爪の先まで神経細やか

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拒絶の歴史(37)

2010年02月07日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(37)

 ロッカールームで着替えている。みんなの興奮がぼくにも伝わってきていたが、それ以上に自分のアドレナリンが放出されているのが実感できた。しかし、それでも冷静な自分の脳を保とうと常に考えている自分もひとつの身体に共存していた。

 だが、最後になってカバンのどこにもいつもの裕紀からもらったタオルが入っていないことに自分は気付いた。なぜ忘れてきてしまったのか、そのことを考えナーバスになりかけたが、それにとらわれないように自分を制御した。今日は大切な一日なのだ。

 試合は始まった。攻防があったにせよ、その日はぼくにとって完璧な一日にする必要があったのだ。その必要を自分の身体も受け止め、チームの全員もそれに感化された。ぼくは、走るべきルートを確実に探し当て、ボールを離すべきタイミングと手放すタイミングを見定め、きちっとそれを遂行した。ぼくらはぎりぎりリードを守り前半戦を終えた。ここで、活を入れなおすと考えていたが、自分はそれを行えなかった。みな、最大限の努力を行っていたのだ。だから、前半の気持ちを忘れないでこのまま進もうとしか言えなかった。その代わり、後輩の山下が、自然な形で声を出し、ぼくらの興奮をさらに保てるようにしてくれた。

 一時は、逆転も許してしまったが、なんとか挽回し、点数を地道に重ねていった。キックも決まり、ぼくらのために吹かれる笛の音が増え、相手のためにはそれは静まっていく一方だった。しかし、そこは強豪校の底力でぼくらをじりじりと追い上げ、また体力が時間を追って低下することもなく、ぼくらを苦しめはじめた。いままでのリードを守れるか、それとも終了の時間を待つのかが問題になってきていた。ぼくらの応援は悲鳴に近いものになっていく。また反対に相手のための応援は絶叫となってぼくの耳にこだました。

 最後に、ぼくはボールをもぎとり永遠という長く感じた距離をひとりで走った。人影がおぼろになり、地面に倒れこんだときにはラインを越えていて点数が加算された。その直後のキックも決まり、そこで試合は終わった。ぼくは身体に疲労を感じながらも爽快感で一杯だった。それで、さらにロッカーに戻り、自分の涙が止まらないことを知った。それを拭くべきタオルが見当たらないので、マネージャーが用意したタオルを使って涙と汗を拭いた。監督が今日の試合の感想を言った。叱咤するようなことはまったくなく、この後行うもう1試合のためにゆっくりと休んでくれとぼくらの苦労をねぎらってくれた。

 後輩のひとりの家族がレストランを経営しており、そこで祝勝会を行うことになっていたので、ぼくらはそこに向かった。その途中で競技場を後にするとき、河口さんの存在に気付いた。ぼくはそっとそちらに向かった。

「感動しちゃった」
「良かったです」
「この日が来ることをずっと楽しみにしてたんだ」と彼女は笑顔をみせ、ぼくに言った。その背景には秋の穏やかな日差しがあった。「この後、なんか予定があるの?」
「祝勝会がありますが、それは直ぐに終わると思います」
「わたしも、なんかお祝いがしたいな」
「連絡します」と言って、みなが待っている方に向かった。

 その前に相手の監督に挨拶し忘れていたのを思い出し、彼らの集団の近くに寄った。ぼくは丁寧に頭を下げ、今日の感謝を述べた。

「完敗だったよ。こんなに成長するなら、うちに入ってもらいたかったな」と最大限の賛辞をくれた。ぼくに対して発せられた意味ある言葉の最初だった。

 すべてが終わりぼくは河口さんに連絡をした。きれいな場所で、きれいな女性と、爽快感のためにお酒を数杯飲んだ。さすがに疲れていたのだろう、気がつくとぼくは河口さんの家の中で寝てしまっていた。目をあけて数秒たつと、彼女の顔がぼくに近付いてきた。ぼくは抵抗する気もしなかった。ただ、この日がくるのを待っていたのかもしれない。完璧な一日をさらに完璧にするために彼女は理想のひとだった。後先考えずにぼくは彼女のきれいな髪を自分の指先と頬に感じていた。