柳は緑 花は紅-禅の世界(2022.9.29日作)
現実は理論では動かない
禅の世界では
青山(せいざん) 湖上を走る
橋が流れて 川が止まる
と言う
世の中 すべからく
現実を見る眼が必要
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柳は緑
花は紅
山は高く 川の流れは長い
この根本は いつの世も
常に変わらない
それを どう見るか
どのように 心に捉え 刻むか
それにより
柳は緑 花は紅
山は高く 川の流れは長い
この世界が 深くも 浅くも
なって来る
世の中 この世界の真実は常に
一定 不変 それを見る
人の心によって 世界は
動く 変わって来る
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おじいちゃんとサルスベリの木
この物語はフィクションですが
サルスベリの木に関する部分は
事実です
「ほら、この木を見てみな」
おじいちゃんはボクの手をとって、すべすべした木にさわらせて言った。
「すべすべしているだろう。サルスベリっていう木なんだ。こんなに木の皮がすべすべしていて、サルもすべってしまいそうだからサルスベリって言うんだよ」
「ほんとうに、サルもすべっちゃうの ?」
ボクはおどろいて聞いた。
ボクは小学校一年生で、おばあちゃんの新ぼんのため八月、おとうさん おかあさん、おじいちゃんの三人とお墓まいりをしました。
「うん、ほんとうはどうかね。サルはきっとすべらないと思うよ。でも、サルもすべりそうなほど、すべすべしていて、きれいな茶色だね。それに、とってもかたちがいいだろう」
おじいちゃんは大きな木を右の手でなぜながら言った。
その木はうすべに色のちっちゃな花をいっぱいつけていて、大きなえだをひろげ、お墓のうえに気持ちよさそうなひかげをつくっていた。
「うん。ひかげがいっぱいあって、お墓もすずしそうだね」
「そうだね。すずしそうだね。でも、この木は二本めの木なんだよ」
おじいちゃんは木を見あげて言った。
「二本め ?」
ボクはよくわからなくて聞きかえした。
「そうなんだよ。さいしょの木はね、植木やさんが買っていってしまったんだよ」
「ここに、はえていたの ?」
「そうなんだ。植木やさんは、その木のかたちがとってもいいもんだから、庭の植木にして売ろうとおもったんだろうね」
「それで、売ったの ?」
「うん。おじいちゃんは、はじめ、せんぞ代々の墓にある木だからって、売らなかったんだ。だけど、植木やさんはそれでも木がほしくて、なんどもなんども、おじいちゃんのうちにきて、売ってくれってたのむんだ」
「売ればお金がもうかるとおもったんだね。きっと」
ボクは言った。
「そうなんだろうね、きっと。そのときは、おばあちゃんもいるときでね、おばあちゃんは、木のはっぱがいっぱいおちていて、お墓のそうじがたいへんなんだよ、って、いつも言ってたんだ。それで、おじいちゃんも、この木がなくなれば、おばあちゃんのお墓そうじもらくになるのかなあ、と思って、売る気になったんだ」
「はっぱが、おちなくなるもんね」
「そうだよ。ところがね、そのあとがたいへんだったんだ。植木やさんは木を買って、うれしそうにかえっていったんだけど、そのかえり道で、その植木やさんが大きな "じこ" をおこしてしまったんだ。車はこわれるし、植木やさんは足の骨をおるし、買った木はおれてしまって売りものにはならなくなるしで、さんざんな目にあってしまったんだ」
「へーえ、おっかないね」
ボクはびっくりして言った。
「うん。おっかないねえ。それで、その話しはすぐに村のみんなにもひろがって、みんなは、お墓の木で金もうけなんかしようとしたから、バチがあたったんだよ、って言っていたんだ」
「へーえ、それで、おじいちゃんのうちはへいきだったの ?」
「うん、へいきだった。でもね、お墓は木がなくなってしまったんで、大あめのときには、土がながされてしまって、たいへんだったんだ。木があるときは、その木が大きく根をはって、土のながれるのをふせいでいてくれたんだね。それに、夏になると日かげがなくなってしまったもんだから、このお墓の石が、やけどをしてしまいそうなほど、あつくなってしまったんだ。それを見ておばあちゃんは、ごせんぞさまもあついだろうね、と言って、せっせと、水をかけてあげたりして、植木を売ってしまったことを、ずいぶん、こうかいしていたんだ」
「だから、この木を買ってきてうえたの ?」
「そうじゃないんだよ。この木はね、まえの木を売ってからなん年かすると、しぜんにはえてきたんだよ。それも、もとのばしょにおなじように生えてきてね、かたちも、もとの木とそっくりなかたちになってきたんだ。おじいちやんもおばあちゃんも、それを見てびっくりしてしまったんだ」
「じゃあ、しぜんに生えてきたの ?」
「そうなんだよ。しぜんに生えてきたんだ」
「どうしてなんだろう」
「どうしてなんだろうね。きっと、もとの木の根っこが土の中にのこっていたんだろうね。それとも、ご先祖さまが、お墓をまもるように生えさせたのかねえ」
「おばあちゃんもきっと、この木のおかげで、すずしいよって言ってるかもしれないね」
「そうだね。すずしいよって、よろこんでるだろうね」
おじいちゃんがその話しをしてくれてから三年がすぎて、ボクはいま小学校四年生です。
でも、おじいちゃんは今年の五月になくなりました。
八月はおじいちゃんの新ぼんで、ボクはおとうさんとおかあさんと三人でお墓まいりをしました。
おじいちゃんが話してくれたサルスベリの木は、ことしも大きく枝をひろげて、きれいな花をいっぱいさかせ、お墓のうえに日かげをつくってくれています。
冬になるとサルスベリの木は葉をおとし、おばあちゃんが言ってたというように、そうじをするのがたいへんだけど、あたたかい日ざしをお墓にとどけてくれています。きっと、おじいちゃんもおばあちゃんも、この木のおかげで、夏はすずしく、冬はあったかいよ、と言って、よろこんでくれているような気がして、ボクはうれしくなります。
それでボクは、おちた葉っぱのそうじをするのがたいへんだけど、これからもいっしょうけんめい、おじいちゃんとの思い出がつまった、このサルスベリの木をたいせつにしてゆこうと思っています。
完
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桂蓮様
有難う御座います
何時も御感想をお書き戴き 御礼申し上げます
また この御文章がとても面白く 何時も声にして笑いながら
拝見しています
御主人様とのやりとり ユーモラスで まるで以前に書いた
名探偵 ポアロ の世界です 御主人様をけなしていながら
その底に深い愛情が感じられる お幸せなお二人のお姿が偲ばれて
読む 方としても心地良く 幸せ感に包まれます
ハチ刺され 密林 ? なんとまあ 贅沢な環境 日本でも地方に行けば
そんな環境も望めるのでしょうが わたくしなどは年齢的にも
そんな環境へ赴く事は無理なようです
都会にいれば 無味乾燥の毎日ですが もしもの場合に・・・
という思いが 常に 頭の隅にありますので
今回 新作が見えませんでしたので 旧作 脂肪を燃え尽くす を拝見しました
以前にも読んだ記憶がありますが 何時もの通り 英文との
合わせ読みですので 常に新鮮です
ここにも脂肪と格闘する ユーモラスなお姿が垣間見られます
その後 体重はいかがですか
アメリカに居ると少しぐらいの肥満も気にならなくなるのではないでしょうか
テレビで見るとアメリカ人の誰も彼もが大きなお腹をゆすりながら歩いている姿ばかりが
印象に残ります
桂蓮様もどうぞ 御用心のほどを
何時も拙文に御眼を通しいただきます事に御礼申し上げます
有難う御座います
takeziisan様
コメント 有難う御座います
何時も つまらない文章にお眼をお通し戴き 感謝申し上げます
まあ ちよっとした息抜きと思い 軽い 童話めいた文章を書いています
ここは わたくしの思考の跡を書き記す場として 利用させて戴いておりますので
それ以上の事は望んでおりません わたくしに取っては
過分な御推奨 嬉しく思っております 有難う御座います
今回もブログ 楽しく拝見させて戴きました
それにしても なんと豊かな自然 羨ましい限りです
道端のオミナエシ イノシシ出現 どんぐりの山 野の花の豊かさ
遠い昔 子供の頃への追憶 しきりです 懐かしさが募るばかりで
今もそんな自然の中に暮らしを営まれる事への羨望が募ります
ゴロバル マイカ 方言 これもまた 郷愁を誘う響きに満ちています
いい言葉だと思います
それにしてもどの地方でも 方言は大切にして欲しいものですね
幸せはここに 昭和三十五年ですかね
懐かしのメロディーです グレイダーマンもまた・・・
歩き始めが大変 筋肉が硬くなってしまっているんですね
若い頃にはない事でした それだけにわたくしも 毎朝
入念に体をほぐしています
固まったまま放置すれば 何時かは動かなくなってしまうのではないか
面倒臭さより その恐怖が先立ちます
カニコウモリ 普段 テレビを見ないのですが 自然を映した番組だけはよく見ています でも
この名前は初めてです
わたくしの所でも木犀が咲きました
この香りが 春の沈丁花と共に 何時も季節を伝えて来てくれて
好きな花の一つです なんとはない 秋の気配の落ち着きと
その底に満ちた 狂熱の夏の去った後の寂しさ しみじみとした
季節を実感させてくれます
何時も 有難う御座います
どうぞ ここのコメントにはお気をお使い下さらないよう
お願いします
お忙しい中 お眼をお通し下さる事へのわたくしの感謝の気持ちですので