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拒絶の歴史(40)

2010年02月14日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(40)

 そして、高校を卒業する日になった。高校生活でいたんだ制服に袖を通すのも今日で終わりだった。明日からは必要がなくなるものが、その日だけは自分にとっても愛おしいものに化けていた。これからは自分で選んだ洋服が、自分を主張するようになるのだ。それと、手には丸められた証書だけがあり、ラグビー部の同級生たちとの別れを惜しんだ。

 ぼくは、幼馴染の智美と会うことになっており、その場所に向かった。そこに着くと帰省していた上田さんもいた。彼は、ラグビー部の先輩であり、もうその上下の関係は薄れていったが、あたまが上がらないことには変わりはなかった。

 智美は自分の友人であった裕紀に対してのぼくの態度に怒りの感情をもっていた。それを押し殺しながらも、必然的にぼくを責める口調を隠せずにもいた。

「あんな風なことって、愛情を示してきた人にするべきことじゃないんじゃないの?」
「その通りだけど、仕方がなかったんだよ」
 何度か言葉のやりとりがあり、段々と智美は自分の言葉自体のもつ力に影響されエキサイトしていく。ぼくは、もうただ謝ってばかりいた。

「絶対に許さないから」と最後に彼女は言った。そうされても良かったのだが、結論として彼女はその数年後、許してくれていた。ぼくは、その言葉に動揺しながらも、また関係が終わってしまうことも受け入れようと考えていた。天秤にかけ、河口さんとの交際のほうがどれほど魅力的か、はかっていたのかもしれない。

「お前のした悪いことや、お前のした失敗なんか百年後には誰一人おぼえてないよ」と上田さんは智美が席を立ったときにそっとそう言った。ぼくは、誰かに恨まれても仕様がないと覚悟していたが、その言葉でいくらか救われた感情がもてたことも紛れもない事実だった。「だけど、近藤に賛成しているわけでもないけどな。しかし、どうやったら河口さんと付き合えるのかね? お前のどこにそんな魅力があるのかオレは分からないよ」とふざけた表情で言って、コーヒーをすすった。

 ぼくらは、そこで別れ、家に向かって歩き出した。家に着き着替えを済ませ用意していたバックの中を再び点検して、それを担ぎ駅に向かった。

 雪代さんは東京で写真の撮影を行っていた。ちょうど、ぼくの卒業のタイミングが合うので、空いた時間に東京を案内してくれるといって、東京のホテルを取ってくれていた。渋谷のはずれにあるホテルがその場所だった。ぼくは列車に乗り込み、文庫本をひろげたがそれはあたまに入り込んではくれなかった。ただ、視線をぼんやりと窓外にうつし、流れゆく景色を見守った。自分に起こったことと、これから起こりつつあることを考えるともなしに考えていた。

 上野から狭い銀座線に乗り換え、渋谷にむかった。終点に到着し、そこをひとりで歩いていると自分の可能性は無限なのだ、という感情をいだいた。ぼくと同じ年代の人々が多く、彼らは洗練された様子をもっていた。こうした中にいながら、雪代さんはなぜぼくを選んだのだろう、という疑問も当然のことながら浮かんだ。だが、人の出会いなんてつきつめて考えれば、難しいものなのだ。何十億という人間がいて、自分が生涯出会う人は何人ぐらいいて、その人が自分に影響まであたえる人は、さらに何人ぐらいいるのだろう? とも考えた。もちろん、答えはなくぼくは回答を先延ばしにして人ごみの中を歩き続けた。

 洋服屋を何件かまわって、Tシャツを数枚買った。あとは、ひとりでファーストフードの店に入り食欲を満たした。きれいで可愛らしい女性が多かったが、こころの奥まで響くことはなかった。ぼくには雪代さんがいたのだ。

 ホテルにチェックインして軽く眠ってしまったらしい。荷物もそのままにぼくはベッドに横たわっていた。その時に、ベッドサイドの電話が鳴った。
「ごめんね、遅くなって。つまらなくなかった?」
「いいえ、ひとりで歩き回ってましたので」
「いま、仕事が終わったので、地下鉄に乗ってここまで来てくれる?」と雪代さんは場所を指定して、幼い子供を相手にするように、電車の乗り方や金額をいちいち告げた。

 ぼくは、新しいTシャツに着替え、鏡を多少覗き込み、そこに向かった。どうにか、東京の人に見えるだろうか、とつまらないことを意識して部屋を出た。ロビーでは何人かがソファに座り新聞を読んでいた。受付の男性は礼儀の固まりのような挨拶をしてぼくを視線にいれた。

 ぼくは駅で切符を買い、ひとを掻い潜り地下鉄に乗った。駅に出ると彼女が待っていた。
「タクシーでも良かったんだけど、このように渋滞がひどいでしょう。それと東京の地下鉄にひろし君にも慣れてほしかった。なかなか難しいと思わない。わたしも最初は戸惑ったのよ」

 ぼくは彼女と連れ立って歩いている喜びを感じている。ぼくの町は夜には暗くなってしまうが、そこは明かりの洪水のような場所だった。彼女はそこで輝いており、大学生のかたわら、そこでの仕事も楽しんでいるようだった。

「疲れて、お腹空いたでしょう。わたしもだけど」と言って彼女はにっこりと笑う。

 ぼくは二度と着ることのない制服と、自分自身と、横にいる彼女を対比させることをむずかしく感じている。しかし、彼女といっしょにワインを飲んでいると、これこそが正しい生活だろうと自分の位置を正確に把握したようにも感じていた。
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