爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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Untrue Love(2)

2011年11月15日 | Untrue Love
Untrue Love(2)

「咲子って子、覚えているか? 田舎に帰った時にいた」親父がテレビを見て、若いタレントの顔を見て思い出したのか、そう言った。ぼくは実家に寄っている。ぼくは漠然と名前を思い出し、その逆にしっかりと映像としての顔を思い浮かべた。ぼくは当時、その咲子という女の子と数語だけ話を交わしたはずだ。「この日を忘れてしまうのだろうか?」といような大人びたセリフを彼女は吐いた。その反対に、あどけない表情だったことも思い出す。ぼくは、予言通りそのときのことを忘れてしまっていたと思っていたが、父に質問されれば簡単に思い浮かべられるほど、あの日々のことは脳裏に鮮明にのこっていた。

「また、急にどうしたの?」ぼくも同じ若いタレントをテレビで見ていた。箱の中にいる女性。同じようにぼくの頭の思い出の箱の中に住んでいる少女。

「東京の大学に受かった。受験のときにはオレも会った。会社のそばで飯をおごった。きれいな女の子に変身していたぞ」
「変身ね。その変化じゃ見ても分からないかな」
「分かるだろう。お前も、もっと勉強しろよ、遊んでばっかりいないで」
「それは、話の論題がすり替っているよ」
「田舎の弟が、心配なのかお前を頼るようにお願いしてくれとオレにも言ってきた」その弟の妻の親類が咲子だった。
「それで?」
「任せとけと答えておいたよ」
「ぼくの意見は?」
「紳士たるもの、女性を助けるもんだよ」

「ご飯、たまにはうちで食べていくんでしょう。紳士の息子さん。先日、この話をわたしもしたはずだよ。あんたは頷いていた」母が料理を盛り付けた皿を両手に、テーブルの前に持ってきた。

「そうかな。食べていくよ。あのときの話と一緒だったのか。でも、親父が面倒を押し付けたけどね。いま、さっき」
「だからこの前も頼んだじゃない。上の空ね。まじめな女の子もいるんだからね。あんたの周りにいるような浮ついた女性ばかりじゃないのよ。気をつけてね」

 それは3月が終わろうとするある夜だった。春が終わるようなぬるい空気が外にはただよっていた。ぼくは大学の2年目を迎える時期だ。その咲子という女性は、4月から東京で暮らして大学に通うらしい。世間知らずを恐れ、ぼくの実家のそばのアパートに住むことになった。面倒をみるという行為が好きな母は、単純にそのことを喜んでいた。一人っ子の自分が家の外に出ることになって落胆したが、その空白は1年で解消されることになる。

「バイトはどう? 何か買ってくれないの? デパートでいっぱいきれいなもの見てるんでしょう」
「いつも言うけど、裏方で荷物を担いでいるだけだよ」
「きれいな店員さんに色目を使って」
「お前、そうなのか?」父は、驚いた表情をする。
「これでも、まじめに働いてるよ。それに、色目を使うなんて言葉づかい、いまはもう誰もしないよ」
「言葉は古くなっても、やってることは同じ」

「たまに帰って来てるんだから、静かにめしを食べさせてくれよ」かといって、自分だけの食事より食欲がすすんでいるのは否めなかった。ぼくは、大学に入ってからバイトで、デパートで働いていた。重い梱包された荷物を運び、閉店後、雑用をして回った。汗をかき、その代価としてお金を手に入れた。食堂で安い食事をして、何人かと親しくなる。それはバイト仲間であったり、女子社員だったりもした。彼女らの外見はどれも洗練されていて、いま、東京に出てきたばかりの女性と自然と比較することになった。しかし、ぼくが持っている情報は古く、その比較が正しいものか分からないが、ただ相手にもならないぐらいに勝負は決定的なものだった。だから、父と母から同じ要件を請け負ったが、実際に自分の時間を使って、知り合いの女性に便宜をすることなど考えてもいなかった。それは、父や母がするべきことであり、ぼくの時間が無駄に消耗されることは許されなかった。

 ぼくは満腹になり、そのまま横になった。すると、バイトの疲れが出たのか少しだけ居眠りをしてしまった。熟睡していないため、両親の声はところどころで聞こえた。息子である自分を甘やかしたことを彼らは自己採点して低い点数をつけ、ひとの人生の世話を引き受けることに必要以上に力んでいた。

「もう起きた方がいいんじゃないのか。風邪ひくぞ」父の低い声がきこえた。
 ぼくは目を開け、顔を洗って、上着を羽おった。玄関で靴を履き、母のおくる声をきいた。外に出ると先ほどまでの暖かな空気は消え、また冬が戻ってきたような冷気がぼくの頬を覆った。ぼくは、突然に小さなくしゃみをして、首もとの布を両手で引き締めた。

 歩きながら咲子という子が住むことになるアパートの前を通った。こんな近さだったら、両親の家に間借りした方が良さそうだったが、それでは田舎のおじの面子が立たないのだろう。それに、若い女性にとっては自由も少なからず奪われるのだろう。ぼくは通り過ぎ、駅まで歩く。駅ビルも閉まり、無雑作に段ボールが回収されるのを待って置かれていた。ぼくは、それを見て自分のバイトのことを思い出していた。今日は休みだったが、明日もぼくは無心に重い荷物を運ぶ。その空の段ボールを見ながら、ぼくは入っていた中身の重さを空想する。靴ならこれぐらい、セーターならこれぐらいというように。