武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

「コレクターがやって来た」展 No.5 開催中!!

2011-06-26 13:42:29 | Weblog

東京での企画展に出品中!!

現在開催中です。

場所 ギャラリー ア ビアント(Gallery A BIENTOT)
HP http://abientot.cool.ne.jp/
〒130-0001
   東京都墨田区吾妻橋1-23-30-101(高層住宅ビル1F)
   ℡&fax 03-3621-0278
期間 2011年6月23日(木)~30日(木)会期中無休
時間 11:00am~7:00pm

記載文
混迷が続く美術界、その本来あるべき姿を誰が指し示すことができるだろうか。
このところサラリーマン・コレクターの登場が話題となりつつある。
これは喜ばしいことである。なぜならサラリーマン・コレクターは足繁く展覧会会場に通い。気にいれば身銭を切ってまで作品を買う、このような真剣な行為のなかでしか作家も育たないと思うからである。今展ではそのようなコレクターさんが集まって自慢のコレクションを披露する。それは自ずから今後の美術のあるべき姿を指し示すことになるだろう。
■文■ 御子柴 大三

武内ヒロクニの色鉛筆画ってどんな絵なんだろうと思っている方、是非会場に足をお運びください。
他に追随を許すことのない、画風です。当人も人格障害かもしれないというお墨付きの人物。
芸術を堪能されたい方、お勧めの企画展です。
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「不安や恐怖と戦え!」と言った(作品紹介63)

2011-06-24 22:31:57 | Weblog

「スミレ荘」という題のインクの作品。1982年作

病院でのヒロクニさんの訴える不安と恐怖、怒りはわたしにすべてぶつけられとても精神的に辛かった。
わたしからすると、なんの問題もなく順調でとてもラッキーで、インド人ならノープレブレムの一言ですむようなことで、ほんとヒロクニさんは、気違いだった。

その不安や恐怖は、いつから感じるようになったのか?とか、怒りをぶつけられた人は根拠がわからないから恐怖を感じるし、不愉快だと。そんな事をたくさん受けてきて(実際、一度や二度じゃないのです)一緒に暮らせなくなると昏々と聞いてもらった。
そして言った。
「自分自身のそういうものと戦え!!」と。

不安と恐怖の根源には、「死」という誰ものがれられないものがあると思っている。わたしだって老後を突き詰めると不安だけれどあまり考えないようにしている。兎に角、こうやって生きていて食事をとり、餓えない状態でいる限り、わたしは何かに守られて生きていると思っているのです。特にヒロクニさんのような芸術家が、餓えもせず毎日制作が続けられる状態にいる限り、やはり何かに守られている。

病院では、「わたしに感謝しろとはいわない。でも、病院でも手術を受けられていろんな人に世話になっている現実や、自分を取り巻く状況を見直したら?」と言った。「下手したら手術を受けることも出来なくて、死を待つしかできなかったかもしれなかったんじゃない?」とも言った。「たまたま、森下仁丹の仕事もあったじゃない。」と。

でも、あまり真剣に聞いてないようなので、
ヒロクニさんを睨みすえながら「あんたは、感謝がたりない!!だから、そんなんなんです!!」大声で、言った。

家帰ってからは、「自分で決めなさい」「自分でしなさい」としか言わなくなった。
今日、病院に付き添って行ったけれど、必要品を全部持たせ、「どうすれば・・・」。と言うが、ちらっと冷たい目でみて「人に聞きなさい」。とムッツリと言うと、ちゃんとできるみたい。「次は、どこへ行くんですか?」とまたムッツリ。「皮膚科だ」。という。ちゃんとできるんじゃないか・・・・。わたしは、大仏様のように半眼の目になり、うらめしそうな顔をした。

1日1食を美味しく感じるようになり、もう少ししたらもっと普通にもどるかなぁと思っている。手遅れかもしれないが、もうちょっとシャンとしてもらわないと、わたしも困る。

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ヒロクニさんより強情なわたし(作品紹介62)

2011-06-17 13:30:42 | Weblog

色鉛筆のドローイング

微熱にうなされて寝ている時に「この絵いいだろ?」とか見せられて、とても気分が滅入った。「いいとか、悪いとか自分で判断して!」と言った。ついでに「中身のない絵」と答えた。そう言うと、黙って消えてくれたのでありがたかった。人がしんどいということがまるで分かってない。この度は、わたしも強情に「お前のせいだ」と言い続けた。そして、絶対食事を共にしないかった。ヒロクニさんの知らないうちに、よろよろしながら適当なものを口にしていた。もし、無理して食事の用意などをすると、もう元気そうだと勘違いするし、共に食事をしたという事実から、「甘え」の精神がわたしに牙をむいてくるのだ。
9月に個展の予定が入っている。そうすると「もっとゆっくりしたい」とか言い出す。わたしの目の前で「分かった」と自分で決めたことなのに、個展の前にぐずぐずいいだす前触れとも云える。だんだん、自分が被害者みたいなことを言い出すのだ。前だったら「大丈夫よ。未発表の作品もあるし、大丈夫」と言ったと思うけど、「男と男の約束やろ、それを破るの?あんたの約束や、どーとでもしたら。わたしはどっちでもいいさ。頑張る人に力にはなるけど、やる気ないのならやめとき」心からどうでもいいと思って答えると「いや、自分が決めた」。とはっきり言った。

だけど、1人で過ごすと思うとパニックになるヒロクニさんは異常で、わたしも本当に疲れています。1ヵ月の入院中ずーと精神が異常だったからね。身体がましになりつつあるある中で、かなり言い合いもしたし、なにか見えてきたところもあるのです。
それは、過去、ヒロクニさんに食事の途中で味噌汁を顔にかけたり、鉄のコーヒーミルを投げつけたり、ちゃぶ台をひっくりかえしたりしたり、かなり長い間、無言電話掛け続けていた人から受けた心の傷だと思うわ。あんまりひつこいから電話番号も替えたのを覚えている。

離婚すると、一番寂しいのはヒロクニさんからのお友達と縁が切れること。とても、素敵な人や優しい人が多いから。
もし、依存性人格障害としても、対処の仕方の本も出ているようなので、読んでみようと思っている。
今回の入院で、気が付いたことは大きい。
わたしのイメージは一見一歩下がっておとなしいように見えるが、強情で負けず嫌いなところがあると手相に出ているらしい。これは!!という時に強情さを出すのは、吉なのだそうです。手相のアドバイスにそう出ていました。

悪妻になった方が、効率はよさそうな感じしません。
それと、言葉使いも悪くなった。
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武内ヒロクニは、依存性人格障害か?と悩む妻

2011-06-13 11:33:02 | Weblog

退院してきて、庭でお菓子のカールを食べる武内ヒロクニ

もしかして、ヒロクニさんは依存性人格障害?
今回の入院の様子から異常性を感じたわたしは、そんなことを考えた。

こんな文章を見つけてしまったのだ。

依存性人格障害は、他人から保護(世話)や是認(保証)を得ようとする依存的な性格構造であり、『自分の人生に対する主体的責任』から逃れようとするところに最大の特徴があります。依存性人格障害(DPD)では、親密な他者に対する強い見捨てられ不安と持続的な依存性が見られ、常に受動的で無力な態度を取ることで『他人の世話・是認・愛情』を引き出そうと試みますが、その根底にあるのは『私一人ではこの現実社会を生き抜くことはできないだろう・私には絶えず私の人生の責任をすべて引き受けてくれる保護者が必要である』という自己否定的な認知です。依存性人格障害の人は、『他人からの世話・保証・愛情』などを絶えず必要としているので、基本的に『他人の意見・感情・判断』を否定することはなく、他人に合わせることで自分を安全な方向に導いて貰おうとします。DPDの人は、この人に全部任せていれば私の人生は大丈夫と思えるような『リーダーシップや独立心のある人(面倒見が良く適応力の高い人)』を強く求めているので、他人に対しては協調的(迎合的)であり自分の意見や価値観を強く主張することなどはありません。

依存性人格障害(DPD)の基本的な行動戦略は、他人を拒絶せずに自尊心を満たすことで、自分に対する好意と保護(世話)を継続的に引き出そうとすることであり、受動的(消極的)な態度によって面倒見の良い相手(無力な人を放っておけない相手)をコントロールします。DPDの人の中核的信念は『他人の世話と援助がなければ、私は一人では生きていけないだろう』というものであり、頼りになる強い相手から見捨てられることを極端に恐れ、その相手から嫌われないために従属的で消極的な態度を常に取ります。彼らは『他人と対等な立場』に立つために自分の能力や技術を高めることには関心がなく、『他人よりも格下の弱い立場』にあることを強調して他人からできるだけ手厚い保護や支援を得たいと望んでいますので、自己主張と能力の発揮をできるだけ抑制しようとするのです。

DPDの人にとって自己主張や能力(技能)のアピールは『精神的・経済的自立の顕示』に当たり、自分が自立可能であることをアピールすると『他人の世話や是認』を失ってしまうのではないかと強く恐れています。彼らの『自己の自立』に対する強固な不安とは『もう、あなたは一人でも大丈夫だね』と頼りにしている相手から思われてしまうことであり、自立(自信)による『自尊心の強化』よりも従属(調和)による『他者からの保護』に高い価値を置いているのです。そこには『自分の本当の適応力・精神力』に対する根深い自信の欠如があり、中途半端に自立能力をアピールすることは『他者からの見捨てられ』につながるという保身的な認知があります。依存的・受動的な彼らは『他者からの世話』を失えば、自分は厳しく過酷な現実世界の中で生きていくことが出来なくなると考えています。依存性人格障害では、自分の人生に対する主体責任を放棄したいという異常なまでの依存性・受動性によって、心理的・社会的デメリットが大きくなるという問題があります。依存性人格障害の一部はひきこもりや無職者(ニート)などの非社会的問題行動群へと遷移しますが、回避性人格障害のように『他人との関係』を避けようとするのではなく『他人(母親・配偶者・恋人)との依存関係』にしがみつくという特徴があります。

病院で孤独と恐怖をアピールするヒロクニさんに、わたしは恐怖を感じ、同時に嫌悪感を感じたのです。わたしの目からは、別になんの心配もなかったから・・。その主張する姿は、「赤ちゃんが、お腹が空いてお母さんを叫び続ける姿、叫んでも叫んでも母は来ないという恐怖」の状況が頭をよぎったのでした。
ヒロクニさんは、母親が亡くなったとき、通夜にも葬式にもいきませんでした。「行かなくっちゃ」。と何度も行っても「行きたくない!」と涙も流さなかったのです。
わたしは、1日1食(小食)はやっと食べるようになり倒れた当初よりは、ゆっくりだけれど良くなってきているみたい。でも、悩んでいる。この文章を見つけて、いっそう悩んでいる。ヒロクニさんは、この文章そのものの存在だから。


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6月3日退院しましたが・・・。

2011-06-08 14:21:12 | Weblog

ヒロクニさんは、6月3日退院した。同じ病気の人の中でこれほど順調に回復した人も珍しく、同じ手術を受けた人の中でも一週間早く退院したということです。

それはよい事なのだけれど、4日にわたしは倒れ、食べるものも食べず昏々と寝ていた。ヒロクニさんは毎日来てくれと行くのはいいのだけど、看護婦の悪口や、わたしにも普通に言ってくれたら分かることを、怒りあらわに命令するし、おかしな意見や暴言の毎日でそれが、ストレスだった。毎日長時間いるのもしんどいが、怒りをぶつけられ通しで途中から「行きたくない」「早く帰りたい」の一念が強くなっていたが、看護婦さんにアタルようになると、冷遇されヒロクニさんにますます悪い影響があっても困るなぁ・・と思い頑張って行っていたのだ。

昏々と寝ている中で、意識がある時考えた。ヒロクニさんのわけがわからん罵倒というのは、結構聞いていると頭にくる内容が多く、罵倒を受けている間、物凄いストレスで我慢しているのだと気が付いた。わたしは、4年前ぐらいに酷いうつ病にかかってしまって入院したことがあるが、今回もそれに近い感じの寝込み方だった。具合が悪くて寝込んでいても、優しくはない。自分にとって不都合で女中が動かんから不満があるという感じの態度だった。母がわたしの通っていた心療内科に行き、そこから入院の運びとなった。3ヶ月入院して、休養を取ったことでじんわり良くなっていったみたい。今回寝込みながら、これほど疲れさせたのは「武内ヒロクニ」しかいない。ヒロクニさんといて、心がやすまるということはない。ヒロクニさんが入院したとたん、ヒロクニさんがいないということで日ごろの疲れが出ているのも感じていたが、1ヶ月も怒鳴ったり、いやな話を聞かされたりしているうちにますます疲れたよう。

わたしは思った。布団の中でゴロンと死んだマグロのように寝ながら。人を心底疲れさせといて、具合が悪くなってもなんの処置も、優しい言葉もなくこの生活は何だと?そのことを言ったら「記憶にない」。の一点張り。

わたしは、心の中で誓った。
正直言って、美術家の生活は貧しい。
時折ある、絵の売り上げや、イラストの仕事、本の印税(絵のみなので3パーセントの印税)では暮らしていけない。
全く仕事のない時は、働きハッチの上、ご飯の仕度も頑張っていた。今だって、わたしに依存して暮らしている。わたしは、ヒロクニさんと暮らすようになってから、睡眠薬がないと寝れない体質になり、今も睡眠薬と精神安定剤のお世話になっている。

わたしは、誓ったのです。
自分の健康を取り戻すために、離婚することを!
芸術家は我侭なのはいいけれど、思いやりもないのに自分の便利だけで人と暮らそうという考えにはついていけない。早く、別の女でも見つけてどっか行って欲しい。わたしは、健康になりたいのだ。

癌の手術、麻酔のせいで「記憶にない」と言い訳するが、麻酔の影響なんて1週間で十分さめるとおもうの。私自身が全身麻酔で手術した経験があるから、入院して3週間でも怒鳴ってて、それが麻酔のせいな訳ないでしょう?

わたしはボーとしていて、おめでたい性格だから気が付かなかったけど、精神的虐待を受けてたのかなぁという気持ち。お友達の所へ行くのも反対するし、同窓会も行ったらあかんというし。すべては、自分が1人でご飯を食べるのが嫌なだけ。わたしは、身体の具合が悪くなったら、自己管理が出来てないと思いこんでいたけれど、無理はもうしたくないと思っています。

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