退院してきて、庭でお菓子のカールを食べる武内ヒロクニ
もしかして、ヒロクニさんは依存性人格障害?
今回の入院の様子から異常性を感じたわたしは、そんなことを考えた。
こんな文章を見つけてしまったのだ。
依存性人格障害は、他人から保護(世話)や是認(保証)を得ようとする依存的な性格構造であり、『自分の人生に対する主体的責任』から逃れようとするところに最大の特徴があります。依存性人格障害(DPD)では、親密な他者に対する強い見捨てられ不安と持続的な依存性が見られ、常に受動的で無力な態度を取ることで『他人の世話・是認・愛情』を引き出そうと試みますが、その根底にあるのは『私一人ではこの現実社会を生き抜くことはできないだろう・私には絶えず私の人生の責任をすべて引き受けてくれる保護者が必要である』という自己否定的な認知です。依存性人格障害の人は、『他人からの世話・保証・愛情』などを絶えず必要としているので、基本的に『他人の意見・感情・判断』を否定することはなく、他人に合わせることで自分を安全な方向に導いて貰おうとします。DPDの人は、この人に全部任せていれば私の人生は大丈夫と思えるような『リーダーシップや独立心のある人(面倒見が良く適応力の高い人)』を強く求めているので、他人に対しては協調的(迎合的)であり自分の意見や価値観を強く主張することなどはありません。
依存性人格障害(DPD)の基本的な行動戦略は、他人を拒絶せずに自尊心を満たすことで、自分に対する好意と保護(世話)を継続的に引き出そうとすることであり、受動的(消極的)な態度によって面倒見の良い相手(無力な人を放っておけない相手)をコントロールします。DPDの人の中核的信念は『他人の世話と援助がなければ、私は一人では生きていけないだろう』というものであり、頼りになる強い相手から見捨てられることを極端に恐れ、その相手から嫌われないために従属的で消極的な態度を常に取ります。彼らは『他人と対等な立場』に立つために自分の能力や技術を高めることには関心がなく、『他人よりも格下の弱い立場』にあることを強調して他人からできるだけ手厚い保護や支援を得たいと望んでいますので、自己主張と能力の発揮をできるだけ抑制しようとするのです。
DPDの人にとって自己主張や能力(技能)のアピールは『精神的・経済的自立の顕示』に当たり、自分が自立可能であることをアピールすると『他人の世話や是認』を失ってしまうのではないかと強く恐れています。彼らの『自己の自立』に対する強固な不安とは『もう、あなたは一人でも大丈夫だね』と頼りにしている相手から思われてしまうことであり、自立(自信)による『自尊心の強化』よりも従属(調和)による『他者からの保護』に高い価値を置いているのです。そこには『自分の本当の適応力・精神力』に対する根深い自信の欠如があり、中途半端に自立能力をアピールすることは『他者からの見捨てられ』につながるという保身的な認知があります。依存的・受動的な彼らは『他者からの世話』を失えば、自分は厳しく過酷な現実世界の中で生きていくことが出来なくなると考えています。依存性人格障害では、自分の人生に対する主体責任を放棄したいという異常なまでの依存性・受動性によって、心理的・社会的デメリットが大きくなるという問題があります。依存性人格障害の一部はひきこもりや無職者(ニート)などの非社会的問題行動群へと遷移しますが、回避性人格障害のように『他人との関係』を避けようとするのではなく『他人(母親・配偶者・恋人)との依存関係』にしがみつくという特徴があります。
病院で孤独と恐怖をアピールするヒロクニさんに、わたしは恐怖を感じ、同時に嫌悪感を感じたのです。わたしの目からは、別になんの心配もなかったから・・。その主張する姿は、「赤ちゃんが、お腹が空いてお母さんを叫び続ける姿、叫んでも叫んでも母は来ないという恐怖」の状況が頭をよぎったのでした。
ヒロクニさんは、母親が亡くなったとき、通夜にも葬式にもいきませんでした。「行かなくっちゃ」。と何度も行っても「行きたくない!」と涙も流さなかったのです。
わたしは、1日1食(小食)はやっと食べるようになり倒れた当初よりは、ゆっくりだけれど良くなってきているみたい。でも、悩んでいる。この文章を見つけて、いっそう悩んでいる。ヒロクニさんは、この文章そのものの存在だから。