「阪神・淡路大震災」から26年
当時タマちゃんは大阪中之島で勤務
朝、5時46分
出勤の支度をしているとき
滋賀県でも大きな揺れが長く続いた
でも仕事には差し支えないだろうと
電車に乗るためJRの駅に行ったが
全然電車が動き出す気配なし
特別な情報もなし
これでは出勤もできないし
今日は会社を休もうと決めて
家に戻ってテレビを見ると
大変大変、地獄絵のごとく
神戸は火災で炎に包まれている
ならば、いち早く会社に出勤して
対応しなければと思ったが
会社に行く交通手段もなく
会社に着いたのは翌日の夕方
オフィス内のキャビネットなどは
ほとんど転倒
足の踏み場もないほど
倒壊した社員の住まいや
食料、水などの対応
それから数か月間は
震災フォローで明け暮れた
この絵は10年ほど前の三宮駅
震災の跡形もなくにぎやかに立ち直っていた
しかし見た目は復興したものの
震災で被災した人たちの心の傷は
いつまでも残っている
又、いつ起きるかわからない大震災
そのためにも風化させることなく
震災を経験しなかった若い人たちにも
震災の教訓を心に刻んでほしい