遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(402) 小説 面影の人 他 雑感六題

2022-06-26 12:12:23 | つぶやき
          雑感六題(2022.6月作)


 Ⅰ 人が人である限り 
   総て 自分の行為は
   自分に還って来る
   人助け と 思ってした事も
   結局は 自分の為の行為
   その事によって得られる
   満足感 充足感 
   結果 自身が得た心の喜び
   もたらされる 幸せな思い
   それは 自身の行為の結果による
   自分に与えられた恵み に
   他ならない
 
 2 流れ星 今年も知己の 多く逝き
 
 3 野仏の 四季ごと変わる 胸飾り

 4 人は自身の為に生きなければ
   この世を生きてはゆけない 必ず
   破綻が来る
   自身を生きるには
   他人を必要とする
   他人を蔑(ないがし)ろにして
   自分は生きられない

 5 むくつけき 青年 一枝の
   ムラサキシキブ
   持ちて来る

 6 わが想い 泉のように
   湧き出でて
   君への愛の この深き海





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         面影の人(1)


          一

 三上英一は小学校入学から中学校卒業までの九年間を、九十九里浜に近い農村の叔父の家で過ごした。三上の父は昭和十九年に比島の戦場で亡くなっていた。母も、叔父の家に疎開した翌年、多くの気苦労が重なった事が原因で体を悪くし、呆気なく亡くなっていた。三上に兄妹はいなかった。
 叔父の家での生活は決して、不幸なものではなかった。叔父夫婦の子供達、一人の姉と二人の弟達の姉弟三人と仲良く育てられて、両親のいない孤独を噛みしめる事もなかった。中学を卒業すると高校にも進学せず、東京に出たのは、ひとえに東京への憧れからだった。叔父は地元の高校への進学を勧めてくれた。優しい叔父だった。
 その叔父が亡くなって十三回忌を迎えた。三上が東京へ出る時、そこから汽車に乗った田舎町の小さな駅に降り立ったのは、二十何年振りかの事であった。叔父の葬儀や七回忌の時にも叔父の家には来ていたが、もっぱら車に頼るだけで、この小さな田舎駅を利用する事はまったくなかった。
 その日、法事も終わって、今では実家を継いでいる叔父の長男の義夫に車で送られ、駅に着いたのは午後三時過ぎだった。 三上が東京へ出た時とほとんど佇まいの変わらない小さな駅には、昔どおりに広場の片隅に大きな銀杏の樹があって、しきりに黄色い葉を落としていた。
 義夫の車が帰り、待合室に入って列車の時刻表を見ると、上り列車の到着時間までには、まだ、二十分程の間があった。三上は所在無いままに待合室を出ると、駅周辺の昔の記憶そのままに残る町の景色を眺めたりしていた。時間も過ぎて、列車の到着時刻まで五分ぐらいになると駅へ戻った。
 先程は人の気配もなかった待合室には、四人の人影があった。改札口は開いていた。何人かがホームに出ていた。三上自身も切符を求め、改札口へ足を向けてそこを通り抜けようとして、思わず足を止めた。不意に三上の心を捉えて来るものがあった。三上は無意識のうちにそのものに視線を向けて、瞬間、自分の眼を疑った。小さな待合室の片隅に菜穂子が立っていた・・・。
 不思議な事だった。菜穂子の記憶は " あの時 "から三上がこれまで生きて来た三十数年の時間の中に埋(うず)もれ、現在の日常の中からは失われているものだった。その菜穂子の面影が一瞬のうちに、鮮やかに一人の女性の上に甦っていた。
 女性は不安気に何かを待っていた。制服を着た、高校生も上の学年かと思われた。
 三上は意識しないままに、ひたすら女性を見詰めていた。
 何かを不安気に待っている女性は三上の視線には気付かなかった。
 やがて、待つものが見えたのか、女性の顔に安堵の色が浮んだ。
 その視線に誘われて三上も女性の視線の先に眼を向けると、急かれるように待合室に向かって来る、中年過ぎの女性の姿が駅前広場に見えた。
 若い女性は急いで待合室を出て行った。
 二人は出会った場所で何かを遣り取りしながら言葉を交わしていた。母娘と見えた。
 若い女性は急かれる様子で腕時計を見ると、そのまま小走りに改札口へ向かった。
 母親らしい女性も後に従った。
 下りのディーゼルカーが向こうの下りホームに入って来た。
 若い女性は走って高架橋を渡って行った。
 後に残された母親らしい女性は改札口の駅員に言葉を掛けてホームへ出た。
 ディーゼルカーが走り出すと、既にそれに乗っていた若い女性が窓ガラスに顔を押し付け、ホームに立っている母親らしい女性に笑顔で手を振った。 
 ーー三上は忘我の状態で、そんな一部始終を見ていた。
 その時、三上が乗る列車がこちら側のホームに入って来た。三上の意識はだが、ホームに残された若い女性の母親と思われる女性にだけ向けられていて、列車は関心の外(ほか)だった。
 その女性が菜穂子だという思いが、動かし難く三上の心に植え付けられていた。
 かつての菜穂子の面影はその女性には見られなかったが、先程の若い女性に見た菜穂子の面影がそのまま、眼の前に立っている女性の上に重なっていた。    
 すると見知らぬ女性に見えた女性の表情から、自ずと昔の菜穂子の面影が浮び上がって来た。
 三上の気持ちは揺れた。
 懐かしさが三上の心に沸き起こった。
 同時に、今更、という思いも生まれた。
 既に三十数年前に終わった事だった。現在の三上の日常の意識からも失われていた事だった。このまま、何事も無かったようにホームに出て、ディーゼルカーに乗ってしまえば、時間はまた、何事もなかったかのように過ぎて行くだろう・・・。
 女性もまた、それぞれに過ごした歳月の中で、過去の三上の面影を現在の三上の上に見る事はないかのように、駅員に会釈して礼を言うと改札口を抜け、三上の前を通り過ぎようとした。
 三上の気持ちの中ではだが、その時、とたんに溢れて来る懐かしさと共に、そのまま、その人をやり過ごしてしまう事への未練が急速に立ち昇っていた。その気持ちに押されたように三上は声を掛けていた。
「失礼ですけど、巻島菜穂子さんじゃないですか ?」
 突然、旧姓で声を掛けられた女性は、明らかな驚きの表情で立ち竦んだよう足を止め、眼の前の男を見た。眼差しが疑わしさを込め、刺すように強くなっていた。





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           takeziisan様


           有難う御座います
            引き金
            一人の自分の人生を失った人間の苦悩を見詰めてみたいと思いました
            事件は何も起こらない 確かに表面上 何も起こっていません ですが
            主人公の意識の中では大きな変化が起こっています
            もやもやとした気持ちを抱いたままの日常 自身の人生を肉体上の欠陥 病気のため
            生きられない
             そんな人生を生きている日々の中でふと 見た夢が「引き金」となって
            咄嗟的に 自死への道を進んでしまう
            この文章の中では猟銃の「引き金」を引く場面は直接 描写はしていませんが 
            毛布でくるめば音を消す事が出来るだろう と書いた場面で
            自死への道を進んで行く主人公を暗示しています
             アメリカの文豪 ヘミングウェイは 自分は
            氷河の理論で小説を書くと言っています
            氷河は七分が水の中に沈んでいて 三分だけが表面に出ている
            その理論で書くのだ と言う事です
            つまり 暗示の多い文章という事です 総てを書いてしまうと
            物語が平板になってしまうので 暗示の部分が大切なのだという事です
             大きな事を言うようですが わたくしもこの言葉には共感して
            それを目指していますので わたくしの力不足と共に
            どうしても訳の分からない物語になってしまうようです
            以上は下手な文章に対する言い訳にしか過ぎませんが 
            実社会では ふとした何かの折りに気持ちが折れて
            自死を選ぶ人は結構いると思うのです 最近でも
            芸能界の方が二人ですか 相次いで亡くなりました
            他人には見えなくても 自身の裡に抱えた苦悩に耐えられなくなり
            自ら死を選ぶ人も多いと思いましたので「引き金」を書いてみました

             今回も様々な記事 楽しませて戴きました
            それにしても この雑草 畑仕事もつくづく 大変な事だと実感します
            どうぞ 御無理をなさらないようにして下さい
            その代わり 得られる収穫 この喜びも想像出来ます
            この喜びがあればこその苦しい農作業 でも 健康にも気力にも良いのかも知れません
             ジャガイモ百キロ 驚きです 農家さん並み
             出荷をしてはどうですか
              アジサイ 何種類もお持ちなんですね
             雨に濡れたアジサイ この趣が大好きです
              アジサイの 雨に濡れいて 母の逝く
             こんな句も作っています
              スチールギター 太陽の彼方 昔を思い出しました 
             懐かしく 耳に残っています
              砂利の海 深い 九十九里とは対照的です
             わたくしは九十九里の遠浅の海が大好きでした
             無論 外海 波が荒くて その波に馴れてしまうと
             少しぐらいの荒波にも動じません 若い頃
             逗子の浜に海水浴に行き 台風の接近で遊泳禁止が出た時
             えっ これで遊泳禁止 ? そう思った事があります
             その波の高さは九十九里では当たり前 へーえと
             思いました 当時の砂浜の美しさも見事でした
             懐かしい想い出です
              扇風機四台 懐かしい記事ですが わたくしは昨年
             クーラーを入れました 居れて良かったと思っています
             年齢による体力衰えの実感と共に この気違いじみた暑さでは
             体が持ち堪えられなかったのではないかと 昨年 つくづく実感しました
             今年も既にこの暑さ どうなります事やら
              どうぞ 日頃 御無理をなさらぬようにして下さい
              年々歳々 体力低下が実感されます それでもわたくしは
              軽い腰の痛み程度で悪い所はありません 明日
              年一度の市の健康診断で結果を聞きに行きます
              毎年診て貰っていた医師が体を悪くして閉院してしまい
              大腸がんの検査を受けた医師に今年は診てもらいました
               どうぞ 奥様共々 お体にお気を付け下さいませ
               何時も楽しい記事を有難う御座います
               コメント 御礼申し上げます