遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉307 小説 その夏(2) 他 雲 流れる果てに

2020-08-16 13:09:35 | つぶやき
          雲 流れる果てに(2020.8.15日作)

   一人 窓から見える 
   夏の日の雲を見ていると
   数々の出来事が想い出される
   戦後七十五年の今日 八月十五日
   第七十五回終戦記念日
   かつての日々 あの
   雲の流れる果てに消えて逝った
   多くの若者達の命「神風特攻隊」
   あの日 1945年8月15日
   七歳だったわたしも今 八十二歳
   かつての日々
   「雲 流るる果てに」消えて逝った若者達も すでに
   九十年余の歳月を過ごす事になる2020年8月15日
   あの若者達もたとえ 無事 何事もなく
   この日を迎える事が出来ていたにしても果たして
   何人の人が今日という日の あの
   空の雲を見る事が出来ているだろう ?
   あの日々からすでに 遠い歳月が
   過ぎ去ってしまった 2020年8月15日
   戦後の混乱期 困窮 困難 苦境の中で
   必死に生きた まだ若かった わたしの父と母も
   すてにこの世に居ない そして わたしも今
   父と母が過ごした人生の最後の数年間に
   向き合っている令和二年 2020年 8月15日
   第七十五回終戦記念日
   時は流れ 流れ逝く時の中で人 人々の
   遠く過ぎ去った日々の記憶 あの出来事 この事 あの事
   その面影は少しずつ薄れ おぼろになり やがて
   それも何時か消え失せ 記憶する人々の消滅と共に
   総ては消え去って行く事になるだろう



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        その夏(2)

 朝食を済ませたばかりの広田巡査は「お早うございます」の声に、身支度もそこそこに詰め所に出た。
 そこには打ちひしがれたように肩を落として立っている秋本つね代の姿があった。
「あじょうしました ?」
 広田巡査は、つね代の様子にいささかの驚きを覚えながら声を掛けた。
 つね代は打ちひしがれた様子のまま、涙を流しながら、
「ゆんべ(昨夜)、男達に乱暴されたんです」
 と言った。
「えっ、乱暴された ?」
 広田巡査は自分の耳を疑った。
 この静かな、他のの者の顔までがお互いに知れ渡っているような村の中では、起こり得ようもないような事件だった。
 広田巡査は、話が家族の耳に届く事を恐れて、慌てて奥に通じる詰め所のガラス戸を閉めた。奥の部屋には、高校三年の息子と中学二年の娘がまだ、食卓に着いたままでいた。
 広田巡査自身、この予想だにもし得ない突飛な出来事に、多少の狼狽を覚えていた。
「まあ、とにがく、そごさ掛げて。詳しく話しば聞くべえ」
 つね代に土間に置かれたテーブルの前の椅子を勧め、自分も向かい合った椅子に腰を下ろした。
 つね代がすすり泣きながら話したところによると、事件は八月十七日午前二時頃に起きたという。三人の男達に襲われ、校庭に連れ込まれて、代わる代わる何回も乱暴された、という事だった。
 つね代は握りしめたハンカチで涙を拭きながら、少しの淀みもなく総ての状況を事細かに話した。その真実味の溢れる話しぶりに広田巡査は、つね代に対しての少なからぬ同情を覚えるのと共に、また、ある種の不自然さをも感じ取っていた。まず第一に、そんな夜の夜中に、人妻がなんの為にそんな所を歩いていたのか、という疑問だった。広田巡査はその事をつね代に質した。
「実家からの帰りだったんですよ」
 つね代はためらいなく言った。
「実家は何処がね ?」
「隣りの鷺沼です」
「実家がらのけえり(帰り)にしても、あんで、そんな夜道ば歩いでいたりしたんだね。もっと早くけえったらよがっぺによお」
「乗り物がねえんで、歩いでけえって来たもんですがら」
「だけっど、鷺沼がらは歩いでけえっても、そんな夜中になる事はねえのではねえがい。二時間もあればけえれるど思うがなあ」
「途中、寄り道ばしたもんで遅ぐなっちまったんですよ」
「何処さ ?」
「友達の所ですよ」
 広田巡査にはそれでもなお、納得出来ないものがあった。
「相手の特徴は少しでも覚えでるがね ?」
「暗がりだったもんで、よぐ分がんねがったんです」
「三人だっつう話しだね」
「はい」
「体の大きさなんがは ?」
「二人は中肉で、背もあんまり高ぐねがったですけど、一人はひょろっとしていて背は高がったです」
「村内の者だと思うがね」
「分がりません」
「そんな時間に、よそもん(者)が)村ん中ばほっつき歩いでいる訳もあんめえしなあ」
 広田巡査は調書を取りながら独り言を呟いた。それから、村の者達の誰彼を頭に思い浮かべてみた。既に十年近くをこの村で過ごしている広田巡査には、三百戸にも満たない村全体はほぼ把握出来ていた。村はその小ささゆえに、自ずと自浄作用のようなものが働いて、極悪人のはびこる余地はなかった。非道の噂が立てば誰もが居辛くなって、この村を出て行かざるを得なかったのだ。
 現在、青年団の中にも悪党呼ばわりされるような人物はいなかった。明け透けで猥雑であっても、誰もが好人物だった。村中の青年男女が顔見知りとも言えるような間柄で、言わば親戚関係にも似たような親しさが保たれていた。突飛な出来事など、起こる余地はないように思えた。村の若者達のその方面の捌け口は、四キロ程離れた駅のある町の繁華街にあった。青年達はよく、その街での歓楽の一夜を如何にも自慢げに口にしたりしていた。そしてそれは、駐在所の広田巡査に取っては管轄外の事であった。
 その日、広田巡査は事情聴取の後、一応の現場検証を済ませ、事件の詳しい調査を約束してつね代を帰してから、相変わらず、割り切れない思いを抱いたまま、取りあえずは本署に連絡して詳しい事件の解明を依頼した。



          三



 信次に取って秋本つね代は、近所の若い娘や人妻の中でも気になる一人だった。
 つね代が秋本家に嫁いで来たのは、四年前だった。
 当時、六年生だった信次は、秋本家で行われたその結婚式を見に行った。
 村では何処の家でも、結婚式は嫁をとるその家で行われるのが常だった。
 近所の人達はお披露目も兼ねて客として、その宴に招かれた。
 午後になって花嫁が到着すると、客達の前で三々九度の盃が交わされた。
 宴は夜の九時過ぎまでも続けられ、みんなが御機嫌になっていた。
 招待されない女や子供達は、庭先でその模様を眺め、祝儀の御馳走が振舞われた。
 結婚式は単調な村の生活の中では、年中行事の祭りを除いて最大の催し物だった。
 見物人達は口々に嫁の噂をし、評価を下した。
 つね代の評判はまず "器量よし" だという事だった。大柄な姿に白無垢の花嫁衣装がよく似合った。
 ふくよかな顔には優しい和やかさが満ちていた。
 信次は、こんなきれいな人は見た事がねえ、と思った。その花嫁姿に見惚れるのと共に、憧れにも近いような気持ちが湧き起こるのを無意識裡に意識していた。自分も将来はこんな人と結婚したいとさえ思った。
 
 
 





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          takeziisan様

          有難う御座います
          野菜 花々の写真 新鮮でいいですね
          野菜のみずみずしさ このような物を
          口に出来る事の羨ましさをつくづく感じます
          スーパーの萎れかけたような物とは雲泥の差です
          花々の写真 相変わらず お見事です
          新鮮さ 清々しさが直に伝わって来ます
          拡大された美しさがいいですね
          水泳 日頃の鍛錬とは言え 現在
          よくそれだけの距離を泳げますね
          わたくしも九十九里の海近くで少年時代を   
          過ごしましたので 泳ぎには自信を持っていましたが
          二、三年前 温泉に行った時 夜中の広い浴槽に
          誰もいない事を幸い 少し泳いでみましたが
          全く泳ぐ力がなくなっていましてぴっくりした事が
          あります どうぞお元気でそのままお続け下さい


          桂蓮様

          有難う御座います
          自信と己惚れ
          面白い問題ですね
          自信過剰の人間には己惚れ屋が多いのでは
          ないでしょうか
          本当に自信のある人は そんなに大騒ぎを
          しないのではないでしょうか 本人に取っては
          それが当たり前の事に思われるので
          人の魅力 これもまた様々ですね 
          見た目は美しくても内面的には
          全く魅力のない人もいますし
          外見上は全く魅力の感じられない人でも
          一度 何かをすると途端に輝くように
          光りを 魅力を発揮する人もいますし
          実に人さまざま 人間って面白いですね
          いじめなのか拒絶なのか
          人は誰でも 他人を批判する時には
          ある種の快感を無意識裡に
          感じ取っているものなのではないでしょうか
          批判をする事で自分が優位性を抱く事が
          出来ますから
          人の批判など余り気にしない事です
          自分は自分の道を往く それで良いのでは
          自分をしっかり確立する事
          最も大切な事だと思うのですが
          現在の宗教界など 余り当てにしない方が
          良いですよ 生臭い人間ばかりが  
          多い気がします 何々師 何々僧などという言葉に
          惑わされない事です まず自身の心をしっかりと
          それ以外に頼る所はないのではないでしょうか
      
          
 
          
 
 
 
 
 

      
 

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