遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(428) 小説 私は居ない(2) 他 価値

2022-12-25 12:22:45 | つぶやき
           価値(2022.12.2日作)
 

 人間社会は常に変わる しかし
 人間性 人間の本性 根本は変わらない
 万古不変のもの
 この不変 人間性に立脚した仕事のみが
 真に価値を持った 永遠の仕事として
 生き続ける 
 真の人間性に立脚しない仕事は
 一時期 もてはやされようとも 程なくして
  流され 消えてゆくだろう 流れゆく
 流れ藻にしか過ぎない
 人間 人は 常に この不変性の上に立ち
 行動する そこに 人間の生きる
 本筋 本務がある 真の人間としての価値は
 そこに帰する そこに還ってゆく





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           私は居ない(2)



 私は役所に行って私の出生届を調べてみた。
 生まれた年月、日にちに間違いはなかった。
 一つの矛盾も見られなかった。
 私は途方に暮れた。                          
 いったい、母の言葉は真実だったのだろうか ?
 あるいは、冗談好きだった母の最期の冗談だったのか ?
 それにしても何故、母は、死ぬ間際になって今更言い出さなくてもいいような事を口にしたのだろう ?
 何か、私に対する償いのような気持ちがあったのだろうか 。
 私に対するわだかまり、常に気に掛けていた事があったのだろうか。
 その為、日頃から何事に対しても、世間の母親には考えられないような緩やかな態度で私に接していたのか ?
 実の子ではない、私に対する負い目と遠慮。最後の最後になって母は、その気持ちを打ち明けたかったのか ?
 だが、私に取っては実は、そんな母の言葉など、どうでも良い事だった。私か一人生きて行くのに困る事は何もなかった。母の冗談とも本音とも付かない最後の言葉によって、何かの不都合の生じるわけでもなかったし、私が傷付くわけでもなかった。今まで通り私は、私の好きな道を好きなように歩いて行けばいいのだ。
 そんな私だったが、それでも母の最後の言葉が、実際に真実だったのかどうかを探ってみようかと考えたのは、なまじっか文学などを齧った者の好奇心からだった、と言えるかも知れなかった。
 私はその微かな好奇心と共にまず手始めに、深川、東陽町へ行って、昭和十五年頃に〆香と言う芸者が居たのかどうか、確かめてみようと考えた。そしてもし、その存在を確かめる事が出来たら、直接、会って話しを聞いてみようとも考えた。それで総てが明らかになるだろう。
 東陽町で三十数年に〆香という芸者の居た置屋を探すのに苦労はなかった。
 その置屋「川万」の女将だったという人は八十歳に近いと思われる白髪のきれいな人で、既に隠居の身分だった。
「ええ、〆香という芸者なら、うちに居ましたよ」
 いかにもはっきりした口調でその人は言った。
「〆香の事を聞いてどうするんです ?」
 元女将は私の質問を訝る様子もなく、穏やかな口調で聞いた。
「ちょっと、知りたい事がありまして」
 私は丁寧な口調で答えた。
「〆香のお身内の方ですか ?」
 元女将の口調は相変わらず穏やかだった。
「いいえ、そうじゃないんですが・・・」
「でも、あなた、〆香は亡くなりましたよ」
 元女将は遠い昔の事のように言った。
「亡くなった ?」
 私は別段、驚きもなく聞き返した。
「ええ」
 元女将は静かな口調で頷いた。
「いつ頃の事でしょう」
「ずっと昔ですよ。何しろ、わたしがまだ若かった時分ですから」
 元女将の口調に曖昧さはなかった。
「そうですか」
 私には格別な落胆の思いもなかった。冷静に事実を受け入れた。
 私が本当に知りたいのは、〆香その人の消息ではなく、その〆香に子供があったかどうかという事実だった。それで私は直に聞いてみた。
「その〆香という人には子供がいたんでしょうか」
「子供ですか・・・ええ。ですけど、あなた、生まれると十日もしないうちに亡くなってしまいましたよ」
 元女将の口調にはやはり曖昧さはなかった。
 私はその口調にも係わらず、〆香が居たという先程の言葉を思って、間違いではないかという思いを抱きながら、
「死んだ ! その子がですか ? 」
 と、聞き返した。
「ええ、生まれて間もなくでしたよ。なにしろ、月足らずで生まれたもんですから。それになんだか、大変な難産でしてね、〆香もその難産がもとで亡くなったようなわけなんです」
 私は言葉もなかった。
 元女将の口調にはやっぱり曖昧さはなかった。まるで昨日の事を語るかのようになめらかな口調だった。疑念を差し挟む余地さえなかった。
 私はそれで、改めて別の角度から聞いてみるより仕方がなかった。
「〆香という芸者さんは当時、この辺に何人も居たんですか ?」
「いいえ、あなた、〆香はこの辺では一人ですよ。ほかに誰も居やしませんよ」
 元女将の口調は相変わらずはきはきとしたものだった。
 私は頭の中がこんぐらかる思いだった。
「お宅ばかりではなく、他にも・・・?」
「ええ。当時、東陽町には〆香は一人だけでしたよ」
「でも、よその家の事は分からないんじゃないですか ?」
「いいえ、あなた。この狭い地域の事ですよ。そのぐらいの事はすぐ分かりますよ」
 わたしはそれでもなお、納得出来なかった。それで改めて聞いてみた。
「その〆香という人には何人の子供が居たんですか ?」
「〆香にですか ? 〆香にはほかに子供なんて居ませんよ」
 私は言葉に詰まるより仕方がなかった。
 しばらく続いた沈黙のあとで私は気を取り直して聞いてみた。
「その〆香と言う人が生んだ子供の相手の人は分かりますか ?」
 なんとなく、どうでもいいような気持ちになっていた。
「相手の方ですか ? 分かりますよ。当時、二人の噂はこの花街ではちよっとした話題になったぐらいですから。なにしろ〆香は当時、この辺では一番の器量よしで、それに芸も出来たものですから人気者だったんですよ。おまけに相手の方は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの横川産業の社長さんだったんですからね。噂になって当然ですよ」
「横川産業 ?」
 私は思わず聞き返していた。



         (次回 一月一日 日曜日 休みます
          その後 また 宜しく願い致します)


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           桂蓮様

            有難う御座います
           新作 拝見しました
           面白かったです 物質になぞらえての考察
           新鮮でした
            石炭として消える事を断った 灰だけを残したくはない
           人間として何かを残したいという意志の表明だと思います
           この気持ちが無ければ人は生きている価値は無いですよね
           良い御文章でした
            コメント戴いた御文章の中での複雑な家庭環境
           でも しばしば拝見する御主人様とのお幸せそうな現在のお姿
           過去は過去 現在が良ければいちいち過去を思い悔やむ事はないと思います
           今を生きる より良く生きる 人に取って一番大切な事は
           この事ではないでしょうか
           どうぞ 現在の御自身を大切にするのと共に これからの
           人生の良きパートナーとしての御主人様を大切にしながら 
          今より一層の より良い人生 日々をお過ごし下さるよう           
           期待しております
            何時も有難う御座います
           また 御主人様との仲睦まじいお姿 ブログにお載せ下さい



            takeziisan様

             有難う御座います
            思い出の写真集 様々な旅の思い出 豊富で
            羨ましい限りです 一枚一枚 ページをめくってゆく時
            ページ毎に浮かび上がる数々の思い出 あのシーン
            このシーン 人生の最終盤を生きる身に取っては
            貴重な宝物です その意味でも御人生は豊かな人生だったのではないかと
            御推察致します
             歳を経た人間に襲い掛かる宿命 避けられない事とはいえ
            一人の人が亡くなるという事は寂しいものです
            わたくし共も十月に親戚の一人が亡くなり 銚子まで出向きました
            わたくし共の年齢に取ってはこれからは人生の冬の季節
            益々 厳しさが増します どうぞ 御自愛方々 より良い
            これからの人生を御歩み下さるよう 陰ながら願っております
             クラッシックをお好みの方とか・・・
            バッハが身に沁みます    
            好きな作曲家です
             過去を振り返るブログ
            この世に存在した一人の男の生きた証し
             この言葉 いいですね
            こういう思いがあればこそ 人は真摯に自分の人生に
            向き合う事が出来るのではないでしょうか
            平凡だが 充実した人生
            人に取ってはそれが何よりもの宝です
            虚名 名声に振り回されるだけの人生 人生の最後に当たっては
            なんの役にも立ちません 真に自分自身を生きた
            その思いこそが人が一生を終わる時の宝物ではないでしょうか
            今回もいろい 美しい写真の数々と共に楽しませて戴きました
             有難う御座いました