今日、会社で購読する日経MJという新聞をパラパラっとめくっていた。ふむふむ、ページを進めていく。遂に最後の紙面16面にやってきた。
ちょこちょこっと、斜め読みする。しかし、その次にはそこから目が離せなくなっていた。
「手紙」
「年老いた私が、ある日、今までの私と違っていたとしても、
どうかそのままの私のことを理解してほしい。
…………
私が服の上に食べ物をこぼしても、靴ひも結び忘れても、
あなたにいろんなことを教えたように見守ってほしい。
…………
あなたと話すとき、同じ話を何度も何度も繰り返しても、
その結末をどうかさえぎらずにうなずいてほしい。
…………」
……衝撃を受ける。
人の受け止め方はいろいろあるだろう。
僕は、この詩を読みながら、自分が子供の頃、子供ながらに思った親のこと、そして今、親になって子育ても終わり、年老いていく自分を思ったときに、子供たちにこうであって欲しいなと願う一節に思えた。
家族や親子の絆。
それはいつも普遍に繋がっているわけではない。今の世の中、こんな風にほのぼのと願える家族もあるのかどうか、考えるといささか心もとない。
発信不明のポルトガル語のメールを翻訳して樋口了一さんが歌にしたという曲の一節だ。
この文章だけで十分な気もする。
でも一応、試しにCDを買って歌を聴いてみようと思っている。