この絵は、始めは1つの骸骨の輪郭が描かれていました。
その中に2つの骸骨が描き足され、目がウルウルした骸骨になり、
飛脚のような足が加えられ、なんとなくアメンボを思い浮かべたのです。
いつものことながら、「変わった絵だなぁ~。」と思うのでした。
そして、何だか愉快が湧いてくるのです。絵で、愉快犯を犯すって感じ。
ヒロクニさんは急に話し出し、それを聞いていた。
「夫婦は深遠なるものだって、俺もこの歳になって思うよ。」と言い出した。
「クレジオが言う物質的恍惚という・・・・」、この・・・・・から意味がよく分からなくなり、
「大いなる宇宙というか、深遠なるものってのは、あるんだねぇ~」と。
「俺は、人工的な自分の世界(絵画のこと)を描くんだ!と思っていたが、
どうしても自然ってのが、入ってくるね」。
「子供の頃、桜島の溶岩を見て育っているから、その荒涼とした風景がまぶたに浮かぶけど、
火山が爆発したりしてみないと分からないってのはあるねぇ~」と言う。
「そして、全部が影響しあっているのを感じる」と締めくくった。
本当は、話自体はもっと長いのですが、長い話を聞きながら自分で要約できた部分のみしか書けないので、
このような感じになっております。
何か宇宙感というか、存在の哲学的なことを言っていたのだと思いますが、
話し方自体が、散文のように話すので、いつも困っています。
ヒロクニさんは、哲学や概念というものが好きで、言葉の使い方が独特です。
その雰囲気は、少し伝わったでしょうか?
私はヒロクニさんと反対で、いかに難しい言葉や複雑な表現を簡単に自身の脳に放り込むか、
という操作をしないと頭に入らないらしく、操作が出来なかった言葉は、忘却されてしまいます。
こんな状態なのに、「夫婦は深遠なるもの」なる言葉を聞き、驚いています。
梅雨で雨が多い中、庭に紫陽花が咲きました。
じめじめした時に見る紫陽花は、爽やかで気持ちを清々しくさせてくれます。
↑我家の紫陽花です。
今年は、いつもより多く花を付けました。
↑ここの紫陽花は、最所白っぽくて、薄っすらとピンクががった紫か、ブルーになります。
色が濃くなってくると、花弁も大きくなりボールのように大きい花に。
大きくなる中間ぐらいの時が、美しいなぁ~と思います。
雨が降る日は、万葉集を読んでいました。
あじさいが読まれている歌がありました。
あじさいは、中国から渡ってきた植物ではなく、日本に古来からある植物の1つで、
ガクあじさい、または山あじさいを品種改良して今日のあじさいに繋がっています。
一首紹介いたします。
■事問はぬ 木すらあじさゐ 諸弟(もろと)らが
練りのむらどに 許(あざむ)かれけり
訳:ものを言わない 木にでもあじさいのように ちょっと実があるのに
諸弟めの 悪ずれ野郎に だまされてしまった
(大友宿嬭家持が久邇京より坂上大嬢に贈る歌)
この歌は、ちょっと訳をするのに難解なところがある歌で、あじさいは観賞用としては
あまりこの頃は一般的ではなかったので、花としてはあまり重鎮されていない。
そんなあじさいですら実を付けるという一般的な理屈を歌い、その後半の句での、
諸弟は、家持と大嬢との間を往復する使者のことで、誤解をまねくような失策をしたのかもしれない。
そのことを戯笑的に歌った歌。
大友宿嬭家持(おおとものすくねやかもち)という人は、けっこう年齢が高い人で、
非常に若い坂上大嬢(さかのうえのだいじょう)を妻にということで、恋の歌を多く詠んでいる。
しかし、大友宿嬭家持は、坂上大嬢以外にも多くの女性に歌を贈っているなかなかのプレイポーイ。
去って行く大友宿嬭家持に、女性達はずいぶん悲しい思いをしたようで、その歌も読まれている。
坂上大嬢もあちこちに女性と関係を結んでいる噂などが入る様子が、歌を詠んでいて伝わってきます。
この2人は、ちゃんと婚姻するのですが、一旦好きになると女性の方が一途な歌が多く、
ちょっと大友宿嬭家持なる人物は、憎たらしい感じがだんだんするのです。
この万葉集の編纂は、大友宿嬭家持も加わっているというのだから、教養人であったのでしょう。
編纂といっても、この時代の文字は、すべて漢字表記で、それも漢文ではなく、
話し言葉を漢字に当てはめ、日本独特の使い方をしてあります。古代の文献と言えます。
かな使いに読みやすくしたのは、平安時代の末期~鎌倉時代を生きた、仙覚和尚なる人物。
万葉集が多くの人に読まれるようになったのは、この方の写本ができてから。
随分、困難な作業だった様子があとがきに書かれていました。
ある人物により、時間を紡ぐ作業が行なわれ、現代まで伝えられていることを考えたら、奇跡の連続で、
文化も保たれているのかもしれないと思うのでした。
ヒロクニさんの「おおいなる宇宙」や「すべてのものが影響しあっている」という言葉も
頭の片隅に於いて、そんなことを思った梅雨の日でした。
万葉の頃にあったであろう、ガク紫陽花の写真を最後に。↑