爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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存在理由(18)

2010年11月21日 | 存在理由
(18)

 人見知りという性格を大事に抱えて生まれてきたような感じで暮らしてきた。捨てるタイミングを逃してしまったみたいに、部屋の片隅に居座っている。普段は、気にもしていないのだが、やはり、あそこの隅にあるなということは自分自身が一番よく知っている。

 みどりの家に到着し、車のドアを開けると、彼女の両親が出てきた。久しぶりに会う娘と、その横にいる男性。つまり、ぼく自身だが。

 彼女の両親には前にも会っていた。その頃は、まだぼくは学生だった。いまは、少しは大人になった人間と見られているのだろうか。室内に入ると、料理がたくさん並べられ、それは彼女の好きなものが多かった。

 何杯かのビールとともに打ち解けてきて、この時もぼくは快活に過ごすように努力した。まだ一カ月だが、仕事上、見知らぬ人に会った時に自分の存在を相手が勝手に好意的に思ってくれることなどないということを身に沁みて知った。そこには、いくらかのアピールと同調と優しい戯れのような喧嘩が挟まっていることを覚えていく。もちろん、みどりの両親に対して、戦略上どうするなど考えもしないが、彼女が居心地よく過ごせるならば、どんなことでもしよう、と思っていたことは確かだ。

 日が沈み、彼女の過ごした学校や、よく下校途中に寄った店なども歩いて、さまざまなことも話した。15歳の彼女は、どんな感じだったのだろうと考え、そのことも口にする。

「いまと、まったくおんなじだよ」
 と、みどりは答えた。多分、そのとおり全く同じだろう。少し気が強く、優しさを隠したような少女だろう。

 彼女の小さな頃の写真も目にする。赤いスカートを履き、ブランコに座ってこちらを見ている。右の膝あたりに絆創膏が貼ってある。その数日前に運動会の練習があり、その時に転んだときのものだ、と傷口をいたわるようにみどりの母親は言った。

「運動会では、練習の甲斐があってか、一番だったけどね」と続けた。母親は、みどりが東京にいってからも頻繁に電話をかけ、忙しいみどりを少しだけ煩わさせ、また同じように少しだけ心配な気持にさせた。

 朝になり、みどりの気遣いもあってだが、ぼくらはそこから近い温泉で一泊することになっていたので、また車を出し、そこに向かった。車の後方の窓から手を振る両親。それを見ながら、ぼくはやはり、ちょっとジンとなっていた。自分の両親には、なぜかそのような気持を持つことが出来なくなっていたが、優しい心があるならば出口を求めていて、そのような気持ちになってしまった。

「どうしたのよ」
「別に、優しい人たちだなと思って」
 東京の空とは違う色を、その景色はもっていた。見事な景観で、このようなところで育つのは子供には退屈かもしれないが、いまでは良いものだなと実感している。窓を開けるとさわやかな空気の味がして、肌にひんやりとした感触を与えはするが、それはとても嫌なものではなく、反対だった。

 途中、山中で車を停め、彼女は覚え始めたカメラを取り出し、そこらの景色を撮った。ついでのようにぼくの写真もとった。その後、そのときに写されたぼくの肖像は、彼女の部屋でこころもとなく存在していた。でも、自分で見ても、そのときの自然な笑顔はあとにもさきにもないような、繕っていない表情をしている。

 彼女の部屋に永久に存在し続ける予定だったその写真は、まだカメラの体内にフィルムとして残っていて、それをぼくが見るのはまだ先だった。それを大事に抱え、車内に戻る。

 いくつかの名所スポットをめぐり、美しい夕陽を堪能し、カーナビなどなかった時代を背景として、地図で探し当てたホテルに向かった。

 永久であろうとする思い出たち。これから、たくさんのことを経験し、学んでいこうとしている自分。その途中で手にいれ、また捨てられて行こうとしているものは、どんなものたちなのだろう。幸福の取得のために、かげで犠牲となるものは、どのような形態をしているのだろう、と多少、運転のためにつかれた気持ちと眼で、そのようなものを掴みたいと考えていたあの頃を思い出す。

拒絶の歴史(128)

2010年11月21日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(128)

 ぼくの家のポストに手紙が入っていた。その手紙はいまは自分の部屋の机の上に置かれている。
 丁寧に封を開くと、見慣れた文字が飛び込んできた。

 ひろし君。
 こんにちは。
 お元気ですか?
 といっても、まだそんなに離れてから時間も経っていないけどね。
 前には、わたしが東京にいるとき、たまにこのような手紙をやりとりしましたね。あの頃のことを思い出しながら、書いてます。

 どこかに、あの手紙がしまわれていると思うけど、どこに行ってしまったのかは謎ですけど。
 それでも、さまざまなひろし君がくれた手紙の内容は、わたしのこころの奥に刻みつけられています。
 もう一度さがして、またあの気持ちをリフレッシュさせて確認したいです。
 そういえば、この前は、映画館で会いましたけど、繊細なこころの持ち主であるひろし君が、わたしたちの姿を見て傷ついていないといいんだけれど。

 あのひとは、わたしが極端に淋しがってると思って、映画に誘ってくれました。みな、わたしに対して優しい感情をもってくれていることに、いつも感謝しています。

 こちらで暮らすのも、もう直き終わってしまうんですね。その前に、なるべくなら誤解を与えたくはないと思っていたんだけど、してしまったことはもう取り戻せないことなので仕方がありません。
 もう終わった関係なので、あまり真剣に受け止めないで、ひろし君はこの手紙のつづきを読んでください。

 そう前置きをしておきます。
 わたしは、ひろし君のことが、こころの底から好きでした。
 誰よりも、懸命な気持ちで愛していました。
 それなのに、わたしの気持ちと比較しても、ひろし君のわたしへの愛情が少なく感じました。それも、だんだんと減っているのではないかとの心配も増えました。それが、どうしてもわたしには許せませんでした。

 なんかいか憎んでしまおうと思ってもみたんですが、それすらもできず、しつこくわたしへの愛情があるかどうか訊いてしまいました。

 たまには、優しく答えてもくれたりしたけど、やはりあまりのしつこさで何度かはいやな顔もしましたね。もう、これで訊くまいとも思ってみたけど、最後には誘惑に負け、また質問してしまいました。ごめんなさい。でも、もうこうなれば問われる心配もないんですもんね。

 その反面、ひろし君はわたしの愛情に対して、訊くことはしませんでした。もっと尋ねてくれればいいとも思っていました。ひろし君は、その気持ちにあぐらをかけるほど、余裕があったのかもしれません。
 その気持ちを比較すると、悲しくなりました。

 でも、年上のわたしは、あまり重みをかけるようなことはしたくありませんでした。
 だけど、やはり最後にはこのような手紙を書き、愛情を押し付けようと思っているのかもしれません。
 ごめんね。

 東京にどれぐらい居るのか分からないけど、元気で頑張ってください。地元には、あなたの味方がたくさんいることを忘れないでください。また、忘れてしまうほど、東京で素敵な友人たちをたくさん作ってくれればいい、とも同時に思っています。
 また、いつか少しだけ大人になって再び会えるといいですね。それまでは、もっと立派になった男性がわたしの目の前に表れることを想像しておきます。
 これまでのわたしを支えてくれて、好きになってくれたことに対して、率直にありがとうと言います。
 また、あなたの成長に付き合えて良かったですし、同じ歩みを与えてくれたこれまでの時間にも感謝しています。
 では、お元気で。
 いままでの、たくさんのことをありがとう。
 河口雪代。

 ぼくはそれを読み終え、なんども封にしまっては、また取り出して、ひろげて、読み進めて、またしまった。
 自分も返事を書こうと思ってペンを取ったが、どんな気持ちを伝えればいいのか分からずにいた。簡単に電話をかけて声をきこうかとも思ったが、彼女がそのような手段を使わなかった以上、その努力の度合いの違いが失礼に感じてしまい、それもできずにいた。

 結局は、引越しの荷物のなかに忍び入れ、ガムテープでその箱を閉じてしまった。いま、直ぐにやり直すことは、重い決断をさせてしまった自分にとって、安易すぎる方法に思えた。また、彼女がぼくの愛情が比較して少ないと誤解を与えてしまったことを、払拭させる自信もなかった。なぜ、彼女はぼくの気持ちをきづかないのだろう? というやるせない気持ちも同時にあった。

 妹が楽しそうに、多分、山下と話しているのだろう、電話の声が聞こえる。ぼくも、だれかと、ただ未来が真っ白で築かれていない相手と話したいもんだと思った。思ってみても、雪代の書いた手紙の筆跡と、そのときの彼女が机の前に座っている姿まで、はっきりと頭に映っていた。やはり、ぼくも愛情の表れを手紙に残すべきだと考え直すが、また再度躊躇する自分もそこに残っていた。