ケンのブログ

日々の雑感や日記

八月二十一日

2018年08月21日 | 日記
大阪の南のT町に行った。
この町に行くとなんだか同じ大阪でも僕が住んでいる
地域とちょっと違う世界のような気がする。
この地域のことを村上春樹さんはある小説のなかで
大阪でももっともディープな地域と表現されていたけれど
そんな気持ちもわかるような気がする。
狭い路地を歩いていたら向かい側から高校生くらいの
女の子が漫画の本を読みながら歩いてきた。
ぶつかるといけないと思って道をよけた。
小声で「危ない」と僕が言うと
女の子は漫画の本から顔をあげて歩くコースを
ちょっと僕の進行方向からずらした。
駅のすぐ近くの公園のベンチでタバコを吸った。
となりのベンチでは短パンをはいた若い女性が
携帯電話でだれかと話していた。
小声で話しているので会話の断片さえもわからなかった。
その若い女性はふだん歩きつけているらしくて
筋肉質の脚をしておられた。
黒くて分厚い雲が出てきて大粒のにわか雨が降った。
いかにもこの季節の雨という気がする。
今日は甲子園の決勝戦だけれど影響がなければいいのに
と思っていると、雨はお天気雨になりやがてやんだ。
そんなお天気なので今日も比較的すごしやすい気温になっている。
こうして暑さがぶりかえしたり、また涼しくなったりを
繰り返しながらだんだん本格的に秋になっていくのだと思う。
桜の木の枝をみると一部黄色くなった葉もある。
もうそんな季節なんだなと思う。
公園の脇の学校の校舎には
ノーベル賞、山中伸弥先輩に続けという垂れ幕がさがっていた。
賢い学校なんだなと思う。
そういえば僕は時々、高校の情報をネットで検索するせいか
昨晩、僕のタブレットに全国高校偏差値ランキングというのが
出てきた。
ちょっと開いてみると無茶苦茶なサイトになっている。
例えば麻布高校のすぐしたに大阪の北野高校とか平気で出てくる。
麻布を受ける子と、北野を受ける子では
受ける模試の募集団も全然違うし
入試問題のレベルも私立と公立ではぜんぜん難度が違う。
同列に並べることなんてできないことは
偏差値の仕組みを知っていればすぐに分かることなのだけれど
ネットではこういうサイトが成り立ってしまう。
よく訳のわからないことだなと思う。
その下には偏差値70以上の芸能人というサイトがあり
タモリの写真が出ていた。
タモリが大学生の時代にはまだ偏差値なんてなかったはずだ。
あほらしくなってサイトを開く気にもならなかった。
隣の町まで戻ってきて100円ショップに入ると
ハロウィンのかぼちゃをあしらった商品の売り場が
一週間前よりは拡大している。
もうそんな季節になっていくのかなあと思う。
もう2019年のカレンダーや予定帳のコーナーもある。
一冊開いてみたら、仏滅とか大安とか要するに
六曜のでているカレンダーが載っていた。
金光さんの言葉に
大安吉日といって日取りを定めても
その日に雨が降ったら大安の意味がない
それよりもどんな日を選んでもその日のことが
うまくいくように神様にお願いをしていく道を選ぶべき。
人間は生まれる日も死ぬ日も自分で選べないのに
生きている間は日柄の良し悪しを言って
あっというまに死んでいってしまう。
本当に勝手のいいものだ。という趣旨のものがある。
その通りだなと思いつつも
六曜のカレンダーを買うと
つい仏滅とか大安とか見てしまうので
知らぬが仏ということで僕は六曜の載っているカレンダーは
基本的に使わないことにしている。
金光さんの本を読んでいるとこの道は忌み汚れのない道である。
忌み汚れを言っていたのでは人はたすからない
という意味のことが書いてある。
忌み汚れとは具体的になにかということはその本に
書いてないのだけれど
例えば家族が亡くなって49日のあいだは神棚にも
ふたをしてしまうというのは意味がない。
今月、今日で毎日神様にその日のことがうまくいくように
お願いしていくことが大切。
大安吉日にこだわることも同様に意味がない
という趣旨のことを金光さんは言っておられるので
要するに忌み汚れとはそういうことと解釈してかまわないと思う。

今、僕がいる市民交流センターでは夏ということで
甲子園のブラスバンドの応援の演奏の
ヘビーローテーションがBGMで流れているけれど
そのなかにピンクレディのサウスポー
山本リンダの狙い撃ちが含まれている。
僕の記憶に間違いがなければ
二つとも阿久悠作詞、都倉俊一作曲だなと思う。
歌謡曲といってしまえばそれまでかもしれないけれど
これだけブラスバンドで毎年繰り返し演奏されるということは
要するに都倉俊一さんの作曲がしっかりしているということなのだと思う。

これも昨日、ユーチューブで小澤征爾さんがNHK交響楽団を指揮した
ベートーヴェンの交響曲第5番と
朝比奈隆さんがやはり同じNHK交響楽団を指揮した
ベートーヴェンの交響曲第5番を続けて聴いた。
映像と音を相互に意識しながら聴いていると
小澤征爾さんの場合は指揮者が動作をしてすぐに音が出るし
指揮者もオーケストラにそれを要求していることがわかる。
その結果として演奏は割りと緻密で鋭いものになるけれど
映像と音楽を込みで見ているとなんだか息がつまりそうになるのも
また事実と思う。
これにたいして朝比奈隆さんは指揮の動作をしてから
音がなるまでにかなりのタイムラグがある。
結果として恰幅のいい演奏になるけれど
指揮の動作と音が出る時間に差があることで
演奏は乱れがちになる。
ただ、朝比奈さんの指揮ぶりをみていると
彼はそのことをあまり気にしていない様子だ。
NHK交響楽団ならばもっと音を合わせるように
指揮者が要求すればそれができる水準なのだから、、、。
かねてから僕は朝比奈隆は生演奏で聴くと感動するけれど
録音を聴くとあらが目立つと思っていた。
しかし、映像をみるとそういうことなのかと納得できる面がある。
映像は朝比奈さんが80代半ばのものだけれど
年齢を考慮すれば堂々たる指揮ぶりだなと思う。
なんだか明治の男の気概が伝わってくるような気がする。
かっこいい方だったんだなと思う。