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償いの書(123)

2011年11月12日 | 償いの書
償いの書(123)

「人間のピークって、いったいいつ頃なのだろうね?」裕紀はCDのジャケットを眺めている。
「どうしたの、急に?」スピーカーからは、フルートのふくよかな音色が流れている。
「シューベルトっていうひとは、31才で亡くなったんだって」
「長生きのひともいるんだろう?」

「まあ、ロック・シンガーじゃないからね。ひろし君は自分のピークって、いつだと思う?」
 ぼくは、少し思案する。自分がエネルギーを最大限に向けたのは、やはり、ラグビーのキャプテンを任されていた時代だった。自分の目標を果たさなければならなかったし、そのために全身で打ち込んだ。それを、答えようか悩んでいる。あんな前が自分のピークなのか?

「悲しいけど、ラグビー時代かな」
「輝いていたもんね。女の子からも人気があったし」
「裕紀は?」
「もういまでもないけど、ひろし君がラグビーに向けた情熱ほど、わたしは何かに打ち込んでこなかったかもしれない。すこし、心残り」
「これから、探せばいいじゃん」
「そうだね。プッチーニ」
「なにが? どうしたの?」

「長生きしたの。最後まで作曲していたって。未完のものが残るって、どういう気持ちかな」
「それは、最後まで自分の力量だけで成し遂げたいだろうね」
「山下君は、成し遂げたかな?」それは、ぼくの後輩でもあり、義理の弟でもあった。彼は、それを職業にして、いまは母校で教えている。コーチとしても優秀らしく、今度また全国大会に出ることが決まった。
「それは、思い通りだろうね」
「2人、子どももいる」
「可愛い子たちだよ」
「ひろし君を応援していた女の子たちも、もうお母さんなのよね」

「時期的にいえばそうだろうね。ぼくのことなんか、既にとっくのむかしに忘れてるよ。おむつを洗ってる、いまごろ」
 彼女は怪訝な顔をする。「もう、今は捨てるだけ」

 スピーカーから流れている音楽は終わった。変わりに鳥の声が聞こえた。彼らは、音楽を聴いて、それに合わせていたようだった。シューベルトの音楽と似ていた。
「昼ごはん、どっか外で食べる?」
「そうしましょうか。そう叔母さん退院したんだって、昨日」
「良かったじゃん。おめでとう」

 ぼくらは陽光のしたに出る。ぼくは自分の生命体のピークについていまだに考えていた。蝉なんかにはそんな思想はなく、ただ自分の命を駆け抜けるだけなのだろう。ぼくらは、60年や70年を生きる。そのために財産を管理し、老後の心配もする。ある種の保険を掛け、家を手に入れ、なんらかのメンテナンスをする。裕紀は10年前とたしかに違う。ぼくも変化した。だが、愛情は錆びることもなく、輝きを残していた。それは手を掛けてきたからなのか、それとも、自然とぼくらはしっくりといく関係だったのか、その辺りは分からなかった。

「考え事?」
「うん、ぼくは少なくとも、あと25年ぐらいは働くし、やることは変わるかもしれないけど、うまくできるだろうかとか、でも、家に帰れば、裕紀がいるんだしと思えば大丈夫だよ」
「凄い信頼だね」彼女は単純に笑った。すると、横にある公園から野球のボールがぼくらの前に転がってきた。裕紀はそれを拾い、ぼくに、「投げて」と言って、手渡した。それで、ぼくは樹木の向こうにいるグローブ片手の少年にそれを投げ返した。受け取った彼は、帽子を脱ぎ、頭をちいさく下げた。「わたし、運動するの苦手だった。笑われてないか、心配だった」

「違う長所もたくさんあるよ」
「全部言って!」
「直ぐ終わっちゃっても?」彼女は、ぼくの腕を叩く。それから、よく利用するレストランに入った。彼女はグラタン。ぼくはビールに魚のムニエルを注文した。だが、裕紀の気分が変わり、頼んだ反対のものを食べた。ぼくは焦げたチーズの旨さを楽しみ、彼女は魚をほぐした。

 その後、何の計画もなかったが、電車に乗り、裕紀の叔母の家に向かった。そこは静かな場所だった。歩いている人たちも、高級そうな服を着て、賢そうな犬を散歩させているひともいた。裕紀はそのうちの一匹の犬を撫で、連れているひとと話した。

 ぼくは、こうした普通であり過ぎる休日を愛していた。ドラマチックでもなく、エキセントリックでもなかった。日々の疲れを修復するような時間だった。そこには、裕紀が必ずいて、彼女の叔母の家の優雅な家具もその背景のひとつになる。その前に階段があり、そこに着くと、裕紀は決まっているかのようにぼくの手を握った。叔母はいつかそれを窓越しに見て、「甘えん坊」と裕紀を評した。彼女の夫はむかしのタイプの人間なのか、人前で絶対そんな振る舞いはさせなかったらしい。裕紀は見咎められたことに頓着せずに、それ以降も必ずそうした。ぼくも、いまではその階段の前に来ると、自然と手を差し伸べるようになってしまった。条件反射だ。その手の表情で、彼女の感情の起伏を知り、楽しさや悲しみを知った。この日は、落ち着いた楽しさというようなものがあり、それとは別に、叔母の体調の心配もあるのか、握った指先にちょっと力が込められていたような気もした。
コメント
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