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最後の火花 92

2015年07月08日 | 最後の火花
最後の火花 92

 英雄はもう元気いっぱいな様子で、いままでのように飛び回っている。わたしの心配もウソのように霧散した。

 山形の献身的な様子をみて、わたしはそれとなく未来を賭けようと思いはじめている。信頼が原動力となって車輪はまわっていく。まわりはじめたら車輪は普通の力では止まらない。また止まらせる必要もない。衝動がひとつもない人生など、いったいどこがおもしろいのだろうか。否定する材料があるとも思えない。

 来年のいまごろのことを想像する。英雄は学校に順応している。わたしは山形と授業参観に行っているかもしれない。奇異な視線というおそろしいことばを思い浮かべる。仲間外れにされてはならない。しかし、いろいろな不安を跳ね返すのが強い子の資質でもあった。

 英雄には負けん気がすくない。よくいえば協調性がある。悪くいえばひとを信用しやすい。すると信用というのは欠点なのだろうか。そうとはいえない。確かにある面では減点だ。衝動と同じように信頼も信用もなければ人間とはいえない。動物以下だ。いろいろ傷つきながら学習するしかない。その面では親は全面的に防御も応援も後押しもできない。身勝手ではなく、子どもは監視下から離れていくものだ。

 ふたりは釣りに行く。鮎がいて、他にも川魚がいる。外で焼いて香ばしいにおいのまま口にする。わたしはその準備のための用意をして遅れて行く。長い竿と短い竿の二本が川の流れのうえにあった。わたしは橋のうえからその動きを眺める。周りの樹木は夏の生い茂るみどりを幾分うしなっている。だが、水の温度はまだまだ高そうだ。わたしは彼らの横に着き、確かめるために水中に手を入れた。実際はずっとひんやりと冷たかった。上流はもっと冷えているのだろう。

 数尾だけだったが小さな魚が釣れた。山形が腹を割き内臓を取り出して串を刺して、熾した火に斜めに串を並べた。彼は川の流れで手を洗って、確認するようににおいを嗅いだ。そう簡単にはにおいはとれないだろう。

 わたしたちは石にすわって各々頬張った。わたしはおにぎりを握って来ていて彼らの空腹をみたした。外は晴れていて雲はゆるやかに流れている。煙のにおいを感じ、川のせせらぎを聞く。休日にできること。いつもの曜日にたまった疲れが遠退いて行く。わたしは水筒からお茶を出す。中は空になった。

 三人でそれから買い物に行く。きょうの献立は魚は抜きで考える。英雄は柿の木のしたで手を伸ばして、オレンジ色の果実を取った。ひとつで充分らしく、そのままお手玉のようにして交互に受取り歩いている。

 八百屋の品揃えはなぜだか良くなかった。カボチャと大根だけ買う。これだけでも何とかなりそうだった。ふたりは飽きたように前を歩いている。わたしはその背中に向かって歩いている。目印がある。そこに向かって行くだけだ。彼らは誰かに挨拶している。その姿はここからでは見えない。数歩近づくと山形の職場の社長さんが奥さんと歩いていた。作業着ではなく普段の私服。個性というものがそのまま分かる洋服。わたしも会釈する。彼らはどこに向かっているのだろう。

 家に着いて食事の準備をはじめる。山形は柿の皮を剥いている。器用なものだ。するすると一枚の皮になって下に落ちた。さらにふたつに割って、それぞれ食べている。看病を通してふたりの仲はより緊密になった。つかわなかった薬を戸棚にしまう。ひとつひとつ免疫が増えて大人になる。汚れを内包して大人になる。潔癖さなど大人には不似合いだった。

 ご飯の炊けるにおいがする。安らかな気持ちになり、そして空腹感が増す。わたしの食べる量などすくないものだ。だが、つくるのは大勢の分をまかなうほうがより楽しいだろう。子どもが五人も六人もいたら、そのことだけに引っ張りまわされるかもしれないが、忙しくしている期間もなかなか楽しいのかもしれない。

 食卓におかずが並ぶ。もう三人で食べるようになってからどのぐらいが経つのだろう。カボチャと大根。世界にはたくさんの料理があるのだろう。ご飯を素手で食べる地域もあるそうだ。タコやイカを毛嫌いするひともいる。ただ、ラジオで聴いただけの情報で、実際に目にしたことはない。いつか英雄は世界一周旅行をするかもしれない。ならば好き嫌いは少ないほうがよいだろう。しかし、それも自分では決められないのだ。味覚自体を当人が受け付けない。解消されるものもあるし、ずっと居残るものもある。カメラで写真にのこしてわたしはそれらを見ることを楽しみにしよう。文明は発達して進化する。この国もいずれ裕福になるかもしれない。

 わたしと山形はここで年老いる。もしくは、別の居心地のよい場所で暮らしているかもしれない。そのときに、きょうのこの団欒を、なにも劇的なもののなかった通常の一日を思い出すことになるのだろうか。きっと、そうしている。おそらく、忘れない。わたしは空いた皿を洗う。虫の音がする。これらの虫は春はどこにいたのだろう。トンボと同じようなものだろうか。わたしは手を拭いてラジオのスイッチをつけた。


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