ぐーちゃんgoo日記

ぐーちゃんgoo(倶輔丼)の独り言、つぶやき。

R5.5.17(水) Lullaby for the lost son 忘れかけた子守唄

2023-05-17 14:32:55 | Weblog

Lullaby for the lost son 今は亡き息子に捧げる子守唄と訳せば、、?

今から55年前にこの曲を聴いた♪

忘れかけた子守唄。大好きな曲になった。永遠に残る名曲だと思っている。

 

兵士の群れが 朝露に消える 母の姿が 小さく残る

ジョニーの手紙が 五月に届く 元気でいるよ もうすぐ帰ると

 

母は毎日 稽古をしてるよ 忘れかけた子守唄を

戦さを終えて 兵士が帰る だけどジョニーの 姿が見えぬ

 

兵士の群れが 街角に消える

母の姿が 小さく残る

 

母は涙で むなしく唄うよ

思い出した 子守唄を

 

これはその当時のタイガースというグループの曲。なかにし礼、すぎやまこういちの作品。

 

この歌詞のような映像が今流れている。

過去のものと思っていた…………、永遠に。

まさか、まさか。

 

世界中の人々はいま、即刻終われと思っている。

 

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R5.4.2(日)ちょっとじーぴーてぃーって? そしてアレクサ?

2023-04-02 11:48:51 | Weblog

えっ! ウソだろ! 

ちょっとじーぴーてぃーのニュースを見たのはかれこれ二か月ほど前。

実にセンセーショナル。

正式にはアメリカのOpen AIという企業が開発したChatGPTという名称。

 

テレビの解説者が実験した。

「現在の世界情勢及び環境をどのように説明できますか? 端的に述べてください」

すると「…………」1分もしないで文章にしてしまった。

 

他にも作曲もできる。歌詞も作れる。アレンジもできる。

更に発展型のものを開発し音源につなげれば演奏もやってくれる。

そして沢山の歌手の膨大なサンプラーデータの中から曲にあった声を取り出し一曲に仕上げてくれる。それも実に早く!

 

辞書にもなるし小説も書けるらしい。そして更なる進歩していてとどまることを知らない。

 

困った時、自分で考える前にChatGPTに任せればいい。

時間短縮になるし僕のようなものぐさ人間には最適。

思えば、学生時代に困ったときのアンチョコ、まさに虎の巻のようなもの、とも違う?

 

ここでふと思った。

人間の知能はこれによってどこまで退化していくのだろう。

これ以上退化のない僕は心配しなくてもよいが(苦笑)

 

 

先日長男の家に遊びに行った。そこには10歳の誠之介という男の子と6歳の万織という女の子がいる。

その孫とトランプでスピードというゲームをやった。楽しかった。結構熱くなる。

誠之介とは五分五分、万織とは二敗一引き分け。こういうのも頭の体操になって実に良い。

帰り、アレクサ君にあいさつをして帰宅した。久しぶりに熱く闘ったものだからこの日の夜は熟睡^^

 

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R5.1.27(金) CAFE de CRIE(2) アールグレイ&バームクーヘン

2023-01-27 16:37:41 | Weblog

店の注文カウンターに行くと笑顔を浮かべた女の子が待っていた。心が温まる笑みだ。しばし考えアールグレイといった。傍のガラスケースにあったバームクーヘンが目につき一緒に注文した。スマホ画面からauPAYを出しそれで決済。最近は財布を取りださなくてもいいから実にコンビニエンス。 

トレイにそれぞれを載せ席についた。アールグレイの良い香りが鼻孔をくすぐる。

毎回不思議に思うのだが、ティーバッグの紐がカップの持ち手のことろに絡まっている。時に複雑に絡まってる時があって過去に難儀したことがある。出す側も飲む側も1工程省けるからやめたらどうだろう。ま、大したことではないけど^^

ひと口アールグレイを飲んでからバームクーヘンの入ったビニール袋を手にとった。

さてと、……。ん? 袋の切れ目を探した。それがない。仕方ないからギザギザ部分を引き裂くしかない。ところが簡単に裂けなかった。ここまで頑丈にする理由がどこにある。

ギザギザ部分に爪を立てるのだが、どうしても破けない……。

あまり必死にやっていると、何やってるのあのオヤジと思われるのも格好悪い。周りの目も気になり始める。

でも努力の甲斐があってかなり裂けてきた。ここで一息つく。しかしまあ、なんでこんな頑丈な袋に入れて売るんだ? バームクーヘンひとつ食べるのにここまで時間と労力がかかるとは……ま、思っても見なかった。

あと1ミリというところまで来た。最後に渾身の力を込めた。その瞬間破けた! ノーサイドと思ったが、次に声なき声をあげていた。

脱輪した車のタイヤのごとくコロコロとバームクーヘンが転がっていくではないか。そしてそれはやがて後ろに座っていた女性のイスの下まで転がってそこで見えなくなった。

背筋に冷たいものが走った。

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R5.1.22(日)「ももじゅ」

2023-01-22 17:49:55 | Weblog

僕の青春時代の一頁に登場する吉野のおばちゃん。

同じ時代の空気を吸ってきた。

おばちゃんは50数年前、新宿二丁目で麻雀「吉野」と寿司屋を営んでいた。

アニキやタローたちとよく吉野に麻雀をしに行った。ほとんどタローの一人勝ちだったが、たまに勝った時は一階の吉野寿司に寿司一人前を頼むのが楽しみだった。

おばちゃんとはその頃からの付き合いだからとても長い。

明るくてみんなから愛されるアイドル的存在。そして気っぷもよくまさに江戸っ子気質の人。

 

先日まるちゃんアニキからおばちゃんの電話番号を聞いて掛けた。

呼び出し音が7~8回空しく響いたあとカチャッと音がした。

僕から掛かってきたことに驚いていた。声は当時の話し口調と変わらない。それに老いも全く感じられなかった。バイタリティーも満ち溢れていた。

 

おばちゃんが言った。

「最近腰が痛くてさ。杖のようなものを使っている今。だけど杖じゃないよ。それとさ、よく手押し車のようなものを押して歩いている老人いるでしょ。あれだけはあたしゃ使いたくない。まだそんな年じゃないよ」

おばちゃんらしい言葉になんと返していいか(笑)^^

ま、それくらいの気概を持っているおばちゃんに敬服!!

 

口達者は相変わらずだった。

家族以外の者とめったに話す機会もないのだろうか、堰を切ったように話は尽きなかった。

 

「ももじゅ」、百寿、100歳おめでとう!

この調子でいけば119才だった田中力子さんの日本最高齢、世界最高齢、もあながち不可能じゃない。

それを言うと、笑っていた。その声にも十分な活力を感じた。

ほんとにあり得る。長生きしてもらいたい。その時は一緒に祝いたい!! 

 

 

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R4.12.22(木) CAFE de CRIE

2022-12-22 14:49:04 | Weblog

数年前までは当たり前だったクリスマスソング。気の早いときなど11月後半ごろからチラホラ巷に溢れていた。

しかし今年は街を歩いていてもほとんど聴かれない。寂しいといえば寂しい。不景気という世相か? それにまだまだコロナは続いている。浮かれてられない。

15:20にCAFE de CRIEに入った。この日はかなり混んでいた。五角形のペンタゴン席を探した。めずらしく三ついや五つ空いていた。選り取りみどりだ。奥の方にあるブースの中の一つに座った。

ふと気づいた。店の中にはクリスマスソングが流れていた。それもオンパレード、特集だ。やっとそんな雰囲気になって来た。この頃になると数週間は定番のジョンレノンの歌声も聴けるし山下達郎も……、やはりこれくらいにぎやかでないとね。

あーやっと12月も……クリスマスを迎え大晦日が過ぎると正月がやってきて2024年になる。

若いころには考えたこともなかった年齢……。 

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R4.12.4(日)晩秋の夜の帳が下りた頃……

2022-12-04 17:30:57 | Weblog

2022/11/26の土曜日

夕飯の用意ができたよ、おかんの声が聞こえた。仏様のお線香を買ってくるの忘れた。あした買ってくる、まだ少しあると思うから。

見ると五センチくらいの折れたお線香が三本。

近くでテレビのワールドカップのニュースが流れていた。

その時突然、タン、タン、タンと間を空けて、乾いた音が三回、テレビとは違う方角から聞こえてきた。どこかそれは聞き慣れない音。こんな時間に何の音だろう。

「なんか変な音しなかった?」

「ううん、何も聞こえなかったけど。空耳じゃないの」

するとまたタン、タンと鳴った。

刹那頭に浮かんだものがあった。もしかして、とリビングのカーテンを開けた。やっぱりそうだ。既に帳の下りた暗闇の空に花火が燦然と輝いていた。一番初めに現れたのはハートの花火。そして立て続けに三つ。そのあと派手さには欠けるが定番のよく見る花火がポンポンとあがった。

中々乙なことをやる。心なしか気持ちが和らいだ。

毎年数百発打ち上げる朝霞市花火大会はコロナで三年連続の中止。これは自衛隊朝霞駐屯地から打ち上げている花火。ここも毎年やっていたが二年続けて中止となっていた。人知れずにひっそりあがっていた花火。このウツな世の中に明るい話題を提供してくれた自衛隊に乾杯!

単発の花火の後、立て続けに数発あがった。これはもしかしてフィナーレ? と思っていたら案の定。緞帳が下りたようだ。元の暗闇に戻っていった。

フィナーレまでたった五分の花火大会。

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R4年11月26日(土)軽井沢万平ホテル

2022-11-26 16:33:15 | Weblog

若い頃ビートルズに憧れバンドを始めた僕は、ことさらジョンレノンが好きだった。惜しいかな彼は若くして亡くなった。それを思い出すと今でも惜別の念に堪えない。

その後本屋で彼の本を見つけた。そこにストローベリーフイールズとジョンレノン。どこか自分の生い立ちに似て非なるものを感じた。後にオノヨウコと結婚した二人の間にショーンが生まれた。

本には万平ホテルのアルプス館128号室で過ごした日々、本館のカフェテラスそして離山房のことも綴られていた。

仕事に追われ人生を振り返る機会がなかった。五十の年齢を迎えた頃、旅行に行けるくらいの余裕ができた。そんな折り思い出したのが軽井沢万平ホテル。

初めてここを訪れた時だった。写真で見たことはあったが実際目にしたときは抑えきれない感動と興奮を覚えた。壮大で貫禄があり歴史を紡いできた重みを感じた。

それから度々ここを訪れるようになった。百年に一度の大雪のその当日にも訪れた。また紅葉の中に映える瀟洒な建物など、四季折々の変化を楽しめるのがほんとに素晴らしい。

ここに来ると必ず訪れる資料室。そこにはホテルの歴史が記されている。ここを創業したのは佐藤万平。余談だが僕の祖先は佐藤万蔵、、あれ?、、、いや、同じなのは苗字だけか(笑)

そして寂れたピアノが置いてある。鍵盤がいくつも取れている。ジョンレノンはきっとここでイマジンを弾いたんだろうと思ってその気になって真似てみた。メロメロの調律で見事な和音が奏でられた。そしてカフェテラスと館内の窓際の角テーブルはジョンのお気に入りと聞いた。そこが空いていると必ず座る。ジョンになった気分が味わえる瞬間。

近年体調を崩すことが多くなりここを訪れる想いは日に日に募っていた。先日少し体調も良くなり、やっと行く機会に恵まれた。万平ホテルの醍醐味の一つはディナー。その中心は肉。だが僕にとってそれはそそり立つ断崖を登るようなもの。代わりに消化の良いものに代えられないかとお願いしたところ快く鮎のムニエルに変更してくれた。

帰途に就く道すがら離山房に寄った。残念ながら店内はコロナで利用できずカフェテラスでのコーヒータイムとなった。傍にある東屋そして欅の木に記したショーンの丈比べの跡は今でも健在に残っている。

※最後までご精読いただきありがとうございました。筆者・俱輔丼こと静翔

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R4.11.12(土)遠い昔のフォルム(3)

2022-11-12 14:22:38 | Weblog

小学校の四年の夏。加藤、山本そして僕の三人は探検にいった。かつて防空壕として使用されていた元味噌工場の跡地の洞穴。行くにはまずそこにはびこるおびただしい量の雑草を突破していかなければならない。それはアシのような茎の堅い草だった。それでもゆっくり掻き分け進んでいった。その途中、加藤が「うえっ」という奇妙な声を上げた。「なんかぐにゃっとしたものを踏んだ」眉を吊り上げ情けない顔をしていた。そして片手で僕の肩につかまり「ちょっと見て」と片足を上げた。後ろにいる山本が靴の底を眺めた。「なんだこれ、ばばじゃねーか? 黒っぽい色してる、それに何となく臭う感じ」「なんだよ、ばばって」「うんちのことだよ、な?」山本が僕を見て笑った。僕が山本に「ちょっと嗅いでみな」「やだよ」「おーい変なこと言うなよ」加藤が泣きそうな顔して「もう戻ろうぜ」「おまえ、うんちごときで帰るのか」「だってよ……」「違うよ、冗談だよ、うんちじゃない。冗談、冗談」山本は笑いながら加藤をなだめた。

やがて板に塞がれた入り口が現れた。一見頑丈そうに見えたが板は簡単に外れた。間口は1mくらい。三人は目で合図した。入っていく順をじゃんけんで決めることにした。勝った者が自由に選べる。

その結果、僕は真ん中、加藤が先頭で山本が最後尾。先頭の加藤が懐中電灯をかざした。ちょっと緊張の瞬間だ。五感を研ぎ澄ましゆっくり入っていった。微かに土と埃の匂いがした。それも一瞬だった。ほとんど無臭に近い。壁面はごつごつしていてぬめった感触がある。10メートルほど進んだ。まだ何とか外光の明かりがギリギリ残っている。

そこで異変が起こった。

 

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R4.10.29(土)暮れなずむ頃

2022-10-29 12:48:09 | Weblog

数日前の夕暮れ時だった。西の窓には真っ黒い富士山そしてその横には丹沢山脈が連なった姿が。

そんな残像の残る翌日、朝起きて窓外に目を向けた。

思わず息を呑んだ。そこに壮大で他を寄せ付けない景観があった。

一夜にして富士山は装いを冬の色に変えていた。

この日が初冠雪と思っていた。すると既に9月末に発表されていたのだ。

とはいえ全体的に白い鎧を被ったのはこの日が初だろう。

 

そういえば今、外国人観光客が多く訪れている。

ちょうどよかった。

日本の象徴富士の山を見るには今が最適、とくと鑑賞し堪能していってもらいたいものだ。

 

その日の朝は冷え込んだ。仕事に着ていく服装のことを考えた。

もう冬物のコートを着てもおかしくない。そう考えた。久しぶりにヴィンテージもの、デロリンマンコートを引っ張り出し羽織っていこう。その姿は、行き交う人に感動を与えるかもしれない。

 

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R4.10.10(祝)遠い昔のフォルム(2)

2022-10-10 17:51:26 | Weblog

物心ついたころ僕は西院の父の実家にいた。そこには祖父母、叔父叔母そして実の妹がいた。が、父と母はいなかった。しばらくすると妹もいなくなった。「みっちゃんが外に遊びに行っている間にお母さんがやって来てな、千砂子を連れてってしもうた」叔父さんがそう言った。

何が起こったのかわからなかった。それからいつまでたっても妹は帰ってこなかった、そして父も母も。

 

西院小学校二年が修了し三年生になる直前のことだった。

「今度みっちゃんはな、東京の親戚の家に行くことになった。向こうに行ったら河野の伯母さんがいるし、みんな優しくしてくれる。元気で頑張るんやで」どこか諭されるように叔母さんから言われた。河野とは父の姉の嫁ぎ先だった。

生まれてこの方京都以外に住んだことがない。慣れ親しんだ家そして祖母と叔父叔母それから仲の良かった友達、みんなと別れなければならない。自分ではどうすることもできない。大人の都合に従うしかなかった。

何と表現すればいいだろう、一言で言い表せないあらゆる負の感情が渦巻いていたように思う。

京都駅から祖母と一緒に蒸気機関車に乗った。平坦でない人生の始まり…………。

 

転向先は東京中野にある搭の山小学校といった。

京都弁しか知らない僕にとって初めに発する言葉はものすごい抵抗があった。好奇の目で見られた。しばらくは大人しくしていた。

「かまへん」→「いいよ」、「あかん」→「ダメ」、「ばば」→「うんこ」などなど初めはからかわれたりもしたがやがて徐々に友達もできていった。

近所の仲間との遊びは、ポコペン、缶蹴り、馬乗り、ワッカ、三角ベースの野球、結構京都とは違う遊びが多かった。

その年の冬、神田川の橋の上。5~6人でヒマワリという一種おしくらまんじゅうのような遊びをしていた。ところがその遊びの最中、僕が押そうと思った相手がかわしてよけた。すると僕は勢い余って鉄の欄干に向かっていった。額がもろにぶつかった。目から火が出た。痛いのと大流血に自身が驚き、伯母さんの家まで飛んで帰った。

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