遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(396) 小説 引き金(5) 他 眠りは慰め

2022-05-15 12:38:36 | つぶやき
          眠りは慰め(2022.5.10日作)


 疲労困憊した時には 眠る
 悩みや迷いに苦悶した時には 眠る
 哀しみに打ちひしがれた時には 眠る
 立ち上がれぬまでに痛手を負った時には 眠る
 他者の裏切り 無責任に怒(いか)った時には 眠る
 眠りは一時(いっとき)の死 仮想の死
 総てを忘却の中に投げ入れ
 無の闇へと導き入れてくれる
 眠りは最良の良薬
 眠りは最良の逃避先
 どんなに人が 苦悩 苦痛
 疲労困憊 哀しみ 怒りに包まれ
 煮えたぎっていようとも
 やがて訪れる永遠の眠り 死が
 総てを運び去ってくれるだろう




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          引き金(5)


 
 大学時代の友人、西川幸三からであった。
 三杉は倒れる以前には六年間、毎年、狩猟期の初めと終わりには、西川達と一緒に山の中を歩き廻って過ごしていた。
 西川は館山で代々続く旅館を経営していた。
 他には二人の仲間がいたが、二人は共に地元の農家だった。五十代後半の直治さんと、六十代半ばの源さんだった。西川に猟の面白さを教えたのも、この二人だった。
 三杉は西川に誘われて猟を始めたその年の狩猟期の終わりには、早くもセッター種の猟犬、ジミーを買い入れ、西川に預けていた。
 西川は三杉が倒れた事は知らなかった。闘病生活三カ月目に、何時ものように誘いの電話を掛けて来たが、三杉の事情を知ると病室まで見舞いに来た。
 病室での一時間余りを過ごした後、西川の帰り際に三杉は、
「もう、山歩きも出来ないよ」
 と、弱気な言葉を口にした。
 それでもまだ当時の三杉は、人生上の死も、男性としての能力の喪失も想像だにしていなかった。口先だけの弱気と言えた。
 三杉がその半年後に退院した事を告げると西川は、
「もう一度、山に入れるように頑張れよ」
 と言った。
「そう、ありたいものだが」
 西川は答えたが、満更、その景色を想像していなかったわけではなかった。
 四カ月後、西川は電話をして来た。
「どうだい。解禁になったけど、行けるかい ?」
 だが、その時にはもう、三杉の絶望的人生の始まりがその気配を見せていた。自身の意のままにならない病魔と肉体の衰えを嫌と言う程に、実生活の中で認識させられていて、
「いや、まだちょっと無理なようだ」
 と、未練を覚える事もなく、西川への否定の言葉を返していた。
 翌年にも西川は見舞い方々、狩猟解禁を知らせて来たが、この時既に、三杉の心の中は蝕まれ始めていた。男性としての能力の喪失、仕事上での体力の限界、どれもが三杉を苦しませた。
 もう、以前の生活に戻る事は出来ない !
 前途が閉ざされていた。病気以前のようにのびのびと夢を描く事が出来なかった。蝕まれた肉体が前途を塞いでいた。
 三杉はしばしば苦悶した。
 俺はいったい、なんでこんな人生の中で生きていなければならないのか ?
 生きている事の意味が見い出せなかった。屍としての人生。
 担当医は治癒しないとは言わなかったが、完治するとも言わなかった。無理をせず、気長に治療に励む事ですね。
 だが、結果は自身の肉体が誰よりもよく知っている。何も出来ない人生。抜け殻の人生。自分が自分でいて自分ではない。
 三杉の思いと心は虚無の暗い淵へ淵へと追い込まれていった。

 今回、西川からの電話を一週間ほど前に受けた時、三杉の気持ちの中には、日常のどうしようもない閉塞感を打ち破りたいという思いだけが強かった。
「うん。ちょっと、体調も良いみたいなので、医者とも相談してみて、また、改めて返事をするよ」
 と、言葉を返した。
 悶々とした日々は依然として続いていた。
 多美代は週二回のカルチャーセンター通いを続けていた。
 帰宅は何時も午後十時を過ぎていた。
 午後七時四十五分にセンターの授業が終わって、それからの時間こそが多美代に取っての本当の時間であるのかも知れなかった。
 三杉はその間、ほとんど、午後九時前には帰宅していた。爆弾を抱えたような肉体の状態で、自身が立ち上げた会社の経営も現社長に任せた上に、気晴らしの為の夜の付き合いさえ思いのままにならなかった。三杉の後を継いだ社長の桂木が順調に会社の業績を伸ばしていてくれる事だけが、現在、会長という立場にありながら何も出来ない自分に取っての唯一の救いであった。

 多美代が三杉の部屋へ顔を出さなくなったのは、いつの頃からだったのだろう ? 
 多美代が自身への後ろ暗い思いから、そうするようになっていたのだろうか ?
 それとも、三杉自身が総ての日常を厭うようになった結果、多美代を遠ざけていたのだろうか ?
 三杉は多美代が家に居る時も帰宅するとまず、九時の就寝を前に母親とくつろいでテレビを見ている奈緒子に声を掛けて、そのまま、自分の部屋へ直行した。
 多美代はそんな三杉に、
「お帰りなさい」
 と声を掛けたが、それ以上の事はしなかった。
 後の事は総てお手伝いの光枝の役割になっていた。それがいつの間にか自然な生活習慣になっていた。
 三杉は時折り、多美代が会っていると思われる男の姿と共に、自身の多美代を失った時の姿を想像した。そして、その時、決まって甦るのは、あのカルチャーセンターのある建物から出て来た時の、何処となく、孤独感と憂いに満ちた多美代の姿だった。三杉はその姿に、多美代の心の裡の葛藤と孤独を覗き見たような思いがした。そして、その思いはまた、自身の肉体の不備へと還っていて、自身を責める気持ちの方が強かった。
 多美代と三杉は、それ以前は、仲の良い夫婦と言えた。
 多美代は三杉が病室にいる間にも、懸命に尽くした。
 三杉の身にこのような肉体上の欠陥が生じない限り、二人は仲睦まじい夫婦として、幸せなな日々を過ごしていたに違いないーー。そう思うと三杉は、自身の不機嫌から、自身で多美代を遠ざけるような赴きのあった事への自覚と共に、一概に若い男に走った多美代を責める気持ちにはなれなかった。そして、それがまた、三杉に自身への嫌悪感を増殖させた。
 三杉は多美代がカルチャーセンターから帰る夜は無意識の内に多美代を避けるように、何時もより早い時刻に自分の部屋へ入った。
 食卓を囲んでの奈緒子と光枝、多美代のいない三人の食事にはかえって話題が弾んだ。普段は口うるさく母親にあれこれと注意される奈緒子も三杉の放任下では、のびのびとはしゃいでいて、光枝とふざけ合ったりしていた。
「奥様、今夜はまた、随分、遅いんじゃないですか ? 事故でもあったのかなあ」
 夫婦二人の事情を知らない光枝はそんな無駄口を叩いたりもした。そして三杉は、多美代が帰る時刻を見計らうと自分の部屋へ向かった。

「旦那様、鉄砲をするんですか ?」
 三杉が何年間も手にしなかった狩猟の道具を収納庫から取り出すのを手伝いながら、光枝は奇跡でも眼にしたかのように言った。





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          桂蓮様

           有難う御座います
          i can try  引き受けた以上はやる
           いいですね その意気
          六月の舞台 結果をお知らせ下さい
          楽しみにお待ちしております
          なんだかんだと 弱気の発言ばかりが眼に付いていましたので
          舞台に出るなんて 考えても見ませんでした
          日頃の苦労 苦痛を耐えた成果ですね
          おめでとう御座います
           人の運命は無限の可能性を秘めている しかし 人の運命は人にはどうする事も出来ない
          突然の事故 思わぬ災害 昨日 あんなに元気だった人が・・・・
          それが人の運命です 人はただ日常をより良く生きる事しか出来ない
          人生の幕は生きている以上 何時でも開けますし 開かれます
          これが限界 そう思い 諦めてしまう事が一番 悪い事では
          ないのでしょうか
           人のイジメ 良い御主人様がいらっしゃってお幸せです 
          愛する人が傍に居ればどんな苦痛にも耐えられる でも
          人は結局 最後にはその人とも別れなければならない
          何処まで行っても哀しみが付いて廻る それが人の「さだめ」なのでしょうか
           五分の曲 聴きました
          チュチュを付けた白い衣装のダンサーたちの姿が自ずと
          浮かんで来ました この曲なら 踊りやすいのでは と思いました
           舞台の御成功をお祈りしております
          有難う御座いました




          takeziisan様

           有難う御座います
          グレン ミラーからサッチモ ピアフ ラテンの数々
          単なる郷愁ではなしに あの頃の音楽は音楽として
          立派に存在していました それだからこそ 今 耳にしても
          充分 聴き応えがあるのでしょうね サッチモやグレンミラー
          あの人達のような音を出せる演奏家が今 居るのでしょうか
          今の音楽に関心のないわたくしには分からない事ですが
          これ等の曲や楽団に匹敵する 聴き応えのある音楽が
          存在していますかね みんな 素人っぽいものばかりで
           もっとも 今は何事に於いても素人の時代ではないのでしょうか
          音楽然り 政治も然り 俳優 役者に於いても 素人に
          毛の生えた程度の演技しか出来ない連中が闊歩しています
          寂しく 薄っぺらな時代です
           ボレロ わたくしも好きな曲の一つです あの繰り返しに飽きない 
          作曲者の力量でしょうか ラベルはチャイコフスキー ショパン等と共に好きな作曲家の一人です
          無論 クラッシックの世界には数多くの作曲家がいて
          まだまだ いっぱい好きな作曲家はモーツアルト ベートーベン初め 居ますが・・・・
           山岳写真 花々の写真 満喫致しました 
          レンゲツツジ 昔 銀座四丁目の角にビヤホールがあった頃
          その横の通りに山岳地帯の花々が並べられて展示即売をする時がありました
          その時 レンゲツツジを初めて眼にして 珍しさから買い込み 
          電車の中に持ち込んで自宅まで帰った事がありました
          そのツツジも もうとっくになくなってしまいましたが
          お写真を拝見して思い出しました
           野菜の収穫 羨ましい限りです 獲れたての新鮮さは
          何ものにも代えられない魅力です
          わが家の屋上でも鉢植えのイチゴが一週間ほど前 収穫出来て
          口にしました 店頭物にはない 新鮮さが口の中に広がります
          方言 暖かいですね 良い響きです
           ブログ まだまだ 頑張って頂かないとーー 寂しくなります その意味で 応援 応援 !
          歩数計 4000歩 昨日 ちょっとした用事で歩きましたが
          普段 歩いていないせいか 1500歩ほど歩きましたら
          ヒイヒイという感じです 日頃 よくお歩きのようですので5000 7000 などという数字を拝見すると
          感嘆の思い一入です
          まだまだお元気な御様子 嬉しく思っております
           何時も楽しい記事 有難う御座います
          最近は古い音楽を聴く機会などもめったにないものですから
          ブログ上で拝見すると ひと際 懐かしく感じます
          
          

           
          
           
        
           
 

 
 
 

 
 

 
 
 
 
 
 
 



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Unknown (桂蓮)
2022-05-18 06:07:08
今は火曜の午後5時頃です。
日本は水曜の朝を迎えているでしょう。

先週末、バレエ先生の旦那さんがコロナ感染して、スクール閉じてましたが、
昨日再び検査したら回復してみんな陰性のようで再び開けることになりました。

ひょっとしたら発表会もできないのかなーと思って、練習しなくていいやーと思いましたけど、
予定とおり行うようで、今日はちっと練習しました。
実は腰痛めて、本当は休みたいのですが、
何があってもやると決めたので
痛みとともにやってます。
近所のカイロプラティッククリニックは
もう効き目が無いので
エリックの長年知り合いのクリニックに明日の木曜予約を入れています。
隣の州なので、約1時間半のドライブですが、
彼女なら信じられるので、
任せられます。
しかも軽い捻挫もしているし、あっちこっち怪我して、本当に面倒なことになりました。
それでもまあーやると言った以上、やり遂げないといけないです。

チュチュ、あれ、嫌いです。
先生にチュチュは着ないからねって念を押しておきました。
今の歳で、しかも発表会で最年長だし
チュチュを着るともう滑稽になりますよね。
曲を聞いてくださったのでしたね。
振り付けも易しい感じです。
踊りやすい分、つまらなくなるおそれがあるので、
全部覚えてから、先生が表現したいイメージを踊れるようにしていくつもりです。
ですが、未だステップがあやふやで
完璧に納得できていないので
ミスが多いです。

私も舞台に立つために練習するとは
夢にも思わなかったでしたね。

私より上手な人がいたら
私までこなかったでしたけどね。
コロナで人がこなくなって
私のような素人まで機会が回ってきたのが皮肉かな。

発表会まで約3週間残っているから
その間まで体作りと
ステップの完璧な暗記
音楽に合わせる作業など
最低一日4時間は練習しないとですが、
現実はそういかないです。
2時間も練習してられないし、
今ももうあっちこっち痛くなって
疲れました。



文頭の詩、癒やしになりますね。
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