拒絶の歴史(38)
決勝にすすんだチームだったが、ぼくは気がつくと左手の指を三本骨折していたため、そこに出ることは途絶えてしまった。それ程に、前の試合は苛酷な激闘だったのだ。しかし、時間が経って考えれば考えるほど、それは罪のつぐないと、その代償に過ぎないと感じている。
試合に出られなくなったので、スタンドでぼくは観戦している。横にもどこにも裕紀の姿はなかった。ぼくが河口さんの家で行ったことは、ぼくの周りの小さな世間ではすでに知られており、当然、裕紀の耳にも入ったはずだ。そのことで、妹はぼくをなじり、ある数人もぼくを嫌悪した。その嫌悪されるという事実は、その年代の自分にとって何の痛みも与えなかった。ただ、自分は河口さんという存在をあがめていたのだろう。しかし、失ったものもそう軽いものではなかったことは時間の経過とともに、痛切に感じ自分になにかしらの痛みを加えるようになった。
ぼくは、自分のことを重要な人物だと感じたことはなかったが、客観的にスタンドでみた自分のチームは、どこにも躍動感はなく、不甲斐なさだけが残っていた。せっかく、決勝まで勝ち残ったはずなのに、そのことになんのこだわりもないように呆気なく負けた。ぼくの夢の実現もそのときについえた。その事実があったので、ぼくは長い間ラグビー自体を嫌った。なんの責任もないことにあたらなければ、ぼくの感情は行き場を失ってしまうのだろう。
裕紀にその後も会うことはなく、ある日、シアトルに留学したということを妹が家族に話しているのが耳に飛び込んだ。そのことは裕紀の今後の人生のどこかで行われるはずであったが、それを早めたのは間違いなく自分であろう。ぼくに、なんの説明も電話も手紙もなく、彼女は去ってしまった。去らせたのは自分であり、彼女のこころを根底から傷つけたのも自分であった。
大切なものを放棄した自分は世間がどう思うとまだまだ自分を善としてすすんでいこうと考えている。大学受験のためにスポーツから勉強に力の入れ方をシフトし、それに疲れると河口さんに電話をした。もうその頃は、彼女は島本さんと別れていた。会うことは少なかったが、実際に会えば優しい態度で、ぼくの勉強を応援してくれた。彼女がなにか言うと、すべては実現されるのだという錯覚すら抱いた。彼女がぼくの価値を計り、それを高め、ピンで留めるようにしてくれれば、世間もそう見てくれるだろうという夢と希望があった。そのギャップで悩むこともなかった。彼女がぼくの価値を決めたのだから、という不確かな、だが確実な信頼があった。
急に運動を止めてしまったので、自分の体力は余っていた。そのような夜に着替えて、ジョギングをした。どこかに未練と悔恨がのこっていたのだろう裕紀の家の近くまで走ってみることもあった。だが、そこは限りない城砦のようで、ぼくには遥かな距離のように遠かった。また、電話をすることもためらわれた。もともと、ぼくに好意をもっていない彼女の家族は、今回のことをきっかけに永久にぼくの存在を葬り去る機会を見つけたのだろう。そのことは当然であったが、もちろんそれでぼくの淋しさが減るわけでもなかった。
しかし、傷つけた事実をぼくがいつまでも悩んでいたわけではないことは確かだった。それぐらいぼくは若く、判断も甘く、またそれほどまでに河口さんに溺れていったのだ。勉強の合間も彼女の映像はぼくの目の前に浮かび、彼女の声をぼくは脳裏でなんども繰り返した。あの人に見られている自分というものを何物にもかえがたいほど貴重なものであると考えていた。
一月ほどでぼくの指もなおり、その期間分だけ勉強もあたまに入った。ぼくは自分の人生が多少は方向転換したにせよ、それでも順調にすすんでいると考えていた。だが、ほかの人から見ればそうでもなかったらしく、大切なものを捨ててまで自分を押し通す人間だと思っているひともいた。後輩の山下はとくにそういう感情を持っていたが、ぼくを嫌う反面心配もしていたらしく、同じ感情を有していた妹とも相談していたらしい。そのことが彼らをより一層くっつけ、彼らは交際をするようになっていく。ぼくの周りはラグビーによって得た友人たちが点々とだがはっきりと存在するようになっていた。
決勝にすすんだチームだったが、ぼくは気がつくと左手の指を三本骨折していたため、そこに出ることは途絶えてしまった。それ程に、前の試合は苛酷な激闘だったのだ。しかし、時間が経って考えれば考えるほど、それは罪のつぐないと、その代償に過ぎないと感じている。
試合に出られなくなったので、スタンドでぼくは観戦している。横にもどこにも裕紀の姿はなかった。ぼくが河口さんの家で行ったことは、ぼくの周りの小さな世間ではすでに知られており、当然、裕紀の耳にも入ったはずだ。そのことで、妹はぼくをなじり、ある数人もぼくを嫌悪した。その嫌悪されるという事実は、その年代の自分にとって何の痛みも与えなかった。ただ、自分は河口さんという存在をあがめていたのだろう。しかし、失ったものもそう軽いものではなかったことは時間の経過とともに、痛切に感じ自分になにかしらの痛みを加えるようになった。
ぼくは、自分のことを重要な人物だと感じたことはなかったが、客観的にスタンドでみた自分のチームは、どこにも躍動感はなく、不甲斐なさだけが残っていた。せっかく、決勝まで勝ち残ったはずなのに、そのことになんのこだわりもないように呆気なく負けた。ぼくの夢の実現もそのときについえた。その事実があったので、ぼくは長い間ラグビー自体を嫌った。なんの責任もないことにあたらなければ、ぼくの感情は行き場を失ってしまうのだろう。
裕紀にその後も会うことはなく、ある日、シアトルに留学したということを妹が家族に話しているのが耳に飛び込んだ。そのことは裕紀の今後の人生のどこかで行われるはずであったが、それを早めたのは間違いなく自分であろう。ぼくに、なんの説明も電話も手紙もなく、彼女は去ってしまった。去らせたのは自分であり、彼女のこころを根底から傷つけたのも自分であった。
大切なものを放棄した自分は世間がどう思うとまだまだ自分を善としてすすんでいこうと考えている。大学受験のためにスポーツから勉強に力の入れ方をシフトし、それに疲れると河口さんに電話をした。もうその頃は、彼女は島本さんと別れていた。会うことは少なかったが、実際に会えば優しい態度で、ぼくの勉強を応援してくれた。彼女がなにか言うと、すべては実現されるのだという錯覚すら抱いた。彼女がぼくの価値を計り、それを高め、ピンで留めるようにしてくれれば、世間もそう見てくれるだろうという夢と希望があった。そのギャップで悩むこともなかった。彼女がぼくの価値を決めたのだから、という不確かな、だが確実な信頼があった。
急に運動を止めてしまったので、自分の体力は余っていた。そのような夜に着替えて、ジョギングをした。どこかに未練と悔恨がのこっていたのだろう裕紀の家の近くまで走ってみることもあった。だが、そこは限りない城砦のようで、ぼくには遥かな距離のように遠かった。また、電話をすることもためらわれた。もともと、ぼくに好意をもっていない彼女の家族は、今回のことをきっかけに永久にぼくの存在を葬り去る機会を見つけたのだろう。そのことは当然であったが、もちろんそれでぼくの淋しさが減るわけでもなかった。
しかし、傷つけた事実をぼくがいつまでも悩んでいたわけではないことは確かだった。それぐらいぼくは若く、判断も甘く、またそれほどまでに河口さんに溺れていったのだ。勉強の合間も彼女の映像はぼくの目の前に浮かび、彼女の声をぼくは脳裏でなんども繰り返した。あの人に見られている自分というものを何物にもかえがたいほど貴重なものであると考えていた。
一月ほどでぼくの指もなおり、その期間分だけ勉強もあたまに入った。ぼくは自分の人生が多少は方向転換したにせよ、それでも順調にすすんでいると考えていた。だが、ほかの人から見ればそうでもなかったらしく、大切なものを捨ててまで自分を押し通す人間だと思っているひともいた。後輩の山下はとくにそういう感情を持っていたが、ぼくを嫌う反面心配もしていたらしく、同じ感情を有していた妹とも相談していたらしい。そのことが彼らをより一層くっつけ、彼らは交際をするようになっていく。ぼくの周りはラグビーによって得た友人たちが点々とだがはっきりと存在するようになっていた。