(18)
人見知りという性格を大事に抱えて生まれてきたような感じで暮らしてきた。捨てるタイミングを逃してしまったみたいに、部屋の片隅に居座っている。普段は、気にもしていないのだが、やはり、あそこの隅にあるなということは自分自身が一番よく知っている。
みどりの家に到着し、車のドアを開けると、彼女の両親が出てきた。久しぶりに会う娘と、その横にいる男性。つまり、ぼく自身だが。
彼女の両親には前にも会っていた。その頃は、まだぼくは学生だった。いまは、少しは大人になった人間と見られているのだろうか。室内に入ると、料理がたくさん並べられ、それは彼女の好きなものが多かった。
何杯かのビールとともに打ち解けてきて、この時もぼくは快活に過ごすように努力した。まだ一カ月だが、仕事上、見知らぬ人に会った時に自分の存在を相手が勝手に好意的に思ってくれることなどないということを身に沁みて知った。そこには、いくらかのアピールと同調と優しい戯れのような喧嘩が挟まっていることを覚えていく。もちろん、みどりの両親に対して、戦略上どうするなど考えもしないが、彼女が居心地よく過ごせるならば、どんなことでもしよう、と思っていたことは確かだ。
日が沈み、彼女の過ごした学校や、よく下校途中に寄った店なども歩いて、さまざまなことも話した。15歳の彼女は、どんな感じだったのだろうと考え、そのことも口にする。
「いまと、まったくおんなじだよ」
と、みどりは答えた。多分、そのとおり全く同じだろう。少し気が強く、優しさを隠したような少女だろう。
彼女の小さな頃の写真も目にする。赤いスカートを履き、ブランコに座ってこちらを見ている。右の膝あたりに絆創膏が貼ってある。その数日前に運動会の練習があり、その時に転んだときのものだ、と傷口をいたわるようにみどりの母親は言った。
「運動会では、練習の甲斐があってか、一番だったけどね」と続けた。母親は、みどりが東京にいってからも頻繁に電話をかけ、忙しいみどりを少しだけ煩わさせ、また同じように少しだけ心配な気持にさせた。
朝になり、みどりの気遣いもあってだが、ぼくらはそこから近い温泉で一泊することになっていたので、また車を出し、そこに向かった。車の後方の窓から手を振る両親。それを見ながら、ぼくはやはり、ちょっとジンとなっていた。自分の両親には、なぜかそのような気持を持つことが出来なくなっていたが、優しい心があるならば出口を求めていて、そのような気持ちになってしまった。
「どうしたのよ」
「別に、優しい人たちだなと思って」
東京の空とは違う色を、その景色はもっていた。見事な景観で、このようなところで育つのは子供には退屈かもしれないが、いまでは良いものだなと実感している。窓を開けるとさわやかな空気の味がして、肌にひんやりとした感触を与えはするが、それはとても嫌なものではなく、反対だった。
途中、山中で車を停め、彼女は覚え始めたカメラを取り出し、そこらの景色を撮った。ついでのようにぼくの写真もとった。その後、そのときに写されたぼくの肖像は、彼女の部屋でこころもとなく存在していた。でも、自分で見ても、そのときの自然な笑顔はあとにもさきにもないような、繕っていない表情をしている。
彼女の部屋に永久に存在し続ける予定だったその写真は、まだカメラの体内にフィルムとして残っていて、それをぼくが見るのはまだ先だった。それを大事に抱え、車内に戻る。
いくつかの名所スポットをめぐり、美しい夕陽を堪能し、カーナビなどなかった時代を背景として、地図で探し当てたホテルに向かった。
永久であろうとする思い出たち。これから、たくさんのことを経験し、学んでいこうとしている自分。その途中で手にいれ、また捨てられて行こうとしているものは、どんなものたちなのだろう。幸福の取得のために、かげで犠牲となるものは、どのような形態をしているのだろう、と多少、運転のためにつかれた気持ちと眼で、そのようなものを掴みたいと考えていたあの頃を思い出す。
人見知りという性格を大事に抱えて生まれてきたような感じで暮らしてきた。捨てるタイミングを逃してしまったみたいに、部屋の片隅に居座っている。普段は、気にもしていないのだが、やはり、あそこの隅にあるなということは自分自身が一番よく知っている。
みどりの家に到着し、車のドアを開けると、彼女の両親が出てきた。久しぶりに会う娘と、その横にいる男性。つまり、ぼく自身だが。
彼女の両親には前にも会っていた。その頃は、まだぼくは学生だった。いまは、少しは大人になった人間と見られているのだろうか。室内に入ると、料理がたくさん並べられ、それは彼女の好きなものが多かった。
何杯かのビールとともに打ち解けてきて、この時もぼくは快活に過ごすように努力した。まだ一カ月だが、仕事上、見知らぬ人に会った時に自分の存在を相手が勝手に好意的に思ってくれることなどないということを身に沁みて知った。そこには、いくらかのアピールと同調と優しい戯れのような喧嘩が挟まっていることを覚えていく。もちろん、みどりの両親に対して、戦略上どうするなど考えもしないが、彼女が居心地よく過ごせるならば、どんなことでもしよう、と思っていたことは確かだ。
日が沈み、彼女の過ごした学校や、よく下校途中に寄った店なども歩いて、さまざまなことも話した。15歳の彼女は、どんな感じだったのだろうと考え、そのことも口にする。
「いまと、まったくおんなじだよ」
と、みどりは答えた。多分、そのとおり全く同じだろう。少し気が強く、優しさを隠したような少女だろう。
彼女の小さな頃の写真も目にする。赤いスカートを履き、ブランコに座ってこちらを見ている。右の膝あたりに絆創膏が貼ってある。その数日前に運動会の練習があり、その時に転んだときのものだ、と傷口をいたわるようにみどりの母親は言った。
「運動会では、練習の甲斐があってか、一番だったけどね」と続けた。母親は、みどりが東京にいってからも頻繁に電話をかけ、忙しいみどりを少しだけ煩わさせ、また同じように少しだけ心配な気持にさせた。
朝になり、みどりの気遣いもあってだが、ぼくらはそこから近い温泉で一泊することになっていたので、また車を出し、そこに向かった。車の後方の窓から手を振る両親。それを見ながら、ぼくはやはり、ちょっとジンとなっていた。自分の両親には、なぜかそのような気持を持つことが出来なくなっていたが、優しい心があるならば出口を求めていて、そのような気持ちになってしまった。
「どうしたのよ」
「別に、優しい人たちだなと思って」
東京の空とは違う色を、その景色はもっていた。見事な景観で、このようなところで育つのは子供には退屈かもしれないが、いまでは良いものだなと実感している。窓を開けるとさわやかな空気の味がして、肌にひんやりとした感触を与えはするが、それはとても嫌なものではなく、反対だった。
途中、山中で車を停め、彼女は覚え始めたカメラを取り出し、そこらの景色を撮った。ついでのようにぼくの写真もとった。その後、そのときに写されたぼくの肖像は、彼女の部屋でこころもとなく存在していた。でも、自分で見ても、そのときの自然な笑顔はあとにもさきにもないような、繕っていない表情をしている。
彼女の部屋に永久に存在し続ける予定だったその写真は、まだカメラの体内にフィルムとして残っていて、それをぼくが見るのはまだ先だった。それを大事に抱え、車内に戻る。
いくつかの名所スポットをめぐり、美しい夕陽を堪能し、カーナビなどなかった時代を背景として、地図で探し当てたホテルに向かった。
永久であろうとする思い出たち。これから、たくさんのことを経験し、学んでいこうとしている自分。その途中で手にいれ、また捨てられて行こうとしているものは、どんなものたちなのだろう。幸福の取得のために、かげで犠牲となるものは、どのような形態をしているのだろう、と多少、運転のためにつかれた気持ちと眼で、そのようなものを掴みたいと考えていたあの頃を思い出す。