爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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仮の包装(8)

2016年12月31日 | 仮の包装
仮の包装(8)

 お客さんを先導してぼくは船に乗った。ぼくにも釣竿が渡される。操縦するのは、ぼくと同年代の若者だ。漁の手伝いもしながら下働きもする。愛想も良い。天気も比較的よく、風も穏やかだった。ぼくはまだ説明を覚えられないので、お客のような立場にいる。船は快調にすすんでいくが、ぼくの胃も反比例して主張をする。

 魚群探知機が運命を決める。その仕組みがどういうものなのかぼくには分からない。赤外線? 電波? 妊婦のお腹にあてるエコー? すると胃も収まってきて、ぼくも糸を垂らす。なにごとも経験だ。

 お客さんの竿は揺れもしないが、ぼくにはどんどん魚がかかってきた。商売としていちばんダメな場面だ。ひとを楽しませてこその接客業だとも思う。

「そろそろ、中断しますか?」という仮の船長のことばで竿をしまう。そして、左右の場所を交換する。

 若者は魚をさばく。ぼくはそれを眺める。船の免許を取って、魚をさばく。ぼくの未来も。潮目が変わったのかお客さんの竿もしなりはじめた。ぼくの面子も保たれる。遠くを見ると、この船の主でもある安田さんが大切にしている船が通りかかる。ぼくはももこのことを考える。今頃、セーラー服姿で自転車に乗って帰ってくるのだろう。

「彼女とか、東京にいるんですか?」ぼくはアジの切り身の皿を差し出されながら突然、質問を受ける。
「まあ、いないこともないけど」
「じゃあ、いる?」
「いや、終わったのかもしれないかな」
「はっきりしないんですね」

 ぼくは良枝に連絡を取っていない。捜索願いを出されることもないだろう。しかし、結論を先延ばしにすることはお互いの不幸につながる。もどったら考えよう。自分の決断がうやむやなままなことも忘れている。

 お客さんも箸と醤油皿を手に持ち、新鮮な魚をつついている。缶ビールも開いた。ぼくはこれからも仕事があるが、いままでひとりでしていた民宿の雇い主には頼りないものと映っているだろう。

 船は岸に帰る。帰る場所がある。本物の船長が縄をたぐりよせてぼくらを迎えた。

「釣れたか?」ぼくに訊く。
「まあ、なかなかです」
「お客さんにも、大きな魚があるよ。帰りにもっていけ」
「はい。ありがとうございます」

 男は日にやけた顔をもつべきである。笑顔と白い歯が飾りとなってよりいっそう魅力が増す。ぼくは最後に船から降りる。エンジンの音が消えると、カモメの姿と泣き声が背景のように辺りを彩る。鳥も自由である。ぼくも自由である。民宿に一晩、泊まるお客さんも総じて自由である。