天才(20210,9.12日作)
天才がしばしば 孤高の境地に住したり
奇行に走る と 思われたりするのは
天才という存在が 並みの人間の思考
あるいは
感情能力の世界を超えた
一段高い境地にいる 為に
他ならない
天才は 自身の能力からすれば 極
自然の世界を生きている それが
並みの人間には 理解を超えた
別世界の出来事 に思え 奇人 変人 奇行の人 と
見られるのだ
天才 孤高の人に取っては 極めて
迷惑な話しに違いない
パラリンピック
パラリンピックが醸し出す感動は
人間は意志さえあれば
不可能はない その自覚を目覚めさせてくれる
その事の中にある
手が不自由 足が不自由 眼が 耳が不自由 等々
それでも その障害を持った人々は 自分の意志で
見事 困難を克服して見せてくれる
そこに生まれる感動 並みの感動では捉え得ない
一段と高く 深い感動 が ある
諦めるな 人間に出来ない事はない
総ては意思の問題 気持ちの問題
やれば出来る !
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十三枚の絵(1)
わたし達は狩猟解禁日を迎えると、十一月三日「文化の日」の前後、毎年、猟に出かけた。既に六年続くわたし達の慣習で、最近では年中行事のようになっていた。メンバーはわたしの他に、旅館を経営する森本浩三、地元の農家の辰っあん、そして、絵を描いている結城良介さんの四人だった。
わたしと森本浩三は昭和三十五年卒業の大学同期生だった。辰っあんと結城さんは、わたし達より二つか、三つ年上のはずだった。
森本浩三は大学を出てしばらくは、東京で商社勤めをしていたが、旅館を経営する父が亡くなると実家に戻り、跡を継いだ。
地元に戻った森本は初め、辰っあんと二人、ライフル銃を担いで山の中を歩いていたが.そこにわたし達が加わり、結城さんが加わりして、四人になった。
わたしは最初、免許もないままに森本に誘われ、後を付いて歩いていた。だが、そうしているうちに次第にその魅力に魅せられ、虜になっていた。
結城さんがメンバーに加わったのは、わたしに遅れる事二年だった。
結城良介さんは、日本橋で老舗を誇る乾物商の長男だった。絵を描く事が好きで、四年前に年老いた両親の世話を条件に、家督の一切を妹夫婦に譲ると、自分は房総の地に住むようになっていた。
結城さんは一度も結婚した事がなかった。大学で経済学を学んだあと、本来なら家督を継いで家業を切り盛りしてゆく身だった。結城さん自身、そのつもりでいたらしかったが、大学四年、卒業の年に見たルドンの絵が決定的な影響を結城さんに与えていて、その運命を思い掛けない方向へ導いていた。一人の画家の絵が二十歳を越えた人間に決定的な影響を与える・・・、芸術には疎いわたしには分からない事だったがーー。
無論、芸術に限らず、思い掛けない一瞬が人間に、決定的な影響を与えるのは、よくある事ではある。
結城さんは寡黙な人だった。わたしが出会った最初から、悲しみを裡に秘めたような表情をしていた。わたしは初め、その表情が芸術家といわれる人に特有のものかと思っていたが、そのうちわたしは、芸術家の総てが総て、結城さんのような表情をしている訳ではなく、それが結城さん特有の表情である事をすぐに理解した。結城さんは思い通りに自分の絵が描けない事に悩んでいたのだ。
結城さんの絵はわたしなどから見ると、いかにもきれいな絵肌で描かれていて美しかった。結城さんに言わせると、その美しいのがいけないのだ、という事だった。
「なぜ、美しいのがいけないんです ?」
「魂がない、という事なんですよ。美しさは美しさでも、魂のこもった美しさでなければならないんです」
「わたしなどから見れば、充分、心のこもった美しい絵に見えますけど、これ以上、どうすればいいんですかね」
わたしは、お世辞ではなく言った。
「煎じ詰めれば、才能の問題でしょうね。才能のない人間が、いくら努力しても、結局は、才能以上のものは出来ないという事でしょうかね」
結城さんは自嘲気味に言った。
「世間的に画家の名で通っている人の中にも、結城さんの絵よりよっぽど下手だと思うような絵がありますけど、難しいものですね」
わたしは言った。
「わたしは、売るための絵は描きたくないんですよ。あくまでも、自分の魂のこもった絵を描きたいと思ってるんです。金儲けなら、実家の商売を継いだ方がはるかに効率的ですからね。でも、わたしは継がなかった。大学四年の時にルドンの絵を見て、魂を揺さぶられるような感動を覚えたんです。それで、もともと絵を描くのが好きだったものですから、道を踏み外してしまったという訳なんです。今では、ルドンの絵を見た事を後悔しています」
「どうしてです ?」
「だって、そうでしょう。ルドンの絵を見なかったら、実家の商売をしていて、こんな絵の描けない苦しみを味わう事もなかったはずです。平凡な商店の親父として、そこそこの生活が出来ていたでしょう」
「芸術って、怖いものですねえ」
「いや、もともと、わたしが向こう見ずだったんですよ。ルドンの絵に感動しただけで、自分の才能も考えずに絵描きになろうなんて思ったんですから」
結城さんは大学卒業と同時に絵画教室に出席したりして、絵の勉強に打ち込んでいた。
「幼い頃からきっちりと、基礎を勉強しておけばよかったんでしょうけど、なにしろ、にわか仕込みの我流ですから、いい絵なんか、描けるはずがありませんよ。天才ならいざ知らず、わたしのような凡才ではね」
「そんなに苦しみながら、絵をやめようと思った事はないんですか」
「ええ、ありません」
結城さんはきっぱりと言った。
「自分の世界を創り出す事の魔力とでも言いますかね。実業の世界でそれを実現する人もいるのでしょうけど」
「それにしも、結城さんの絵は、ルドンの絵とは随分、趣がちがいますね」
わたしは結城さんが、ルドン、ルドン、と言うのを聞いて、ルドンの絵を見た事がある。花が人の顔をしていたりして、薄気味悪い奇妙な絵だった。
結城さんの絵は、それとは対照的に明るい色彩て、花や風景が精密に描写されている絵だった。
「わたしも最初は、ルドンばりの絵を志していたんですけど、結局は、真似以上のものは出来ないと思って、ぜんぜん、別の方向へ舵を切ったんです。そうして方向は変えてみたものの、相変わらず、何処かで見たような、ありふれた絵の世界から抜け出る事が出来なくて、今日まで、だらだらとやって来てしまったような訳なんです。結局、これが才能の問題、という事なんでしょうね」
結城さんは達観したような声で静かに言った。
結城さんは絵を志した当初から、絵に没頭出来る生活を望んでいた。
父は物分りの良い人で、
「おまえがそれで生活出来るのなら、それで構わないさ」
と言った。
だが、その父も結城さんの絵が何度も大きな展覧会で落選し、全く売れない事を知ると、さすがに痺れを切らして、そろそろ身を固め、家業を継ぐ事も考えるようにと勧めるようになっていた。何度も見合いの話しも持ち込んで来て、その度に、
「如才はないし、気持ちもしっかりしていて、商売向きの娘だよ」
と言った。
結城さんもそんな父の度重なる勧めを無下に断る事も出来ずに何度か見合いをした。だが、どれも旨くゆかなかった。結城さんの気持ちの定まらない事が原因だった。
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桂蓮様
お気遣い 有難う御座います
日本もようやく秋めいて来ました それでも最近
何かと天候は不順です まるで世界中の
シッチヤカメッチャカに 呼応しているようです
心の洗剤 つくづく あればいいな と思います
過去は美しい などと言う人もいますが
わたくしにとっては 過去は苦痛の海です
若くて不遜だった当時の出来事のあれこれが
心に痛く突き刺さって来ます 過去を洗剤で
洗い流す事が出来たら どんなに楽な事でしょう
縁 アメリカとの違いがあるとの事 認識の仕方の
違いでしょうが 面白く拝見しました アメリカは
もっと軽く受け止める という事でしょうか ?
筋トレ 読書 坐禅 まあ なんて忙しい事
その合い間の家事 「欲張り桂蓮」 日常が
眼に浮かぶようで思わず笑みがもれます
お元気な証拠 どうぞ この日常を大切にして下さい
エホバ アメリカにもあるのですか エホバ
よく知りませんが 変な宗教団体ですよね
御主人様 御立腹との事 良識ある人なら こんな
怪しげな団体 誰でも腹が立ちます
日常の何気ない事 お書き下さっているのを
大変 楽しく拝見させて戴いています
それにしても ボタン一つでこうして海を越えた
国の出来事が拝見出来るなど 便利な世になりました
同時に、思わぬ出来事に巻き込まれる怖さも
ありますけど
何時も 有難う御座います
takeziisan様
何時も応援戴き 有難う御座います
ブログ 今回も楽しく 拝見させて戴きました
従兄弟のタツコ 中学生日記 いい御文章と
写真 当時がまざまざと甦ります 当時はこの国自体
貧しかったですが 人の心は穏やかに 優しかった
そんな気がします 殊に 地方ではそうだった気が
します それにしてもタッコさん 早すぎますね
善人は早く亡くなり 悪人 世に蔓延る でしょうか
クリは剥くのが大変ですね でも 豊かな里の秋
その象徴ですね 里の秋と言えばブログ内の「里の秋」
この童謡の作詞者は わたくしの故郷の隣りの隣り町の
出身者です ですから この歌を聴く度に ああ この
歌は この地方の情景を歌っているんだなあ と
思いながら いつも故郷を懐かしんで聴いています
よく詩をお書きになっていますね 是非
ブログに遺しておいて下さい 当時の世の中の状況が
分かります
サルビアは赤が好きです 群生で咲き誇っている
その景色に魅せられます ですので 「海辺の宿」にも
一情景として取り入れました
農作業 大変なお仕事を続けられる 水泳のせい で
しょうか お元気です
季節季節の畑の様子 懐かしい風景で
楽しませて戴いております
何時も お眼をお通し戴き 有難う御座います