拒絶の歴史(39)
勉強の甲斐もあってか大学受験にも合格した。ラグビー一色で終わったぼくの高校生活も終わることになる。最後の役目として後輩の山下をキャプテンに任命した。それ以降、彼の活躍もあり、全国大会の常連校になっていく。自分は最後まで成し遂げられなかったことを悔やんだが、自分の働きの何割かは土台作りになったということで、自分のことをなぐさめた。しかし、そのことばかりにこだわるほど自分は後ろ向きになっていたわけではない。まだ、未来は開かれたばかりだったのだ。
冬から春にかわる日射しの中を自分は歩いている。そのようなときに、いつも裕紀が横にいたんだな、という感覚をもった。同時にある種の喪失感も感じていた。だが、自分はそれを脱皮と捉えていた。自分はそろそろ生まれ変わる時期に来ていたのだろう。正当化するためにそのような言葉を選んだのかもしれないし、そもそも自分はそういう考え方が好きなのかもしれない。生まれ変われる必要があるならば、生まれ変わることというように。
気がついたように近くにあった電話ボックスにむかった。覚えてしまった電話番号を指でなぞって押した。
「大学受かってました」
「良かったね。いっしょに通えることになるね」と河口雪代さんは言った。「なんかお祝いしないと」と言葉を足した。
彼女はいつもそのような考え方をした。喜ぶべき事実がある時は、それを盛大なものにすること。ぼくは居場所を告げ、そこで文庫本をひろげて待っていた。外の空気はさわやかで、春の予感と合格した喜びとでこころも快活になっていた。
彼女の車が近くに止まり、ヒール姿の彼女がこちらに歩いてくる。ぼくはその瞬間を覚えていて、自分のあたまのなかの映像を切り取り、ポスターのように組み立てていた。
「寒くないの?」
「全然。これでもラグビーで鍛えた身体ですから」
「そうよね。でもわたし寒い」と言って、ぼくの身体に腕をからませた。その特徴的な彼女のにおいがぼくの嗅覚をくすぐった。また、そのままの格好で車まで戻り、ぼくらは少し車を走らせた。ある港について、彼女は暖かそうな冬のコートを着て、ぼくを連れ出した。
「こういう日は、海を見て、将来に思いを馳せるのよ」
ぼくは何もない海を見ながら、やはりその自分の将来に訪れるであろう幸福のいくつかを想像し、ある面ではこのような行動をとる彼女に対してなのか、それとも自分の感受性の過多のためなのか感動していた。そのままその周辺を歩いて、言葉をかわした。彼女の髪が潮風に揺られ、ぼくの頬をなでた。
「お腹空いたでしょう?」と彼女は言った。目の前にはお店がいくつかつらなっていた。彼女は店の前のメニューを口にだして読み上げ、「ここでいい?」と訊いた。
取れたばかりの魚を煮付けたのであろう、おいしい定食がぼくらの前に並べられた。その横にはビールがあった。それをぼくはひとりで飲んだ。彼女は夜、自分の家に車を置いてからいっしょに飲むのを楽しみにしていると言った。
「バイトとかするの?」
「さあ、どうでしょう。なにが向いてますかね」
それには彼女は答えなかった。ただ、「うちは部屋があまってるからいっしょに住んでみない」と訊かれた。ぼくはその可能性の実現についてすこしばかり考えた。ぼくが裕紀にした態度に、ぼくの家族も腹をたてているようでそこは安住の地ではないこともあった。また、いつも彼女と過ごす幸福もあわせて考えた。だが、即答はせずに「考えてみます」とだけ言った。
また車を走らせ、彼女の家に到着した。彼女は着替えを済ませ、髪型もいくらか変えて、またぼくの前にあらわれた。何度か来たことのあるきれいなレストランにぼくを連れて行き、スパークリングワインを頼んだ。彼女はそのグラスの細い足を持ち上げ、「おめでとう」とそっと語った。
昼とは別の魚がクリームソースに絡まれ、フォークに刺されぼくの口に入った。彼女はにっこりとぼくの顔を眺めていた。当然のことだが、フェアな意見ではないかもしれないが、そのような瞬間に裕紀の子供っぽさがあらわになった。いまの自分はその成長段階の過程にしかなかったものを大切なものだと考えているが、そのときは、大人に引っ張っていってくれる雪代さんを好きになってしまっていた。
家に着き、ぼくは彼女の身体に溺れていく。どうしようもなくぼくは彼女が好きになり、その感情に歯止めをかけることは出来そうになかった。それでも、10時ぐらいには、スニーカーを履き自分の家にむかった。もう安住の地ではないかもしれないが、そこが自分の家だった。
勉強の甲斐もあってか大学受験にも合格した。ラグビー一色で終わったぼくの高校生活も終わることになる。最後の役目として後輩の山下をキャプテンに任命した。それ以降、彼の活躍もあり、全国大会の常連校になっていく。自分は最後まで成し遂げられなかったことを悔やんだが、自分の働きの何割かは土台作りになったということで、自分のことをなぐさめた。しかし、そのことばかりにこだわるほど自分は後ろ向きになっていたわけではない。まだ、未来は開かれたばかりだったのだ。
冬から春にかわる日射しの中を自分は歩いている。そのようなときに、いつも裕紀が横にいたんだな、という感覚をもった。同時にある種の喪失感も感じていた。だが、自分はそれを脱皮と捉えていた。自分はそろそろ生まれ変わる時期に来ていたのだろう。正当化するためにそのような言葉を選んだのかもしれないし、そもそも自分はそういう考え方が好きなのかもしれない。生まれ変われる必要があるならば、生まれ変わることというように。
気がついたように近くにあった電話ボックスにむかった。覚えてしまった電話番号を指でなぞって押した。
「大学受かってました」
「良かったね。いっしょに通えることになるね」と河口雪代さんは言った。「なんかお祝いしないと」と言葉を足した。
彼女はいつもそのような考え方をした。喜ぶべき事実がある時は、それを盛大なものにすること。ぼくは居場所を告げ、そこで文庫本をひろげて待っていた。外の空気はさわやかで、春の予感と合格した喜びとでこころも快活になっていた。
彼女の車が近くに止まり、ヒール姿の彼女がこちらに歩いてくる。ぼくはその瞬間を覚えていて、自分のあたまのなかの映像を切り取り、ポスターのように組み立てていた。
「寒くないの?」
「全然。これでもラグビーで鍛えた身体ですから」
「そうよね。でもわたし寒い」と言って、ぼくの身体に腕をからませた。その特徴的な彼女のにおいがぼくの嗅覚をくすぐった。また、そのままの格好で車まで戻り、ぼくらは少し車を走らせた。ある港について、彼女は暖かそうな冬のコートを着て、ぼくを連れ出した。
「こういう日は、海を見て、将来に思いを馳せるのよ」
ぼくは何もない海を見ながら、やはりその自分の将来に訪れるであろう幸福のいくつかを想像し、ある面ではこのような行動をとる彼女に対してなのか、それとも自分の感受性の過多のためなのか感動していた。そのままその周辺を歩いて、言葉をかわした。彼女の髪が潮風に揺られ、ぼくの頬をなでた。
「お腹空いたでしょう?」と彼女は言った。目の前にはお店がいくつかつらなっていた。彼女は店の前のメニューを口にだして読み上げ、「ここでいい?」と訊いた。
取れたばかりの魚を煮付けたのであろう、おいしい定食がぼくらの前に並べられた。その横にはビールがあった。それをぼくはひとりで飲んだ。彼女は夜、自分の家に車を置いてからいっしょに飲むのを楽しみにしていると言った。
「バイトとかするの?」
「さあ、どうでしょう。なにが向いてますかね」
それには彼女は答えなかった。ただ、「うちは部屋があまってるからいっしょに住んでみない」と訊かれた。ぼくはその可能性の実現についてすこしばかり考えた。ぼくが裕紀にした態度に、ぼくの家族も腹をたてているようでそこは安住の地ではないこともあった。また、いつも彼女と過ごす幸福もあわせて考えた。だが、即答はせずに「考えてみます」とだけ言った。
また車を走らせ、彼女の家に到着した。彼女は着替えを済ませ、髪型もいくらか変えて、またぼくの前にあらわれた。何度か来たことのあるきれいなレストランにぼくを連れて行き、スパークリングワインを頼んだ。彼女はそのグラスの細い足を持ち上げ、「おめでとう」とそっと語った。
昼とは別の魚がクリームソースに絡まれ、フォークに刺されぼくの口に入った。彼女はにっこりとぼくの顔を眺めていた。当然のことだが、フェアな意見ではないかもしれないが、そのような瞬間に裕紀の子供っぽさがあらわになった。いまの自分はその成長段階の過程にしかなかったものを大切なものだと考えているが、そのときは、大人に引っ張っていってくれる雪代さんを好きになってしまっていた。
家に着き、ぼくは彼女の身体に溺れていく。どうしようもなくぼくは彼女が好きになり、その感情に歯止めをかけることは出来そうになかった。それでも、10時ぐらいには、スニーカーを履き自分の家にむかった。もう安住の地ではないかもしれないが、そこが自分の家だった。