武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

新緑の季節(色鉛筆作品紹介549)と 刺繡入りマスク作ってみました!

2020-04-25 15:29:30 | Weblog

新緑の美しい季節がやってきました。

そんな時に、ヒロクニさんのアトリエで見つけた絵です。

ちょっとかすれたような風合いの絵で、野太い赤い線が印象的。

風が吹いているような感じが、私は好きです。

挨拶で、OKとかピースをしているような形が、ご愛嬌。

 

我家の庭では、柿の木に萌黄色の葉が茂り始め、つつじ(花咲かず)も、萌黄色。

季節の移り変わりに目を奪われます。

今年の4月は、寒いので、未だチューリップが咲いています。

↑背丈が低く、花びらにギザギザがあります。

↑どうも咲く時期が遅いチューリップのようで、今からです。

春が気温が低かったので、今年は、花が長持ちしているよう。

バラ咲きのチューリップも植えていましたが、全滅したようで姿形も見れませんでした。

昨年は、穴グマが、植えても、植えても、チューリップの球根を掘りあげて、

庭にいつも球根が転がってましたから、しょうがないのかもしれません。

 

私も重い腰を上げてマスクを作ってみました。

マスクが近所では、売っていないので作ることにしました。

リネン(麻)とガーゼ(裏に)のマスクで、夏用に。

そして、刺繡も入れてみました。

ヒロクニさんは、「マスクつくろうかなぁ?」と言うと、

「ピンクと紫の2色のマスクを作って!」と。

「その色は、ないから布を買わないと・・・。」と言うと、

「わざわざ買うこともないだろ。」と節約モードに。

「ある色で、いいわ。」と諦めたのでした。

↑作ったマスク。

紺色は、私用。花柄の刺繡をしました。

白は、ヒロクニさん。ヒロクニさんの絵のモチーフから取りました。

水色の線は、水で消えるチャコを使用しています。

 

ヒロクニさんは、自身の絵柄が入っているマスクを大層気に入ったようで、

「このマスクもう少し作ってくれない?」と。

「俺、このマスク、プレゼントしたい人がいるから。」と催促されることに。

 

ギャラリー等の挨拶で、Tシャツのデザインをされている方が、

「自分のデザインしたTシャツは、恥ずかしくてあまり着ません。」と、

話されているのを聞き、とても謙遜されているのだなぁ~と思ったことがあります。

ヒロクニさんは、私がヒロクニさんの絵からTシャツにシルクでプリントすると、

「いいねぇ~。」と言って、すぐ着て、「俺、このTシャツで街を歩きたい!」と、ノリノリ。

いつも、謙遜された方と、良人のこの違いをかみ締めてしまうのでした。

今回のマスクの絵柄でも、自分の絵だとすごく嬉しいみたいで、

自己肯定型のタイプなんだなぁ~と痛感します。

髪の毛が、ふさふさな人は、その傾向が強いらしい。

我が良人は、82歳なのに、髪は真っ白くなりかけているけれど、

フサフサで、その髪の毛を私がいつもカットしています。

そんな人の横に入るせいか、

どちらかというと自己否定型(私はだめだ、私なんて等)だったと思う私も、

「そんなことない、私にだって出切る。」と言うノリの軽い人に変化してしまって、

ビデオで、モデルさんが着ている服を購入した時も、

ショーでモデルの人が着ているのと、自分が着ているのでは、全然イメージが違い、

ビックリしたことがあるのですが、(同じ服とは思えなかった)

すかさず、そのビデオ見た後、「私だって、似合っているよねぇ~。」と周りに問いかけた。

すっかり、おばさん精神なのか、自己肯定感が強くなっている自分にビックリしたことがあります。

何か、ヒロクニさんと一緒に居て、頭のタガが緩んできているような・・・・。

 

 

話は、変わります。

コロナウイルスを抑えるべく、緊急事態に入ってから、

万葉集のある歌が、私の中で蘇ってきています。

好去好来の歌一首なのですが、山上憶良の長唄です。

■原文を紹介します。

神代より 言ひ伝て来(け)らく そらみつ 倭の国は

皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことたま)の 幸(さき)はふ国と

語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと

目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども

高光る 日の朝廷(みかど) 神ながら 愛での盛りに

天の下 奏(まを)したまひし 家の子と 選びたまひて

大命(オホミコト) 戴き持ちて 唐(もろこし)の 遠き境に

遣はされ 罷りいませ 海原の 辺(へ)にも沖にも

神づまり 領(うしは)きいます 諸々の 大御神たち

船の舳に 導きまをし 天地の 大御神たち

倭の 大国御魂(みたま) 久かたの 天のみ空ゆ

天翔(あまかけ)り 見渡したまひ 事終り 帰らむ日には

又更に 大御神たち 船の舳に 御手うち掛けて

墨縄を 延(は)へたるごとく 阿庭可遠志 値嘉(ちか)の崎より

大伴の 御津の浜びに 直(ただ)泊(は)てに 御船は泊てむ

障(つつ)みなく 幸くいまして 早帰りませ

↑遣唐使の図

この歌は、当時危険が伴う遣唐使が旅立つ時に、神のご加護がありますように、

そして、無事生きて生還しますようにという祈りを込めた歌なのですが、

黄色で記した部分のところに後ろ髪が引かれる思いがして、

今また、自分で作った資料を読み返しています。

■黄色の部分の意味は、

 神代以来、言い伝えられたことですが、大和の国は 国つ神の威徳の

 いかめしい国 言霊の 助ける国だと 語り継ぎ 言い継いできました。

いかめしい国というのは、神威厳然という感じでしょうか?

言霊は、言葉に宿る霊力。古代日本人は言霊の働きによって禍福が左右されると信じた。

とあります。

これは、万葉集の頃、奈良時代の歌ですが、

今、現在コロナと戦っている最中に思うのです。

私の周りにはいませんが、テレビを付けると、無責任な人が多く写ります。

「えっ。」と思うと同時に、

本当に不平不満とか、批判ばかりしている人達が多いのかと不安に思う。

何故か、責任をもたない人達が、「責任は?」「責任は?」と言います。

テレビで、写る人達の言うことを聞くと、いつも信じられないという感じなんです。

この言霊ということを考えると、

今は、非常時なのだからこそ、

汚い言霊を多く発してはいけないのでは?と、感じました。

古代の人の叡智を侮ってはいけないと思う次第。


  

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SUBWY(色鉛筆作品紹介548)と 我家の猫模様

2020-04-15 18:39:40 | Weblog

「SUBWY」と書かきこまれた作品。

以前の地下鉄シリーズの作品とは、ちょっと感じが違う。

この絵を始めてみた時は、やはり驚きました。

今、台所では、ヒロクニさんが録音していたテープがガンガン鳴っています。

朝、ポルトガルで生まれた民謡のファドが流れてくる。

「アマリア・ロドリケスかな?いいなぁ~。」と、思っていたら、ブッチっと音がして、

急に、アンダーグラウンド系?ニューウェーブ?のロックが・・・。

そう思って聞いていたら、バロック。クラッシック。

ブッチっと音がしたら、現代音楽が・・・。テリー・ライリーか?

とにかく、ブッチっと音がしたら、脈絡なく、カテゴリーの違い過ぎる音楽に変わります。

そのテープを聴きながら、

「俺は、こんな風にテープに録音しておいて、マメな男だねぇ~。

今では聴けない音楽があると思うと、俺は偉大だ。」と。

私は、気持ちが付いていけないテープであるが、

ヒロクニさんにとっては、珠玉のテープで、すべてが等価に位置しているようです。

この絵は、なんだかヒロクニさんのテープに似ています。

 

 

音楽は、落ち着かないが、

そんな日常生活にそっと猫が入り込んできています。

この絵が、テレビの上、台所に貼られていました。

この絵は、熊谷守一氏の絵です。

熊谷氏の作品の中でも、あまり知られていない猫の絵です。

そのせいか、新鮮な感じを受けました。

また、なんとも言えない猫の感じが滲み出ていて、心がホッとする。

手足の感じも、普通はこうは描けまいと、思う。

この絵を見ているとこの猫ちゃんになってしまいそう。

ヒロクニさんが、この絵を選んで、切り取って、貼っているのが新鮮でした。

 

また、私がハーフステッチというものを始めてしていた。

古典的な絵柄に、猫があった。

出来上がりかけている刺繡を見て、「その柄だったら、ケース欲しいなぁ。」と。

眼鏡ケースをヒロクニさんにも作って上げると息巻いていたら、

「眼鏡ケースより、して貰いたいことがたくさんある。そんなに欲しくない。」と言われていたので、

急に心変わりした良人に驚いた。

「なんか、ピーに似ているし、その茶色がいい。」と言う。

ヒロクニさんは、ピーちゃんの毛色のことを、

「ブラウンの感じがいい。」といつも言う。

何か、茶色に引かれているようです。

↓こちらがその眼鏡ケース

↓裏はねずみをあしらいました。

ちょっと、ヨーロッパの中世の感じがして、私も気に入っていました。

猫を飼うと、猫が忍び寄ってくる現象を楽しんでいます。

 

我家のピーちゃんは、今日も朝から「隠れているつもり」をしています。

↑いつも、しっぽが見えているか、鼻先が見えている。

これが、隠れているつもりのピーちゃん。

 

↑茶色い上に被さっているシーツをめくると、いつも目が丸い。

隠れて、人が行き来する足に悪さをするのが楽しみらしいが、ほんとに見えすぎなんです。

 

庭ではチューリップも本格的に咲くようになりました。

↑ビオラの鉢を移動させて、いい感じに配置してみました。

 

今日は晴れたので、光を浴びて、花が美しい。

花もきれいだけれど、「光」の凄さを感じます。

 

変なこと書きますが、この光のことを思う時、宇宙の恵みというか、

大いなるものの力を感じます。

今は、コロナ肺炎で、大変なときなのですが、

大いなる暖かい力はいつも存在していると思うように。

なかなか苦しい時でもありますが、ちょこっと感謝することも心がけようと思っています。

冬なったら、ヒロクニさんの悪態を書き募っているようなわたしですが、

少しでも心の持ちようというか、前向きな努力をしようと思っています。

 

 

 

 

 

 

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アルトーハウス(作品紹介547)と 不思議な縁とは?

2020-04-08 15:42:14 | Weblog

「アルトーハウス」と名付けられた作品。

30年以上前に描かれた絵です。

色鉛筆も、油性の色鉛筆でなく、ガランダッシュの水彩色鉛筆を使っている。

この絵が描かれた頃に、ヒロクニさんと出会って、お茶を飲んだりしていた、

“当時の初々しい私”を思いだします。

「この絵をグループ展にて展示するから、是非見てくれないかなぁ~。」と、

電話で言われた記憶がよみがえる。

右上に“sahori”と描かれているとのですが、

私に「さほりのことを思って、描いた絵なんだ。」と、

「ココにsahoriって描いてあるでしょ。」と、言われた。

わたしは、そんな風に甘い言葉を言う人は、ちょっと引くタイプなのですが、

ロマンティストなのか?、板についているのか?自然に言っているのか?

そのことに、驚いていました。

お茶を飲む回数が増えるにつけ、そういうヒロクニさんに慣れ、

段々違和感を覚えることがなくなってきた。

この作品は、そんな時を思い出す作品なのです。

 

最近、何で刺繡にはまってしまったのだろう?と考える時があります。

偶然が重なって、虜になってしまったのだけど・・・。

結婚した時に、偶然実家で、刺繡糸がごっそり見つかった。

それを、全部貰ったのですが、刺繡なんか全然しなくて、30年ぐらい手をつけることなく持っていた。

プレゼントにいいなぁ~と思ってから、ちょこっと、何かを作ってプレゼントをした。

その後も、刺繡はあまりしなかった。

刺繡熱が入ったのは、ピンスタレストのある1枚の写真を見てからだ。

その画像を見つけたのも、偶然に等しい。

ピンスタレスト自体を知らなかった。

そして手持ちの刺繡糸が多量にあったから、のめり込めた。

一から刺繡糸を買い揃えるのであれば、断念したように思う。

 

ヒロクニさんとの出会いも不思議。

私は、故・美術研究家の山本芳樹先生から頂いた、ヒロクニさんの個展の案内状がご縁の始まりだった。

個展会場で、ヒロクニさんに会い、絵がとても気に入って、当時絵が高かった(私には)ので、

小さな絵を描いて欲しいとお願いした。

生まれて初めて、絵を購入したいと思ったのです。

それが、ご縁でヒロクニさんと、現在に至ります。

私が思うには、「山本先生に出会う」ということが、ありえないというか、

ちょっとした偶然なんです。

芦屋の画材店でアルバイトをしていて、休憩中に、絵がある喫茶店を見つけたのです。

いろいろ話していて、「あなたの絵も飾ってあげる。」と言う事になり、

「パーティをするから来て。」と言われて、その時に来られたのが山本先生だったのです。

山本先生は、いろんな画家を知っておられたようでしたが、

たいした絵を描くわけもない私のような人にも、啓蒙をしてくださったりして自宅に招いてくれたりと、

とても芸術熱があり、いろんな画家達を知って、いつも話に感心していた。

ヒロクニさんは、その中でも「おもしろい絵を描く。」ということで、

はじめて「武内ヒロクニ」という名前を教えてもらった。

 

刺繡とヒロクニさんとの出会いを書きましたが、

偶然やら、成り行きやら、その時が来たら物事がなんなく動く、足取りを追っていったら、

よく言われることだけれど、「偶然は必然」と言ったりするのにも、納得できる。

しかし、すれ違う可能性もあるわけで、

もしかすると刺繡糸なんかも、引越しの時、捨ててしまう可能性もあったはずなのに、持っていた。

人は、自分の意思で生きていると思っているが、何か違う働き、潜在意識のようなものの働きというか、

もっと大げさに言えば、自分の意思より大きな力、神様のようなものが、アレンジしてくれているのでは?

自分が思う以上に、何かに導かれているような・・・・。

この絵を見て、ヒロクニさんと出合った不思議な縁のことを、思っていると、

人は、なんらかの力で守られているような気がします。

 

結婚してから、ヒロクニさんが話してくれたのですが、

「俺は1人は苦手だから、明泉寺の大日如来に、いい人が見つかりますように!」と、

力一杯、合わせる手を突き出すような強い感じで、真剣に祈っていたそうです。

ヒロクニさんが言うには、「和尚の助言で、お祈りします。合唱。という感じではなく、

力強くいけ!と言われたから、俺、頑張ったよ。」と。

そうしたら、3人の女性が現れて、誰にしようか迷ったのそうです。

私のお祈りは、イメージするでしたが、ヒロクニさんの場合は「力強く」がポイントみたい。

本当に、何か不思議な力が働いていたのかもしれないと、思います。

ちょっと、幼稚な哲学めいたことを書きました。

 

 

↑庭には、やっとチューリップの花が咲き始めました。

落ち着いたオレンジ色。

 

↑ムスカリが、グングンと成長して咲いています。

 

庭に咲いている花を寄せ集めて、食卓に飾っています。

昨年植えたチューリップが、花をつけてくれたので、小さなチューリップと一緒に飾っています。

ヒロクニさんは、「今回の花の盛り方がいい。」と、褒めてくれました。

たくさんのチューリップが咲くのを楽しみに待っています。

 

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