17:17:56 | Weblog

武内の絵では、横顔が描かれることは珍しく、

古代エジプトの壁画を思い出してしまった。

何故、エジプトは横顔にこだわったのだろうか?

そんなことを思いながら、この絵を見ています。

引っ越し後、こんな絵もあったのか・・・という過程をすぎ、

今は出してきた絵は、再び収納されてします。

そんな中、ファイルを引っ張り出し、

「夏って感じの絵だ。」と思ったこの絵を選びました。

この絵も「何故?」と「何?」というものが心にクローズアップされる。

髪の筋、鼻スジ、空と呼応したかのような青い目。

そして、なんとなくファッショナブルな感じもして、

ファッション雑誌の1ページを見ている感触もする。

この感じ方は、わたしだけかもしれないが・・・。

武内は、「イラストなどの“グラフィック”を軽くみる絵書きもいるけど、

グラフィックって、とてもいいじゃない。」

と、わたしに語ったことがありました。

そういう要素を入れた作品な気がします。

それか、自然にそういうふうになった作品なのだと思います。

この青色から太陽の強い陽射しを感じ、

しっかり日焼けした女性のポートレイトがおしゃれだ。

この絵は色鉛筆のみで描かれています。

そして、表面は印刷されたようになっていて、

鉛筆の線は一切感じられないところがあって、

不思議な塗り込められ方なのです。

それが、雑誌の1ページのように思う要因になっています。

恣意的に描かれた黒い線が、けっこう美しい。

 

 

今年の夏は、ほんとうに暑い。

神戸に引っ越してから、わたしは近場から馴染んでいっていて、

はやく言えば、主婦らしい馴染み方。

野菜は、こちらで買ったほうが私的にいいとか、

加工品は、こちらで買ったほうが楽しみがあるとか、

水曜日はここがいいなど。

それが把握できてくると、気持ちが落ち着くというかゆとりが出来るようです。

ヒロクニさんは?というと、この地は子供の頃住んでいた場所と近いらしく、

知っていた道を歩くたびに、以前と随分変わっている様子に驚いているようで、

「驚いた。」と言い、

「マンションてのはなくて、以前はしもたやよ。

マンションのせいで風景が豹変していて最所分らなかった。」

等と話す。

わたしは、“しもたや”という言葉に馴染みがなく、

長屋のようになっていて木のサッシが窓に並んでいる家を想像していた。

意味を調べると「商店街て店を営まない家」となっている。

古い昔風の木造の町並みをのことかな?と思っています。

間違っている想像でもなかったようだ。

ヒロクニさんが小学校の頃と言うと、終戦後すぐだ。

変わってないはずがない。

けれど、記憶があるから以前の面影を追うらしい。

それ以外に、変わったことがあるとすれば、ヒロクニさんは神戸市に来てから素直になった。

「俺は、布団で寝ないんだ!」と押入れで寝たり、

毛布で身体を包んで寝る、家でホームレス状態で寝るのもやめ、

薄い敷布団だが洗い立てのシーツが気持ちいいと寝るようなった。

「クーラーは嫌いだ!」と言って、何故かわたしまで迷惑を被る我慢比べをする生活でしたが、

「クーラー入れておいたからからね。」と、わたしの部屋まで入れてくれています。

後、俺の発見のように語る内容があって、

「熱中症で死んだなんて、恥ずかしくて出来ない。」と言いだし、

「クーラーも付けずに死んだ。って思われる。」と憤慨した顔で言う。

「お年寄りが熱中症で死ぬっていうけど、もしかしたら、苦しんで死ぬというのじゃなくって、

きっと気が遠くなってスーと意識がなくなって死ぬのだと思うな。

だから、苦しい思いをして死ぬのではないと思うよ。」と。

俺って、凄いことに気が付いたという表情をしています。

しかし、この話を聞きながら、あながち真理かもしれないと思いました。

ともかく布団で寝ても、クーラーを入れても、

「堕落している。」と思わなくなったのはわたしにとっては有難いこと!

彼の中で「熱中症で死ぬのは嫌だ。」の方が、堕落に勝ったのかもしれません。

 

ところで、図書館でフランスの料理の本を借りてきました。

↑こちら

キッシュ、パイ、サブレ、パート・ブリゼ、ケーク・サレというパイ地で作る料理の本。

甘いお菓子から、甘くない惣菜のような塩味のケーキのレシピ。

この塩味のケーキに目を奪われました。

ある日、スモークサーモンを半額で購入しました。

これをどうしようかな?と思いながら、この本を手に取っていて、閃いた。

チーズも外国産の4種のチーズも残っているし、サーモンでキッシュをすればいいと。

あまり練らないで生地がポロポロしたものを冷蔵庫で冷やし、

スモークサーモン、チーズ、たまねぎと色味にパプリカを炒めたもの、オリーブを

卵と牛乳、生クリームに塩こしょうしたものを、焼きあがったパイ地に流し込み、

30分焼きます。

ポロポロした生地は穴が開いたり、ひび割れが出きて焼きあがるので、

あまった生地で穴を埋めておくというめんどくさい作業もあったが、

このポロポロ感がキッシュを美味しくさせていました。

そうして、ヒロクニさんに夕食勧めると、

「これは嫌なんだよ。」と。

理論でゴリ押しとばかり、

「これフランスの料理なんだけど、フランス料理好きじゃなかった?」と言う。

「これは、ダメなんだ。」という返事。

ようするに、肉料理がいいのだと気がつく。

新しい料理を作るということ自体が、

わたしにとっては調子が良く、気持ちが落ち着いたというシグナルなのですが、

空振りに終わったみたい。

もう、ふりかけを出しておいたわ。

私的には、美味に出来ていて、18cmパイ生地で作ったキッシュは2日で完食。

独り占め出来て良かったのかもしれない。

(写真は、撮るのを忘れ、ボロくなった生地になってから気が付く始末)

翌日は、蒸し豚を食卓に並べました。

「こんな美味しいもの、ありがとう。」ですって。

正直ものがゆえに、嫌味も言えない。

「キッシュは?」って、こういう時に聞いてみたくなります。

 

最後は、2019年の頃の夏の花。

庭がある頃の育ていていた花になります。

↑ニューギニアインパチェンスとインパチェンス。

どちらもピンク。

こちらの家に来てから、早2ヶ月。

ルピナスの育苗を持ってきましたが、全滅。

もう、干からびて茶色に。

玄関口に花を置いていましたが、ピンクのエキナセアまで枯れさせてしまいました。

花が恋しくなって、夏はどんなふうに花が咲いていたのだろうと過去の写真を見ていました。

玄関口に出る度に、「あー、あっ。」とため息。

水をやるのも忘れがちなって、今までのわたしは何だったと自分が信じられません。

あれほど、ガーデニングに励んでいたのに。

夏の終わりには、ビオラの種撒きです。

どうなることやら・・・、と心配します。

こういうのすべて、夏が暑いせいだと暑さのせいにしたくなります。

ブログの内容も時々する、わたし的簡単哲学のような考えが湧きません。

暑いと、“食欲”つまり、何を食べるかに意識が流れます。

こんな感じですが、最後までお読み下さった方、お付き合いくださってありがとうございます。

 

 

 

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男と女(作品紹介740)と 我家の食卓・アスパラガスのサラダ

2023-08-04 12:51:48 | Weblog

この絵は、引っ越しの時に見つけ、

「この絵は、いるでしょう?こんな所に突っ込んであるけど。」と言いながら、

武内に見せた絵になります。

絵を見たとたん、「あっ、いるぅ~。やっぱり君は偉~い。」と軽薄なふざけた返事が返ってきた。

その口調・・・・。口元が引きつり、苦笑いを浮かべる。

ダンボールに描いた絵なので、重量はとても軽い。

絵も遊びの要素が多くて、軽いタッチ。

ダンボールの表面をはがしたり、彩色しているが、

彩色してから、カッターで薄くはがしているところは、

くっきりと面が浮かび上がるという効果があって、いい。

また、ダンボールのはがすと層ができて、上下で影が出来て、

これまた普通の絵とはまた違う。

しかし、ちょっとボロすぎるのが難点かな・・・、と思いながら見ています。

箱額に入れると見栄えがするかもしれません。

絵は、仲の良いカップル、男と女になります。

それも、コミカルな。

写真は、うまくトリミングが出来なかったので、

スキャナーでそのままの画像。

見苦しかったらすいません。

マウスが動きにくくて、調整が思うように出来ませんでした。

 

 

暑い日が続きます。

2階が午後から暑くなるので、1階に下りて過ごします。

新居に移ってから、アトリエは1階になり、台所とアトリエが同居のスペースになりました。

1階がLDKなので、アトリエの片隅にいる感じで過ごしています。

2階は、絵の収納と私の事務室(階段をあがったところのスペース)と寝室。

もう少し、わたしの居場所を作るのも良いのですが、

暑くて物の移動をするのが億劫になっています。

 

 

暑いと思いながら、アトリエの片隅で食べる夕食を。

久しぶりの我家の食卓です。

↑サラダがメインの夕食。

メニューは、じゃがいものポタージュスープ、アスパラガスのサラダ、牛肉のソテー(塩こしょう)。

付け合せは、キャベツのザワークラフト、枝豆、にんにくソテー。

ポタージュにフランスパンを浸してもいいかもと思い、パンを添えています。

神戸に来てから思う事の1つに、「パンが美味しい。」ということ。

フレンチベーカリーの“PAUL“のパン、シンプルなパンが今のお気に入りになります。

昔ながらの作り方にこだわっているそうで、粉の味がいいのです。

フランスパンなら、長いパンが500円以内。

そのフランスパンを夕食に並べました。

サダラは、アスパラガスを一束100円で買ってしまったので、

どうしよう?と思っていたところへ、ヒロクニさんからチーズを買って来てと。

どこかで食べた、レタスにフワッと削ったチーズ(少し臭みのあるもの)と、

オリーブオイル、岩塩を振って食べたのが美味しかったのを思い出し、

その味付けのサラダ近いものを作ることにした。

これだけだと、「気分が萎える。」と言われそうなので、少量牛肉をソテー。

それに枝豆(私用)を付けた。

なんとなく洋風の夕食の出来上がり。

 

サラダはまあまあの味が再現出来ました。

あっさりしたサラダではなかったので、食べていました。

85歳にもなるのに、脂っこいものが好きなヒロクニさん。

「こんなんじゃ、力出ない。」と、時々言われます。

簡単にレシピを。

↑色味を見ると、玉ねぎのスライスも加えた方が良かったのか?と一瞬思うが、レシピを紹介。

フリルレタスは食べ易い大きさに。

パプリカを黄色と赤のものを六分の一ぐらい。

それは薄くスライスしておきます。

アスパラは茹でておきます。

あっさりしていると何か言われると思い、ベーコンを軽く炒める。

以上を混ぜ合わせ、お皿に盛り、ブルーチーズを小さく切ったものをパラパラと上からかける。

食べる時に、オリーブオイル、塩、好みでレモンを絞ってかけます。

ブルーチーズは、好みがあるのでパルメチザンチーズをかけるのもいいかもしれません。

夕食時は、「牛肉、うまいね。」ばかり。

翌日になって、「あのサラダ?食べたということは、美味しかったんじゃない?」と。

サラダには、あまり興味がなさそう。

4種のチーズを買ったので、それでパスタを作ってみるのもいいなと思い始めています。

 

わたしがよく通る坂道。

↑この坂道は、よく通るのですが、だいぶ足が慣れて来ました。

最所、きつく感じていましたが、随分楽に。

足腰を鍛えるためと思いながら、歩いています。

坂を下りたところで振り返って写真を撮りました。

この道は、わたしのお気に入りのスーパーに行く道。

もう、何度も往復。

「お刺身、安くなる時間帯よ。」と思って行くことが多い。

今は暑さに対抗するために、なんらかの掛け声を自分にかけています。

 

今日は、暑い、暑いとばかり書いたような。

あまり複雑なことが考えられないと感じています。

しかし、食欲は衰えず、何を食べても美味しく感じる日々。

夏は、この調子で乗り切りそう。

久しぶりに夕食のメニューを紹介しました。

変な組み合わせもありますが、自分で作って自分で美味しいと言って食べています。

家のメニューは、ヒロクニさんとわたしだけが美味しいと思えばいい料理です。

だから、気楽にやっています。

今日も最後まで、お読み頂いた方、ありがとうございます。

 

 

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