遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 257 新宿物語5 ナイフ(2) 純愛 他 雑感五題

2019-08-24 15:45:42 | つぶやき
          雑感五題(2019.7--8月作)

   信仰とは 単純に神に帰依するものではない
   自身の内面に築かれた基準に従い
   それを忠実に生きる事だ
   宗教ばかりが 信仰の対象ではない
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   他力本願的な神など 存在しない
   自分の心の中に見据えた
   自身が信じ得る対象物
   それが神だ
   信仰とは その対象に向かって
   自身を生かす事だ
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   宗教とは
   神という仮面を被った悪魔 とも
   なり得るものだ
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   教養とは良識である
   良識とは他人を思い遣る心である
   知識があっても
   他人を思い遣る心のない人間を
   教養人とは言わない
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   商人は利益を得る事を 卑下すべきではない
   得た利益を どのように使うかが問題なのであり
   商人の価値は それによって決まる
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   この世を生きるという事は
   つまり 人生は
   おもちゃ箱を 引っ掻き回すようなものだ
   その中で 宝石を探り当てる者もいれば
   我楽多を掴む者もいる


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 (7)

 時刻はこの前、来た時とほぼ同じ時刻だった。再び、牧子が訪ねて来た。
 牧子は自動ドアを一歩入った所で、レジにいる俊一を囁くような声で呼んだ。
「お兄ちゃん」
 俊一が思わず顔を上げると、牧子は手招きした。
 俊一はまたしても不意打ちを受けた思いで少し不機嫌になった。
 一人の客の支払いが済んだあとでレジを出ていった。
「お母さんが来ているの。ちよっと来て」
 牧子は俊一に顔を寄せるようにして小声で言った。
 俊一は息が詰まった。咄嗟に言葉が出なかった。体が堅くなっていた。
「今、車の中で待ってるわ」
 牧子は素早く言った。
「おまえ、しゃべったのかよ」
 思わずなじる口調になって、俊一は言った。
「だって、黙ってる訳にはゆかないでしょう」
 牧子も俊一の口調に対抗するように強い口調で言った。
「駄目だよ。今、レジを離れられないよ」
 レジにいた相棒は、この前の先輩とは違っていた。
「お客さん、いないじゃない」
 牧子は、なおも強硬に言った。
「いつ来るか分からないだろう」
「忙しくないんだから、あの人に頼めばいいでしょう」
「そんな事、出来るかよ。仕事なんだぞ」
「じゃあ、お母さん、呼んで来るわ」
「バカ、余計な事、すんなよ」
「じゃあ、来てよ」
 牧子は引かなかった。
「なんだって、余計なお節介をすんだよ。俺の事なんか、放っておけばいいだろう」
「そんな訳にはゆかないわよ」
 牧子は怒って、また言い返した。
 俊一は胸元から全面を被っている前掛けを外して、レジの傍へ戻ると、同じ年頃の相棒に、
「わりいけど、用事が出来たんで、ちよっとそこまで行ってくっから」
 と言って、レジスターの下へ前掛けをしまい、牧子の待つ店の外へ出た。
 牧子の後に付いて歩いて行くと、この前、二人の少女たちが立っていた場所に、見覚えのあるベンツが停まっていた。
 車内灯を点した運転席に母がいるのが遠くからも確認出来た。
 俊一はなおも押し黙ったまま、牧子の後に付いて行った。
 車の傍へ来ると牧子は、ドアを開けて運転席の隣りに座るように俊一を促した。
 俊一は黙ったまま、牧子の指示に従った。
 母は、隣りに座った俊一に顔を向けたが、何も言わなかった。
 俊一はふと、このまま連れ去られるのでは、と恐れた。
 牧子はまだ、ドアの外に立っていた。    
 もし、牧子が後部席に着いて、そのまま車が走り出したらいつでも飛び出せるようにと、ドアノブに手を掛けたまま身構えた。
 牧子が後部席に着いてドアを閉めた。
 母はだが、車を発進させる様子はなかった。
 それでも、ドアを閉めて車内と外の世界とが遮断された瞬間、母は、今まで抑えていた感情を抑え切れなくなったかのように、激しい口調で言った。
「俊ちゃん、あなた、いったい、どうしたの ? 何も言わないで家を出ちゃって。お父さんやお母さんが、どんなに心配したか分かっているの ?」
 俊一は黙っていた。
 母は続けた。
「あなたこのまま、お家(うち)へ帰りなさい」
 母の激しい口調にも、俊一の感情は冷え切ったままだった。
「いや、帰らないよ。帰るつもりはないよ」
 と、静かに言った。
「帰らないって言ったって、こんな所で働いていて、いったい、どうするつもり?」
 母の激しい口調はまだ治まらなかった。
「どうもしなさい。このまま、ここで生活してゆくよ」
「こんな生活をしていて、将来、どうなると思うの ? 進学の事や、病院の事はどうするの」
「そんな事、俺には関係ないよ。俺には今の生活が一番合ってるんだよ。だから、放っておいてくれよ。自由にしておいてくれよ」
「あなた、たった二度の試験の失敗で少し、弱気なっているだけなのよ。もう一度やり直せば出来るわよ。だから、お家に帰って、もう一度、やってみなさいよ」
 母は諭すように言った。
「だけど、出来る出来ないの問題じゃないんだよ。俺には今までのような生き方が好きになれないんだよ。そんな生き方が、幸せだとは思えないんだ」
「だったら、今の生活が幸せだって言うの ?」
「そうさ、今、俺は今まで生きて来た中で一番幸せさ」
 母の眼差しが鋭くなった。
「誰か、女の人でもいるの ?」
「そんなのいないよ !」
 俊一は吐き捨てるように言った。心臓を突き抜かれたような思いで動揺した。
「今、何処に住んでるの ? 誰か、女の人といるの ?」
「そんなのいないって言っただろう。俺が何処に住んでいようと、俺が俺で生きてるんだから、それでいいだろう」
 母は黙った。俊一の心の奥を探るようにじっと見つめた。
「じゃあ、どうしても帰らないって言うのね。お父さんにそう言ってもいいのね」
 母は心を決めたように言った。
「帰らない」
 と、俊一は言った。
「そう、じゃあ、行きなさい。わたし達も帰るから」
 感情も顕わだった母は何処にもいなかった。静かに言った。
 俊一は母のその言葉と態度の豹変ぶりに、思わず、心の凍り付く感情を覚えた。同時に背筋に冷たいものの走るのを意識した。
 俊一は母の言葉に促されるようにドアを開け、外へ出た。
「お兄ちゃん !」
 牧子が強い口調で俊一を諭すように言った。
 母は、そんな牧子の言葉も聞こえないように、俊一が出たあとのドアを閉めた。
 ベンツはすぐにエンジンの音を響かせた。
「お兄ちゃん !」
 再び牧子が、車のドアを開けて言った。
 車はそんな牧子の言葉を後に残したまま走り出し、瞬く間に夜の中に消えて行った。
 俊一は一人残され、路上に立っていた。
 走り去った車が小さくなるのと共に、多少の感傷が生まれたが、後悔の気持ちはなかった。これでよかったんだ、と思った。
 久しぶりに顔を合わせた母の心を傷つけてしまった事を思うと、心が痛んだ。それでも仕方がないんだ、と自分に言い聞かせた。俺は俺で生きてゆく、そう思うと不覚にも涙が滲んだ。

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