今日で一年あまり中断していたブログを
別のURLで再開して一年経った。
以前のブログはパソコンで更新していたけれど
今はタブレットのアプリで更新するのが基本になっている。
そういうことも要因のひとつになって以前のブログとは
雰囲気もちょっと変わったかもしれないと思う。
おかげさまでブログも再開できて一年たって
早いと言えば早いという気がする。
それが天の心であるならば
できれば地道にまたブログを更新していきたいと思う。
今日はちょっと曇りがちのお天気でさすがに若干涼しくなっている。
ブッダの言葉にパラパラと目を通していると
粗野ならずことがらをはっきりと伝える真実の言葉を発し
言葉によってなに人の感情をも害することのない人。
彼を我はバラモンと呼ぶ。 と出ている。
バラモンというのはここでは深く考えず
最上の者と解釈すればよいと思う。
言葉というのは本当にケースバイケースのもので
一律にこうあるべきというのはないのだと思う。
場合によってはもちろん嘘も方便ということもあるし、、、。
しかし、ことがらをはっきりと伝える、
これはプライベートにおいても仕事においても
あの人の話はわかりやすいと思っていただける
ひいては言葉によってしかるべき信頼を得るための基本であると思う。
どんな意図で何を語ろうとしているのかわからない
言葉に出会うと僕はしばしば混乱してしまう。
そういうことの少ないようにとは思うのだけれど。
昼前に隣の町の駅前のスーパーマーケットに行って
そこで買ったパンをイートインコーナーで食した。
平日の近郊都市のスーパーには年配の方が多い。
イートインコーナーで食事をしていた男性が
杖をついて歩いてきた別の男性に名刺サイズのカードを見せた。
するとその杖をついた男の人はそのカードを見て
大きな声で「統合失調症、ああ、あんたヘルプが必要か?」と言った。
そんなにでかい声で言ったらまわりにカードを見せた人が
統合失調症であることがわかってしまう。
そう思ってみると杖をついた男の人も認知症のような顔をしておられる。
まあ、今時、認知症も統合失調症もぜんぜん珍しいものではないので
べつにいいといえばいいんだけれど。
というかそういうことが平気で言える世の中のほうがむしろ
望ましいとさえ言えると思う。
本当に平日の昼間の年長者から学ぶことは多い。
二三日前の夕方お母さんとスーパーマーケットに買い物に来ていた
3才くらいの女の子がお菓子とおもちゃを買った。
女の子はそのお菓子とおもちゃを自分の布製のトートバッグに入れた。
10メートルくらい歩くと女の子は買ったお菓子と
おもちゃをトートバッグにちゃんといれたかどうか心配になったらしく
突然立ち止まった。
そしてトートバッグの口を目一杯広げた。
それから足をちょっと広げて
軽い前屈の姿勢になって
まるでトートバッグのなかに顔を突っ込むような勢いで
トートバッグのなかにちゃんとおもちゃとお菓子が入っていることを
確かめていた。
お母さんがそばであせった顔をしていることが
まるで女の子の目には入っていないようだった。
見ていると女の子の意識はトートバッグの中のおもちゃと
お菓子を確かめることに100パーセント集中していて
そのときはそれ以外にはなにも考えていないことがわかる。
本当に子供の一心ってすごいなと思う。
子供のようにそのときのことだけ考えていれば
なにも心配はないだろうに
へんなことが起きないだろうかと先のことを
取り越し苦労したり
あのときこうすればよかったと後悔したり
そんなことが苦の種になることが私たちは圧倒的に
多いと思う。
なるべく今の今を考えるようにしていきたいと思う。
岩谷時子さんのある歌の歌詞の一節
いいじゃないの今がよければ
にはきっと大きな意味があると思う。
別のURLで再開して一年経った。
以前のブログはパソコンで更新していたけれど
今はタブレットのアプリで更新するのが基本になっている。
そういうことも要因のひとつになって以前のブログとは
雰囲気もちょっと変わったかもしれないと思う。
おかげさまでブログも再開できて一年たって
早いと言えば早いという気がする。
それが天の心であるならば
できれば地道にまたブログを更新していきたいと思う。
今日はちょっと曇りがちのお天気でさすがに若干涼しくなっている。
ブッダの言葉にパラパラと目を通していると
粗野ならずことがらをはっきりと伝える真実の言葉を発し
言葉によってなに人の感情をも害することのない人。
彼を我はバラモンと呼ぶ。 と出ている。
バラモンというのはここでは深く考えず
最上の者と解釈すればよいと思う。
言葉というのは本当にケースバイケースのもので
一律にこうあるべきというのはないのだと思う。
場合によってはもちろん嘘も方便ということもあるし、、、。
しかし、ことがらをはっきりと伝える、
これはプライベートにおいても仕事においても
あの人の話はわかりやすいと思っていただける
ひいては言葉によってしかるべき信頼を得るための基本であると思う。
どんな意図で何を語ろうとしているのかわからない
言葉に出会うと僕はしばしば混乱してしまう。
そういうことの少ないようにとは思うのだけれど。
昼前に隣の町の駅前のスーパーマーケットに行って
そこで買ったパンをイートインコーナーで食した。
平日の近郊都市のスーパーには年配の方が多い。
イートインコーナーで食事をしていた男性が
杖をついて歩いてきた別の男性に名刺サイズのカードを見せた。
するとその杖をついた男の人はそのカードを見て
大きな声で「統合失調症、ああ、あんたヘルプが必要か?」と言った。
そんなにでかい声で言ったらまわりにカードを見せた人が
統合失調症であることがわかってしまう。
そう思ってみると杖をついた男の人も認知症のような顔をしておられる。
まあ、今時、認知症も統合失調症もぜんぜん珍しいものではないので
べつにいいといえばいいんだけれど。
というかそういうことが平気で言える世の中のほうがむしろ
望ましいとさえ言えると思う。
本当に平日の昼間の年長者から学ぶことは多い。
二三日前の夕方お母さんとスーパーマーケットに買い物に来ていた
3才くらいの女の子がお菓子とおもちゃを買った。
女の子はそのお菓子とおもちゃを自分の布製のトートバッグに入れた。
10メートルくらい歩くと女の子は買ったお菓子と
おもちゃをトートバッグにちゃんといれたかどうか心配になったらしく
突然立ち止まった。
そしてトートバッグの口を目一杯広げた。
それから足をちょっと広げて
軽い前屈の姿勢になって
まるでトートバッグのなかに顔を突っ込むような勢いで
トートバッグのなかにちゃんとおもちゃとお菓子が入っていることを
確かめていた。
お母さんがそばであせった顔をしていることが
まるで女の子の目には入っていないようだった。
見ていると女の子の意識はトートバッグの中のおもちゃと
お菓子を確かめることに100パーセント集中していて
そのときはそれ以外にはなにも考えていないことがわかる。
本当に子供の一心ってすごいなと思う。
子供のようにそのときのことだけ考えていれば
なにも心配はないだろうに
へんなことが起きないだろうかと先のことを
取り越し苦労したり
あのときこうすればよかったと後悔したり
そんなことが苦の種になることが私たちは圧倒的に
多いと思う。
なるべく今の今を考えるようにしていきたいと思う。
岩谷時子さんのある歌の歌詞の一節
いいじゃないの今がよければ
にはきっと大きな意味があると思う。