武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

飲む赤の女・作品紹介87(作品と人)

2012-06-27 10:43:24 | Weblog

「飲む赤の女」というタイトルの作品。
紙にクレヨンと鉛筆の作品。
サイズは、B4サイズ

そして、絵を描いた人「武内ヒロクニ」↓

74歳のお爺様

この人は、暮らしにくい人なのよ!!
結婚して22年になるのに、今だ正体がつかめない人なのです。
話していても、意味不明なところが今だあり、何を考えているのか分からん人。
「急に思慮深い良いこというなぁ」と思ったら、「思慮の浅さに」驚かされたり・・・。本当に驚いて「驚愕」という言葉がぴったりくるくらい、口をあんぐり開けてばかりのわたしは、呆れたり、怒ったりしてしまって心が休まる日がない。
雨の日は、性懲りもなく「ガスストーブ」を台所でつけているのを見て、「靴下と長袖を着てから、ストーブをつけろ!!」と一括しなければならず、こうやって生活と戦っているのです。(変でしょう?半そで、短パンで、梅雨にストーブ・・・)

食事が終わって話していた。
「俺、さほりと珈琲を飲んでいる絵を描きたいなぁ」と言う。「へぇー、どんな風な絵か、見てみたいヮ」とさらりと言った。
四、五日したら、この絵(上の絵)が、トイレに飾ってあった。
「この赤いのは、わたしかいな?」と思ったので、「ヒロクニセンセイ、この赤いのが、わたしと珈琲を飲んでる絵なの?」とアトリエ越しに大きな声を出していった。「そういう分けじゃやないんだけど・・・・」と言う。「そうなの?」「この赤いのが、わたしだと思った」と返事をした。そして、思ったのです。「どんな変な風に描かれても、痛くも痒くもないからいいわ」と・・・・。

何でも、絵にぶつけてくれていたら、それでいい。
だけど、この絵に人間関係が現れていて、怖い。

ヒロクニさんって、嘘つきのような感じもあるのですが、以外と正直で、無邪気です。
気取りを持っているつもりなのに、カッコ悪いことも平気でするから、横で見ていると「君には、プライドがないのか?」と言いたくなることが良くあります。プライドが高い人から一気に惨めな方向へ急転下できるのが、謎。
わたし以外の人には、とても愉快でユニークで、面白い人物です。
わたし以外の人には、我儘をいいません。


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我が家の食卓・刻んで!刻んで!!疲れる編

2012-06-21 12:30:59 | Weblog

我が家での料理は、野菜や肉を刻んで、やわらかくをモットーに勤しんでいる。
歯が数本しか残っていない、ヒロクニ殿が食べ易いように、工夫しています。
上の写真のメニューは、鶏のささ身入りポテトサラダとインゲンとにんじんを塩とバターで茹でたものをしゃぶしゃぶ用のロースの薄切り肉で巻いた料理。汁物は、茹でたささ身から出たスープにほんの少しガラスープを加えたものに溶き卵を入れ、貝割れ大根を入れたもの。

「掘られたての新じゃが」をたくさん頂いたので、ポテトサラダをまず、思いついた。それから、冷蔵庫の中を覗くといんげんが少量とにんじんを取り出して「これを、どうにかして・・・」と思い付いた。本当は、豚しゃぶをするつもりで買った肉を眺めて数十分・・・。牛肉を巻いて作る八幡巻きを想像して、似たようなものとして、インゲンとにんじんを茹でて、豚肉で巻いた。


これが、クルクル巻いて作ったもの。爪楊枝とかは使わなくても、ツギハギになっている所を最後に焼けば、肉が自然に縮んでうまくいく。
野菜は、バターと塩の風味で味がついているので、肉には塩、胡椒とシンプルな味付け。粗引き黒胡椒で味を引き立てれば、十分。
巻ききれなかった野菜は小さく切って、お皿に飾りました。
こうやって、飾るとヒロクニ殿は、喜ぶのです。右端にある「沢庵」は、わたし用。噛み応えのない食事ばかりでは、嫌になって来るので、カリカリとこれ見よがしに、ヒロクニ殿の横で音を立てて食べます。(スッカと壮快!)

上の写真を見てください。実は、小鍋が乗っている右のコンロ(異常な黒さ・・・)は、大きな鍋使用の時は火がつき、小鍋の時は火が付かない。茹でモノ(じゃがいも、ささ身、ゆで卵、いんげん、にんじん)が多くて、やたら時間がかかったので、勢いが間延びしてしまい、何となく達成感がイマイチ。ダラダラと作っていた。
この日は、見た目はシンプルだが、とても手間がかかった料理ともいえる。



次の日のメニュー。

焼きなすに、棒棒鶏。豆腐のスープにトマト。
この日は、蒸し暑かったので、さっぱりメニュー。
棒棒鶏のためにきゅうりを細く切り、ささ身は手で裂き、トマトの角7ミリに切ったものを少量入れ、混ぜておいたものに、醤油とごま油、酒、味噌、一味唐辛子をボールでテキトーに味見しながら混ぜる。それを上から、かける。
焼きなすはしょうがと、たっぷりのねぎに、鰹節をかけています。

トマトは、特別な味付けをしています。
オメガ6の特別なオイルと塩で和えています。このオイルは、身体の中にある「不飽和脂肪」を少なくしてくれる作用があって、「ウドズ博士が開発したオイル」と云うのです。最近、このオイルをトマトにかけるのが、好きになってしまってハマッテいる。
ヒロクニ殿が、トマトを食べる時に「その汁を飲まないとダメなんだよ」といつも言って、小鉢の中を確かめている。高いオイルなんだから、舐めて欲しいくらい。
「健康デザイン」という会社から、購入しています。わたし達には、結構高い買い物なので、よく切らしますが、とても身体にいいオイルだなぁと実感しています。

質素な食事だけれど、手間を惜しまないよう努力しています。
(努力しかありません)
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モーニングサービス(作品紹介86)

2012-06-16 22:47:45 | Weblog

「モーニングサービス」という作品。
ちょっと頭ぶっ飛びモノだね。
赤と青のボールペンと色鉛筆使用。

この絵は、台所にて額に入れて飾ってある。ついついこの絵を知らない間に見つめていて、頭グルグル状態。
ハッと我に返って、何を考えていたのだろうか?と頭が真っ白。
しかし、わたしはこの作品を気に入っている。

わたしの絵が近くにある。わたしの絵は壁面にすいこまれているかのように、奥に引っ込んでいるが、この絵は前面に飛び出してきてきていて、パワー全快である。わたしの絵と見比べると主張そのものが違うのネ。あたりまえの事に気がついてびっくりした。

創造物の権毛というか、男性の持つ創造の特性というか、そんなモノを感じました。

生活能力はない我が良人。
ブログでヒロクニさんの愚痴も一杯書いたが、ため息が出るほどないい作品をたくさん描いてくれたら、不愉快も吹っ飛ぶと思うのだが・・・。

最近は、デッサン(意味不明の落書き)や切り抜いた写真をスクラップしていて、その上にドローイング。コラージュと色彩で彩られたスクラップは三冊になりました。不要と判断した紙切れが、45ℓのゴミ袋に2個出来ました。その場にいて点検出来なかったのが残念。わたしが「イイなァ」と思うものも捨てられてしまったのかもしれない。
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ヒロクニさんからのプレゼント。

2012-06-13 15:23:22 | Weblog
楽しみは創り出せるものよ (ターシャ・テューダーの言葉 (2))
ターシャ テューダー
メディアファクトリー

ヒロクニさんからのプレゼントの本

最近、ふくれっ顔をしているわたしに、「サホリにいいと思って・・・」とヒロクニさんが本をプレゼントしてくれた。
しかし、日頃、「サホリにいいと思って・・・」と本やらCDを買うが、わたしには、全然興味もてないことが多く、「サホリに♪と言って買うと自分が欲しいのではなく、サホリがいいと言ったというお墨付きをもらい、さほり為に僕は買った」という心理劇を演じて、結局は自分の好きな物を買うのだ。
わたしは、そのまどろっこさに、イライラするので、「あなたの方が何でも詳しいに決まってるから、わたしの為になんかいらないから、好きなのを選びよ!!」とまだるっこしい空気を跳ね飛ばす。
そしていつも言う「この○○が、欲しいんやね」と念を押す。(ほんと、子供の買い物につきあっているママなわたし・・・)
サホリの為にと言われると「ゾクッ」とする。こんな風なのであまりすぐには喜べませんでした。

その本を見て、いつもの事かと思い「あー、そう」とチラッと横目で見てそのままにしておいた。ターシャ・テューダさんの本は、以前図書館で借りて知っていた。庭の写真がとても芸術的なのだ。夕食が終わると皿洗いをするヒロクニさんの横で眺めていた。ターシャ・テューダさんは、アメリカ人というのを知って驚いた。庭の感じからイギリス人と思いこんでいた。

最近、お花を飾ったり、小さいガーデニングをするくらいでしたが、ほったらかしの庭を見ていると・・・・・。雑草もう少しなんとかしなくっちゃとなり、草にまみれることになった。


紫のネモフィラの種を取っているところ
着ているTシャツは、自分で刷っりました。紫のTシャツにピンクの色で刷ったオリジナルシャツです。


ヒロクニさんが勝手に取っていた写真
草ぼうぼうの我が家の庭。ゴミ袋3個分も。


これは、20年以上ほったらかしになっていた、サフランの球根。
掘り返して、分球しました。

菖蒲と思っていた花も球根アイリスだとわかり、10月植えます。

ターシャ・テューダさんの庭の大きさは、20万坪らしい。
30坪程の庭でも、美しくしようと思ってやってはみたものの、足腰が・・・。その上自給自足の生活をされていると思えば、ターシャ・テューダさんは、凄い。タフそのもの。穴を掘るだけでも疲れたヮ。






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新・平家物語を読んで、平成の時代を考える(2)

2012-06-09 23:58:33 | Weblog

平家物語は、とても面白い。
しかし、今現在に何か共通するものを感じる。

この平安時代の末期は、武士階級が強くなってきた時代で、武家社会の始まりの一歩という時代の変化が見られた。平清盛がその始まりを築き、鎌倉幕府はさらにそれを推し進めた。そうやって築かれたことで江戸時代まで武家社会が続く。そういう意味で、平安末期は激動の時代だった。
この頃、地震もよく起こっている。飢饉の上に地震で、巷は阿鼻叫喚の怨嗟の念に包まれながら、浮浪者や盗賊の増加で治安も乱れ、世の乱れが目に付くようになる。
朝廷内でも、揉め事が多く、そのことが原因で「後鳥羽天皇と崇徳上皇の戦い」保元の乱が起こる。
その後、清盛は叔父の首を斬り、それが忠誠の証しとして平家は重んじられたが、源氏は謀反に加担した実父を斬ることが出来ず、助命を乞うた為、あまり重んじられなかった。
清盛が京を留守にする。熊野詣に出かけた清盛の留守を見計らって、源氏(一部の人間)が朝廷に対して謀反を起こす。そして、討伐に向かった平家と源氏の戦いが、「平治の乱」という。清盛は、それにも勝ち、平家は栄えていく・・・・。

すごく単純に書きましたが、朝廷内の心ない行為が、争いを招き(保元の乱)、実父を殺せなかったが為に待遇に不満をもった源氏方。しかし、実父を殺せという無理難題。実の父(為義)にしても、争いの為の戦には参加を最後まで否定していたが、恩のある家からの嘆願とあって、どうしても断れなくなっての戦(平治の乱)。なにか、見えない糸で操られているようにもみえる。

何故、平家物語を読んで、平成を思ってしまうかと言うと類似がたくさんあるのです。
阪神大震災、東北太平洋沖大地震、フクシマ原発の問題。
フクシマ原発の問題は、誠実な答え(正しい情報)は国民に知らされない。誠実な対応もされていない。
官僚の天下りを受けている人は、絶対その立場を放したくない。
放射能は、なくても福島産と見たり、聞いたりしただけで、ワーワーいう。(添加物の方は気にならないのかしら?といつも不思議に思う)
わたしも愚かな人間ですが、全体的に日本人が愚かになっているのであれば、世の中は乱れて当然のような気がします。
自分自身の生活でも、只の欲得での「争い」を慎むというのを心がけようと思いました。


こんなわたしの文章より、面白い観点で文章を、人形作家の辻村寿三郎氏が書かれています。
(辻村寿三郎さんの人形劇、素敵ですよ。一度しか見ておりませんが、その一度の舞台、今もなお感動を忘れることができません。それぐらい、素敵なのです。)

↓以下引用文

昔から、年号に「平」「治」(※)がつくと世が乱れるといわれています。崇徳上皇の呪いがいつにも増して強くなるからです。
明治の御代が始まったと同時に明治天皇が、崇徳上皇の御霊を讃岐の白峯から京都へお移しになっていますが、「明治」という年号と無関係ではないでしょうね。
明治には『治』がつきます。だから明治天皇は崇徳上皇を白峯から京都へ戻し、御霊を慰めてお祀りしたのにちがいありません。
ところが今は「平成」。なるほど、平成になってからいろいろ世間が騒がしいじゃないですか。ふと考えたら年号に「平」がつくでしょ。なんで年号が崇徳上皇の、いまさら「平」のつく年号なんだって思うじゃありませんか。平治の「平」、平家の「平」ですよ。気になるよねぇ。符号みたいなものなんです。
現代は、平治の世から数えておよそ千年。これが時の糸車なら、平安時代が真下にあって、その真上に、平成の現世が来ているってことじゃないでしょうか。
ご存じの通り、平安には百鬼夜行が跋扈(ばっこ)していました。平成の世は目に見えないだけで、たくさんの魑魅魍魎が飛んでいます。だからワケのわからないことがいろいろ起こるわけです。
今みなさんがスピリチャルなものに惹かれているのも、とても偶然とは思えない。平安時代もサイキックの陰陽師が活躍した時代です。そういえば陰陽師は、平成になってから映画で、見事に現世へ甦ったじゃないですか。
そう、気付く人だけが気付くのです。
今の困難な時代をとくヒントが、平安の世に、そして平家物語のなかにあるのかもしれませんよ。
.

※「平」「治」:
崇徳上皇が亡くなったときの年号が「平治」。平安末期の動乱は、保元の乱、平治の乱と続き、これが平家物語の序章になる。ちなみに、平治以降、年号のあたまに「平」が付くのは、平成が初めて。
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新・平家物語を読んで。(1)

2012-06-05 13:34:36 | Weblog

ブログもあまり書かず、「新・平家物語」吉川英治文庫を読んでいました。
平家物語って、面白いんですね。こんなに、面白いとは。

吉川英治氏の文章もとてもいい。物語の中で場所を移動する時は、紀行文のように風景描写がくっきりとイメージがする。その土地、その土地の人の気風なども、伝わってきて、まるで旅行に行ったあとの記憶のように書かれている。人物描写には、深い愛情がこめられていて、どの登場人物も生き生きしている。どの登場人物にも、わたしは、愛着を覚えた。

そして、男らしい文章で、優しさのようなものを感じた。

読書に耽ることで、ヒロクニさんと会話を避けていた(会話ではなく、延々と聞いて欲しいというやつ)。ところが、「新・平家物語」は、ほんとに面白くて堪らなかった。する事をしたら、読書。寝るのも惜しいくらいだったのです。

ヒロクニさんと一緒に行ったことの多い土地の名前が出てくる。それも手伝って過去の時間がオーバーラップされて、不思議な読書になってしまった。土地名だけ挙げると、『明石』『淡路島』『由良』『室津』『丸亀』『明泉寺』『鬼界ヶ島』『一乗寺下り松』。
暮らし始めた時は、JR明石駅がもよりの駅ということもあって、淡路島にフェリーで行ったり、そして、由良の漁村を散歩したり。由良では、春だったのか、子猫の大群に出会ってびっくりしたと同時に、漁村って魚があるから、山ほど猫がいるものなのか?と異常な光景と思ったりして・・・。
阪神大震災の前日は、室津行っていた。ヒロクニさんは、室津の入り江がとても好きで、よくその入り江を思い浮かべては、話す。その時は、どこか遠い目をしている。
丸亀(四国)は、猪熊源一郎美術館があって行った。(素晴らしい美術館)
そして、行ってはいないが、ヒロクニさんがほんの一時幼少の頃に過ごした「鬼界ヶ島」。平氏側の人だが謀反を起こして島流しになった「俊寛僧都」の墓へ行って、掃除をしたという思い出を語ってくれる。

ヒロクニさんは、神戸の長田にある「明泉寺」に壁画を描いたことがあり、そこには、平清盛の息子「平知盛」、そして、その息子(清盛の孫)「平知章」の墓がある(16歳で没)。また、明泉寺は、平盛俊(清盛の弟)が、一ノ谷の合戦の時に陣屋を敷いていた所だと言う。

ヒロクニさん過ごした時間が、「新・平家物語」を楽しくさせてくれたと思うと皮肉。喧嘩中の読書が「新・平家物語」だったというのが、因果やねぇと思うのでした。
ヒロクニさん曰く「私は、平家贔屓なんよォ」。
わたし曰く「私は、判官贔屓です」。

「源義経」という人は不思議な魅力を持ちます。静という美しい恋人が、源頼朝の前で、死を覚悟の上で、義経への恋う思いの歌を詠って、頼朝を激怒させる。それ程、静は、義経を愛していた。義経は、兄頼朝によって追い詰められて、最後は、自害を選ぶのですが、平家を倒してからは、身は守るが、ほとんど武力を捨ててしまっているのです。不思議な魂の持ち主だなと思う。

源頼朝に捕られ、頼朝の前で、静御前が詠った歌です。

よしの山
峰のしら雪
踏みわけて
入りにし人の
あとぞ恋しき

しづやしづ
賤のをだまき
くり返し
むかしを今に
なすよしもがな

捨てはてて
身はなきものと
おもひしも
雪の降る日は
寒くこそあれ




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