「風が吹く」というタイトル。
単純化された西洋の城のようなものに風が吹き、大地にも風が吹く。
鉛筆やマーカー、ボールペン、色鉛筆で描かれています。
鉛筆の部分が黒光して写ってしまっていて、実物とは感じがちょっと違うなのが残念です。
最近、何故か画面が二分されて描かれる絵が、多くみられます。
ヒロクニさんは、西洋のゴシックロマンの文学が好きで、そんなイメージがあるのだろうか?と思ってみる。
私は、ヒロクニさんから、ヒロクニさんが気に入っているフランス文学を始めて勧められ、読んでみたことがある。
私が言った一言は、「何で、こんなに面白くない小説を勧めるわけ!」であった。
ヒロクニさんは、身をこわばらせ、こちらを見た目が忘れられない。怯えていた。
ウニカ・チュルンの「ジャスミンおとこ」という本でした。
ゴシック・ロマンの方のは、本の装丁の美しさにつられ、紹介されるまま読んだのでした。
美しいイメージと幻想的な話の展開がとても好きになり、
私はこういう絵を見ると、いつもその小説群を思い出すのです。
しかしまあ、ヒロクニさんは作風がたくさんあり、頭の中がどうなっているのだろうと横にいて思っています。
時々、ぶっ飛んだ絵があり、ついていけないと思うことも度々。
そんなヒロクニさんが、美術評論家のM氏に「あなただったら、桜井波江の絵をどう語るか聞いてみたいよ。」と言ったら、
「その人、知らないね。」と言われてねぇ~と、外でした話を家でする。
「私も、知らないよ。」と言うと、「調べたらすぐ出てくるよ。太宰治とも交友があって、独立美術の人、三岸節子とかとね。」と言う。
そして、調べてみました。
2点だけ絵を紹介します。
顔 石川県七尾美術館収蔵
波 「和田コレクション 桜井浜江展ー繰り返す生命の輝きー」より
こちらから引用→ http://www.kameimuseum.or.jp/topics/2010/09/post-3.html
いろいろ調べていくと、宰治の晩年の名作「饗応夫人」のモデルにもなった人とも紹介されています。
三鷹にいた太宰治が度々、アトリエに遊びに行き、こころよく迎えてもらっていたようで、桜井氏の画材を使って、
即席で絵を描いて、アトリエに残していったそうです。
調べて知ったことを、ヒロクニさんに話すと、「瓜長顔に描かれた顔があるだろ。」と。
「太宰は、絵の才能はなかったねぇ」とも。
独立美術協会に所属していて、確かに三岸節子さんと同期の作家でした。
ヒロクニさんは、絵画と音楽と文学には、詳しいので、ヒロクニさんから学んだことはすごく多い。
文化面では、私は、辞書がわりにしている。
すぐ質問するのだけど、いつもうまく単語の羅列で意味がわかるように説明してくれるのです。
CD店で、「プロ・グレって何ですか?」と質問して、音楽に詳しそうな店員さんを絶句させた経験のある私に、
「プロ・グレってコレ」と悟らせた人なんですから・・・・・。
この話をロック音楽通の人に言うと、「けっこう怖い質問かも・・・」と返事が返ってきます。
話は日常へ。
少し春の気配を感じながら、梅の木をいつも眺めています。
ヒロクニさんが、80歳にしてやめたことがあります。
それは、庭木の剪定。変わりにやるようになったけれど、けっこう大変です。
しかし、何の考えもなしに、バシバシ切っていくヒロクニスタイルから、
近所の方から、剪定のやり方を教えてもらう私。
そうやって剪定した梅の木は、はじめてたくさん花を付けました。↓
満開が楽しみです。
ピピちゃんは、初めて布団に入っています。
枕の上に手をちょこんと乗せて。
暴れまわったあとに急に静かになった瞬間です。