爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

仮の包装(7)

2016年12月30日 | 仮の包装
仮の包装(7)

「毎日、もらえるの?」自転車を押す女性と歩きながら世間話をはじめる。ぼくはケーキの箱に視線を向ける。
「まさか、太っちゃう。余ったときだけ」ももこという名前の彼女は、そう言うとひとりで笑った。「それに、金目鯛の煮付けも毎日、食べないから」
「なに、それ?」
「だって、よくもらうでしょう?」

「ああ、そうか」漁師の家族も肉やケーキを食べる。栄養というのはバランスなのだ。夕暮れにカラカラと車輪がまわる乾いた音がする。「学校でからかわれたとか?」
「たまにね」しかし、その口調のおおよそは気にしていないという感じだった。「ここに来るまえ、仕事、なにしていたんですか?」

「あれや、これや」ぼくは自分の過去を手放してしまった事実に、ようやく気付いた。「文房具とか、家具とかを売って歩いていた」詳しく説明すると彼女の愛用品のひとつも、ぼくがいた会社のものだった。その小さなつながりに、彼女は大層よろこんだ。
「どうしてここに?」
「当然の疑問だけど、ぼくにも分からない」
「呼び寄せられた?」

「そんなオカルトチックなものじゃないよ」ただ、飲み過ぎて電車に乗ったらここにいたのだ。現代の浦島。すると間もなく彼女の家につく。彼女は玄関に。ぼくは裏口に行って用件を伝える。

「お前も、船の免許取るか?」一日分か、もう少し経ったぐらいだろうか、ひげの伸びた漁師は少し酔っていた。そして、ぼくにビールをすすめた。ぼくは断る理由を思い付けない。こうした失敗でこの町にいるともいえた。

 ももこが枝豆を運んできた。ぼくには夕飯が待っているのだが、いつの間にか漁師の妻がぼくがここで食事を済ますと電話で告げてしまう。自分の意志というものがなかった。実際、浦島という存在自体がそういうものだった。ビールの泡で酔いながらも、自分と浦島を重ね合わせることが正しくないことだけは感じていた。

 ビールからもっと濃いものに変わったが、朝の早い漁師はそのまま横になるといびきをかきはじめた。ぼくは帰るタイミングを失う。釣り人の予約の件を妻に再確認すると、うるさがられた。一度、聞けば分かるというものらしい。その横でももこはご飯を食べて、テレビを見ている。それが終わると親子でケーキを食べはじめた。ぼくは誰でもなく、かといって役柄がないわけでもなかった。ぼくも勧められるまま杯を重ね、ふらふらになりながら古びた靴を履いた。玄関で見送られる。給料が出たら、新しい靴でも買おう。しかし、この町にはおしゃれな靴屋などない。どこか別の町に行き、ももこと映画でも見る午後を想像して暗くなった海辺の潮臭い町をあてどなく歩いていた。