遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(419) 童話(6) ゆきん子 雪子 他 大地の砂

2022-10-23 12:22:00 | つぶやき
           大地の砂(2021.11.11日作)



 大地の砂は
 風が吹けば 舞い上がり
 やがて いつかは舞い戻り
 雨が降れば 雨に濡れ
 濡れるがままに 水を溜め
 雪が降れば 降り積もる
 雪の重みに耐えている
 それでも砂は 泣き言ひとつ
 口にはしない 弱音を吐かない
 怒りはしない ただ ただ じっと
 耐えている ただ ただ じっと
 そこにある
 雨が上がれば元の砂
 雪が解ければ元の砂
 乾いた砂の 砂のまま
 人が踏んでも怒らない
 牛が踏んでも怒らない
 馬が踏んでも怒らない
 車が溝を刻んでも
 平気のへいざ 知らん顔
 アリを遊ばせ ミミズを育て
 自身の姿あるがまま
 そこに晒して そこにある
 大地の砂のその心
 人の心のその姿
 自身の心のその姿
 大地の砂に映し見て
 自身の心の在るがまま
 砂の心を生きてゆく
 大地の砂のその心 自身の命に
 自身の心を生きてゆく





          ーーーーーーーーーーーーーーーー





            ゆきん子 雪子
             (この文章は2018年2月4日 NO175に掲載したものですが 
             童話として一つの場所に収めておきたいと思い再度 
             改稿と共に掲載致します)




「ゆきん子はね、五人兄妹の末っ子でね、雪のふる夜に生まれたもんで、雪子って名前ばつげだんだけっど、わたしらは、ゆきん子、ゆきん子って呼んでたんだよ。それごそ、雪のように色が白ぐてね、かわいい子どもだったんだけっど、六歳の時に死んでしまったんだ。その時にもちょうど雪がふってでね。わたしと父ちゃんと四人の兄妹で、あんどん(行燈)の火の下で見まもってたんだよ。今日が明日の命だって言われたもんでね。そっで、その夜も八時をすぎたころになって、きゅうにゆきん子が今までつぶっていた眼ばあげでね、
「かあちゃん、今夜も大雪だね」
 って言ったんだ。だもんで、わたしも、
「ああ、そどは大雪だあ」
 って言ったんだ。そうすっどゆきん子は、   
「ほら、かあちゃん、あんな大雪の中ば、まっ白しろの馬車がこっちさ向かって走ってくるよ」
 って言ったんだ。
「白い馬車 ?」
 わたしはゆきん子の言ってるこどの意味がよぐわがんねぐて聞いたんだ。すっど、ゆきん子は、
「うん、まっ白な馬車だ」
 って、うれしそうに言ってわたしの顔ば見たんだ。そっで、わたしも、
「うん、そうだな。まっ白でりっぱな馬車だな」
 って答えたんだけっど、ああに、いろりの火がもえでるえ(家)の中さ馬車なんかくるはずもあんめえ。だけっど、ゆきん子にはそれが見えだみでえで、
「ああ、馬車がとまったね。ほら、ぎょ車のおじさんが、こい、こい、って手をふってるよ。わたし、白い馬車にのってみたいなあ。かあちゃん、わたしいって、白い馬車にのせてもらっていい ?」
 って、言いうんだ。だがら、わたしはね、ゆきん子ばよろこばせでやりでえど思ってね、
「ああ、いいよ。いって、のせてもらいな」
 って言ったんだ。
 ゆきん子はそればき(聞)ぐどうれしそうな顔ばしてね、
「じゃあ、わたし、走ってって、あのまっ白しろの馬車にのせてもらうね」
 って言って、もう一回、しっかりした眼でわたしば見たんだ。それがら、バイバイって言うもんだがら、わたしもバイバイって言ったんだ。そうすっど、ゆきん子は安心したように眼ばつぶってね、けっきょぐ、それがさいご(最期)になってしまったんだ。ゆきん子はそのまま、しずかに息ば引きとったんだよ。まっで、雪にとげでぐがのように白え顔ばしてね」

 九十歳をこえた患者さんでした。
 わたしたちは、病状が眼をはなせない状態だったため、みんなが息をつめて見まもっていました。
 八月、夏のむしあつい夜で、夜中の十二時をすぎていました。
 おばあちゃんは、そんな話しをしたあとでしばらく、眼をつぶっていましたが、それからまた、ふと、眼をあけるととつぜん、
「今夜もまた、大雪だなあ」
 と言いました。
 わたしたちはびっくりしましたが、おばあちゃんの話しにあわせるようにして、
「そうね。ずいぶん雪がふってるわねえ」
 と、答えました。するともおばあちゃんは、
「あんただぢ、そんなうす着でさむぐねえのが」
 と言いました。
「ええ、だいじょうぶよ。ストーブの火があったかいから」
 と言うと、おばあちゃんは安心したように、
「そうが」
 と言って、また、眼をつぶりました。
 たぶん、おばあちゃんは、自分がいま話していた、話しの中の世界と、今いる病院の世界とのくべつが出来なくなっていたのだと思います。
 おばあちゅんはそうして、しばらくのあいだは安心したように、安らかな顔をして眼をつぶっていましたが、ふと、なにか思いついたようにまた眼をひらくと、
「あんただぢにも、いろいろ、世話になったなあ」
 と言いました。それからすぐに、
「ほれ、見でみろ。ゆきん子がこの雪ん中ば、まっ白な馬車ば走らせでこっちさくるよ。ほら、見でみろ。ゆきん子だよ。ゆきん子だあ。いっしょうけんめい馬車ば走しらせでくるよ。ほら、見でみろ。ゆきん子だよ。色の白えきれいな子だっぺえ」
 と、いかにもうれしそうに言いました。
 もちろん、わたしたちには、そんな馬車や、ゆきん子さんなど見えるはずがありません。それで、こまってしまったのですが、おばあちゃんの話しに合わせるようにして、
「そうね。きれいなお子さんねえ」
 と答えました。
 するとおばあちゃんは、もっとうれしそうな顔をして、
「ほら、見でみろ。見えるがい。ゆきん子がわたしば見で手ばふってるよ。こい、こい、って」
 と言いました。
 わたしたちはびっくりしてしまいました。
 さっき、おばあちゃんが言ってたことと、まったくおなじことを、おばあちゃんがまた、言ったのです。
 ゆきん子ちゃんは、白い馬車にのると言って、そのまま静かに目をとじて、それがさいごになった・・・。
 そして、おばあちゃんは今また、ゆきん子ちゃんが、白い馬車にのっていて、こい、こい、って、おばあちゃんをよんでいる・・・。
 わたしたちは思わず心配になって、おわてておばあちゃんの手をにぎって、
「でも、だめよ、おばあちゃん。いっちゃだめよ。 今、ゆきん子ちゃんの方からこっちへ来るから」
 と、大きな声で言いました。
 すると、おばあちゃんはふまんそうな顔をして、
「あんでだね。あんなにゆきん子が、こい、こい、って、わたしばよんでっだよ。あんで、いっちゃあ、だめなんだね」
 と言いました。
 それでも、わたしたちはかまわず、
「なんででも、いっちゃだめなの」
 と、言いふくめるようにして言いました。
 おばあちゃんにはでも、そんな、わたしたちの心配より、ゆきん子ちゃんのほうへゆきたい思いのほうがつよかったようです。
「おお、おお、ずいぶん雪がふってるよお。こんな大雪ん中だもん、ゆきん子はえらぐさむいべえによお。さあさ、早ぐいって、あっためでやんねえどかわいそうだ」
 と言って、きゅうに、今まで寝ていた体をおこそうとしました。
 でも、そのときにはもう、おばあちゃんにはベッドの上におきあがるだけの力もありませんでした。ただ、両手を上にむけて、ひらひらさせているだけでした。
 わたしたちはおばあちゃんのその両手をしっかりとにぎりしめて、
「おばあちゃん、おばあちゃん」
 と、声をかけました。
 すると、おばあちゃんは、
「おうおう、ゆきん子かい。かあちゃんばむがえに来てくれだのが。ありがとうよ。ありがとうよ」
 と言って、おばあちゃんの手をにぎっているわたしたちの手を、そのよわくなった力でさらに、にぎりしめて来ました。きっと、おばあちゃんはわたしたちの手を、ゆきん子ちゃんの手だと思っのにちがいありません。そして、そのまま、
「さあさ、はやぐこのまっ白しろの馬車さのって、え(家)さけえろうな。えさけえって、いろりの火でぬくもろうな。この雪んなが、さむくてさむくて、てえへんだったべえ」
 と言って、また、おき上がろうとしました。でも、それがおばあちゃんのさいごだったのです。そう言ったしゅんかん、おばあちゃんの手からふっと力ががぬけて、おばあちゃんは息をひきとったのです。わたしたちがアッと思うまもありませんでした。
 べつの部屋でモニターを見ていたせんせい(医師)が、すぐにかけつけて来ました。
 せんせいはおばあちゃんのとじた目をひらいて光りをあて、どうこう(瞳孔 )をしらべました。それから、おばあちゃんのお家の人たちにむかって、
「ごりんじゅうです」
 と言いました。
 おばちゃんがなくなったのです。

 わたしたちはすぐに、おばあちゃんの体をきれいにするために、せいしき(清拭)というしごとにかかりました。
 おばあちゃんの体にかけてあった毛布をはずし、あたまの下のまくらをはずしました。
 するとその時、そのまくらの下にあったのか、一まいの、ふるくて、ちゃいろになった紙がベッドの下におちました。
 わたしたちはなんだろうと思ってひろってみると、そこには、もう消えそうになっているふるい字がかいてありました。
 わたしたちは読んでみました。
 それには、こんなふうに書いてありました。
 おばあちゃんがむかし、はやくにくなってしまったゆきん子ちゃんを思いだしながら書いたものにちがいありません。


          ゆきん子 雪子


 雪子よ おまえ ゆきん子よ
 チラチラ雪のふる夜に
 おまえは雪にとけるよに
 白い顔して死んでった

  あれから四年 過ぎたけど
  今でも雪のふるたびに
  おまえのことを思い出す
  今夜一夜もつもるだろ

 雪子よ おまえ ゆきん子よ
 チラチラ雪のふる夜に
 おまえは雪の天国へ
 そっと一人で旅立った

  真っ白しろの馬車が来て
  わたしはそれに乗りますと
  おまえは言って安らかに
  瞼あわせて息たえた

 雪子よ おまえ ゆきん子よ
 チラチラ雪のふる夜に
 おまえは雪にとけるよに
 白い顔して死んでった

  
  


           完


 


          ーーーーーーーーーーーーーーーーーー





          takeziisan様
 

           コピー 不都合は御座いません 何時でも どうぞ
          ご自由にお使い下さいませ
          わたくしとしては takeziブログの面白さ 魅力が 少しでも 
          他の方々にも伝わる事が増えればかえって嬉しく思います
          この記事はわたくしの本心を書いていますので 他人様の思惑を気にするような事は
          何もありません
           十一年前川柳 確かに初々しい 何を読めばよいのか
          戸惑っているふうで また笑みがもれました
          それにしても現在は御立派 今回 新作は見えないようですが 
           光陰 矢の如し
          わが家でも全く同じような状況 今では 一番近くに住む
          末の妹に頼んでいるような始末です
           故郷の風景 過疎が進んでいるとの事 わが家の方では
          やはり 東京に近いせいか かえって人家が増え かつての自然の良さが
          失われてしまいました それはそれで また 寂しいものです
          もう一度 かつての自然の中に戻ってみたいという思いは
          拭い切れません
           キヌサヤ スナックエンドウ 植え付け
          この花 イヌタデ・・・
          よく見かけるのですが 名前は知りませんでした
          チェリーセージ 初めてです こんな美しい花が野草の花 ?
          ちょっと驚いています
           あれやこれや やる事が多い 実感です
          大した仕事ではないくせに 手を抜けない
          ああ 忙しい 忙しい わたくしがつい口にすると
          おふくろが 自分は椅子に座ってテレビを見ていながら   
          何がそんなに忙しいんだよ と よく笑っていました
           記事を拝見して ふと 思い出しました
          霧のロンドンブリッジ 江利チエミ
          若かったですねえ 総ては遠い過去 光陰 矢の如し
           寒そうなあの白い鳥 やがて冬の季節 狂熱のあの夏も
          もはや 遠い感じ 総ては 光陰 矢の如し
          今回も美しい花々 楽しませて戴きました
           有難う御座いました




           桂蓮様

           有難う御座います
          体調が優れないとの事 どうぞ お気を付け下さい
          季節は変わる もう葉が落ちた・・・・
          やっぱり そちらは季節が速いようです
          こちらは一気に寒くなった感はありますが
          この地方では紅葉さえも見られません 北国ではもう
          色づいているようですが
           ロシアだウクライナだと人を差別の眼では見たくないものです
          ウクライナの人々も気の毒ですが ロシアの善良な人々にとっては 現在 
          困った 肩身の狭い状態なのではないでしょうか
          気の毒です
           それにしても 愚かな人間の愚かな行為 困ったものです
          この愚行で何人の 失わなくてもよい人の命が 失われている事か !
          一度失われた命の戻る事のない事実を 愚かな人間は知らないのでしょうか
          それとも自分の命が安泰であれば 人の命など どうでもよい
          そんな気持ちなのでしょうか 全く 愚かな人間には困ったものです
           ストレスと禅 再読
          ストレスが無ければ人間は生きられない 
          ストレスが多すぎても生きられない 難しいところですが
          人間はその難しいところをそれぞれ 芸術 学術 スポーツ 宗教などに  
          解決の糸口を見い出して生きて来たのだと思います
          まさしく 禅もその一つですが 静かに瞑想 坐る
          誰にも迷惑を掛ける事のない良い方法だと思います
           どうぞ バレーもあまり無理をなさらぬように・・・  
          寂しい結婚式 豪華な結婚式 
          豪華な結婚式を挙げて1年で別れた・・・ 
          結婚は心 形ではないと思えばどんな式でも幸福は得られるものです
          形だけ 二人の記念として写真に残しおくのも また 将来の楽しみ 
          ではないでしょうか
           何時も有難う御座います