遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(454) 小説 いつか来た道 また行く道(14) 他 魔船タイタニック

2023-07-02 13:08:04 | つぶやき
            魔船タイタニック(2023.6.23日作)


 呪われた船 タイタニック
 またしてもの悲劇
 あの海域が魔海なのか ?
 かつて沈んだ船
 タイタニックが魔船なのか ?
 恐らく 多分 偶然の事故 に
 過ぎないのだろうが かつて
 千五百余もの人の命を奪った タイタニックは
 またしても その魔の手を延ばして
 尊い人の命を奪い 新しい
 悲劇を生み出した
 魔船 タイタニック 新たな悲劇はまた
 語り継がれてゆく事になるのだろう


 世界は偶然による 必然の上に成り立っている




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             いつか来た道 また行く道(14)



 
 しかし、やらない訳にはゆかなかった。
 彼がいる限り、わたしは落ち着いた生活を送る事が出来ない。
 麻薬常習者と係わりを持った女として、絶えず不安に怯えていなければならないのだ。
 あるいは、わたし自身が彼の前から姿を消す事も、選択肢の一つかも知れなかったが、それは実行不可能だった。これまでわたしの総てを注ぎ込んで築いて来た店を放り出して、何処へ行けと言うのか ? 何処に隠れて、どうやって生きて行けと言うのか ?
 中沢がわたしから離れて行ってくれる事が一番だったが、期待する方が無理だった。弱みを握ったハイエナがみすみす獲物を手放すはずがない 。彼はわたしから搾れるだけのものを搾り取ろうとするだろう。
 無論、金を出すだけなら妥協も出来る。ただ、問題はあくまでも彼が麻薬常習者という点だった。
 わたしは再度、警察に訴える事に思いを馳せた。しかし、その思いはまたしても即座に否定された。
 中沢栄二という<ブラック ホース>の元ホステスは麻薬常習者です、と訴えて彼が警察に捕まったとしても、永遠に刑務所にいる訳ではない。何時か彼は釈放されるだろう。その時彼は、誰が警察にチクった(密告)かぐらいはすぐに想像して、再度の復讐をわたしに仕掛けて来るに違いない。
 結局、わたしは彼がいる限り落ち着いた日々を生きる事が出来ないのだ。
 彼が居る限り、わたしは脅し続けられるだろう。 
 彼が麻薬中毒で死んでくれる事が一番だったが、その前にわたし自身の神経が参ってしまいそうだった。
 わたしの不穏な思惑はそうしてわたしの胸の内で次第に強く、揺るぎないものになっていた。
 わたしは考えた。
 別荘の浴室で一気に殺(やっ)てしまえばいい。
 浴室ならたとえ血が流れても後の処置が簡単に済む。
 洗い流してしまうのだ。
 凶器はトレーニングルームにある鉄アレイを使えばいい。
 わたしが鉄アレイを思い付いたのには訳があった。何かの本で読んだのか、テレビドラマで見たのか忘れてしまったが、冷凍ラム(羊肉)の固まりで夫の後頭部を殴打して殺害する、という話しに着想を得たものだった。
 凶器の牡羊肉はオーブンで調理して、捜査に来た、刑事だった夫の同僚達に食事として出して証拠品隠滅を図るという奇抜な話しからだった。
 わたしの場合、冷凍肉を使う訳にはゆかなかったが、別荘には他の運動器具と共に鉄アレイが置いてある。わたしだけではない、社員達も利用する事の多い別荘で誰もが、体力維持の為にすぐに使用出来るようにしてあるのものだった。
 もともと、薬物の知識もなく、凶器となるような物など何一つ持っていないわたしに取っては、それが最上の方法に思えた。
 当然の事ながら、調理室にある包丁などを使う事も考えたが、腕力の乏しい自分に取っては確実に相手を刺殺出来るという自信も持てなかった。手を滑らせて失敗した時には取り返しの付かない事になる・・・・。
 わたしは計画実行までの日々、普段と変わらずに行動した。
 中沢栄二からの電話はなかった。
 二十六日の朝、わたしは秘書の浅川すみ子にファックスを入れた。
「急用が出来て実家へ帰らなければならなくなりました。四、五日は戻れなくなりそうなので宜しく頼みます。重要事項は総て専務が掌握しているはずですから、何かあったら専務に相談して下さい」 
 車で自宅を出たのは午前九時過ぎだった。
 狛江から高速道路の東名に入るとずっとその道を走り続けた。
 パーキングエリアでは必ず車を停めてわざと長い時間を過ごした。
 わたしの車がこの方面を走った事を、出来るだけ多くの人の眼に焼き付けておく為だった。
 わたしが母の元へ赴いた事実を証明する為にも、世田谷ナンバーの白いロングノーズのジャガーが西へ向かった事実を記憶しておいて貰いたかったのだ。
 わたしが岐阜の実家に着いた時には午後九時を過ぎていた。
 既に布団に入っていた母は、突然のわたしの、しかもこんな遅い帰郷に驚いた。
「なんだね ? 今頃」 
 一人暮らしの母は、わたし達、姉兄が一緒に暮らすように勧めても古い家を離れたがらなかった。「爺ちゃんの三回忌が終わるまで」と言っていたものが「七回忌」になり、今度は十三回忌が終わるまでになっていた。
 母は至って元気だった。
 突然、叩き起こされた寝間着姿のままで八畳の部屋の卓袱台の前に座ると、
「夕餉が終わってしまって、口にすんものがあんにもねえよ」
 と言った。
「何もいらない。途中で食べて来たから」
 わたしは疲れ切っていた。着ている物さえが重く感じられてそれを脱ぎながら言った。
「あんでまた、こんな夜中に突然 ?」
 母は、やはりわたしの帰郷が呑み込めない様子で不審気に言った。
「名古屋に用事があったものだから、ちよっと足を延ばして寄ってみたの。明日の朝はまた、早く出なければならないんだけど、明後日(あさって)はまた、寄らせて貰うわ」
 母は娘の突然の、久し振りの帰郷に何か、訳でもあるのではないかと探るような眼でわたしの顔を見ていた。
 わたしはそんな母の視線を鬱陶しく感じながら、なるべく顔を見られないように体を背けていた。
 母の視線を正面から受け止めるだけの勇気がなかった。胸に抱いた黒い思惑がわたしの心を卑屈にしていた。
「風呂は ? 冷めちゃってるかも知んねえけっど、すぐに焚ぐから」 
 母は娘の疲れた様子を見て気を使ってくれた。
「いいの。何もしなくていいから、もう、寝て。わたしも布団だけ貸して貰えば、それでいいから。東京から車を走らせて来たので疲れちゃったわ」
「そうかね。じゃあ、そうするよ」
 母は卓袱台の前を立ち上がって六畳の間の押し入れに向かった。
 その夜、わたしと母は枕を並べて寝た。
 母はしきりにわたしに話し掛けて来た。
 名古屋にはなんの用事があって来たのか、姉兄達の所へは顔を出さないのか、明日は何処まで行くのか、また来て、何時まで居られるのか、今年は天気が良かったので、畑の作物もよく出来た・・・・、わたしは枕に頭を載せて暗い天井を見つめながら、心ここに無い母への合槌を打っていた。久し振りに話し相手が出来て嬉しいらしい母に、上の空の返事を気付かれないようにするのに苦心した。
 やがて母は、長い話しにも疲れたのか、何時の間にか眠っていた。
 わたしは母の眠りに気付いてわたしも眠ろうとしたが、眠りはいっこうに訪れて来なかった。
 体中に疲労感が蓄積されているのを感じながら、頭脳だけは異様に冴えていた。その冴えた脳裡には次々と様々な想念が湧き上がって来て、わたしの神経を休ませなかった。
 いったい、わたしの思惑は成功するのだろうか ?
 中沢はどのような顔で現れるのだろう ?
 果たして一人で来るのだろうか ?
 もし、誰かを連れて来た時にはどうしょう ?
 当然、計画は中止しなければならなくなるだろうが、その時にはどんな口実を使うのか ?
 別荘の白樺はもう、葉を落としているだろうか ? 穴を掘った跡を隠す為には充分な落ち葉が必要だ。
 その行為が今、横にいるこの母に哀しみをもたらすような結果にならなければいいが・・・・。
 わたし自身の為にも、絶対、そうしなければならない。
 もし、この行為が世間に知られれば、わたしの総てが終わりになる・・・。
 それでも、わたしはやるのか ?
 その覚悟は出来ているのか ?
 それが極めて危険な行為だと理解しているのか ?
 いや、大丈夫だ。多分、大丈夫だ。
 中沢栄二は世間からはみ出した人間だ。
 格別、親しい人間のいるらしい様子もない事も分かっている。
 無論。麻薬の売人はいるだろうが、彼等が大袈裟に騒ぎ立てる事はないだろう。彼等に取っては彼等自身の身を守る事の方が先決だ。
 その夜、わたしはとうとう一睡も出来なかった。微かに眠ったかと思った瞬間にはもう眼が醒めていた。

 翌日、わたしは午前八時少し前に母に送られて家を出た。





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            桂蓮様

             有難う御座います
            新作がなく 旧作を再拝見しました
            心と体のダイエット 再読にも拘わらず大変 面白く拝見しました
            物の計り方 メートル法など アメリカは何故 世界の流れに反して異なるのでしょうね
            馴れない間はさぞ大変だったろうと拝見しながら含み笑いをしていました
            終わりの部分の箇条書き 水を飲むという部分を除いて
            ほとんどがわたくしの実行している事です              
            そうだ そうだと頷きなから拝見していました
            英文との合わせ読みで飽きないのです
             体調の方は如何でしょう 御無理をなさらないようにして下さい
            わたくしは一週間ほど前に健康診断の結果が出て
            総て合格でした
            健康体をつくづく有難く思っているところです
             何時もお眼をお通し戴き 有難う御座います




             takeziisan様

              
              今回もブログ 大変楽しく拝見させて戴きました
             今頃クンシラン ? 驚き以外の何ものでもありません
             やはり気候が違うのでしょうか
             この地方は温暖で災害なども少なく いろいろ地方の災害などを見聞きする度に
             この辺りは暮らし易いよね などと話し合っています
             その代わり 傑出した人物もなかなか出ないようです
              クーラーわが家もあまり使いません 去年だったか一昨年だったか
             最近の熱気を思い 取り入れたのですが 夜なども未だに
             窓を開けて寝ているような始末です 勿論 防犯の対策はしていますが
             割合と犯罪の少ない地域です
              生キュウリにミソ 最高のさかな 収穫の品々の写真を拝見
             つくづくその生活が羨ましくなります
              栗林の木陰で休憩 以前 兄妹揃って田舎の家のあった跡地で
             タケノコを採ったり 作った野菜を収穫していた事を懐かしく思い出しました
              夜 眼を醒まさない ? 驚きです
              わたくしも昔は宵っ張りで一時二時近くまで起きていたものですが
              最近は十一時前に寝るように心掛けています
              起床は六時半で その間に二回あるいは三回とトイレに立ちます
              そして その時間が何時も決まったように同じ時間帯で
               自分でも まあよく こんな決まった時間に眼が醒めるものだと
              不思議な気がしています 体調は至って良好です
               川柳 楽しませて戴きました よく見ているなあ と感服の一言 
              とても面白かったです また次回を楽しみにしています
               城ヶ島の雨 もっとも好きな歌の一つです
              いい曲です
              先週 月曜日 BSニッポン 心のうた で放送しました
              やはり音楽大学卒業の歌い手さん達が唄う歌に
              改めて良い曲だなあ と感動したばかりでした
              船頭小唄 森繫久彌
              わたくしにはちよっとぴんと来ない所があるのです
              森繫久彌の唄以前に耳にしていた歌の記憶が強くて
              なんとなく森繫の唄には二番煎じという思いが抜けきれないものがあるのです             
              でも 今では船頭小唄と言えば 森繁のあの独特の節回しの唄という理解が
              当たり前になっているようです
               謝恩会 ありました
              みなさん積極的に歌われたようですね
              わたくしのいた学年では田舎の子供の恥ずかしがりやが多かったせいか
              歌う者がいなくて 余りの場の白けに耐えられなくなって
              わたしが東海林太郎の「国境の町」を唄いました
              それだけです
              遠い思い出です それにしても皆さん 積極的だったのですね
              地方の田舎育ちをよく口になさいますが 皆さん
              わたくしのいた地方よりははるかに進んでいたのではないですか
               今回もいろいろ楽しませて戴きました
               有難う御座いました 何時もお眼をお通し下さいまして
              御礼申し上げます