原題は「Never Rarely Sometimes Always=決してない めったにない 時々 いつも」。
17歳の高校生のオータム(シドニー・フラニガン)は、ある日妊娠していたことを知る。ところが、彼女の住むペンシルベニアでは、未成年者は両親の同意がなければ中絶手術を受けることができない。それを知った、いとこのスカイラー(タリア・ライダー)が金を工面し、2人は両親の同意がなくても中絶ができるニューヨークへ向かう。
この映画の甚だニューヨークらしくない風景を見ながら、アメリカを描きながら別の国のように映ったジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)のことを思い出した。
また、ヨーロッパ系の、例えばダルデンヌ兄弟の映画を思わせるようなドキュメンタリー風の描き方と淡々とした視点から、男には理解し難い思春期の女の子の心理を描くという手法も、アメリカ映画としては珍しいだろう。正直なところ、彼女たちにはほとんど感情移入はできないが、オータムを救うことに献身するスカイラーの存在が救いとして映る。
女性監督のエリザ・ヒットマンは、性的アイデンティティーに悩む青年を描いた『ブルックリンの片隅で』(17)で注目されたらしいし、セクシャリティーの問題を内包した『ムーンライト』(16)のバリー・ジェンキンス監督が製作総指揮に名を連ねていることを考えると、これは必然的に生まれてきた映画なのだろう。
ただし、宣伝文句に「少女たちの勇敢な行動」とあるが、親にうそをつき、黙って中絶をすることが本当にそう言えるのか、また、出てくる男が皆ろくでなしというあたりに、ステレオタイプや女性側の一方的な主張を感じる、などと言うと、これは男の言い分として問題視されるのだろうか。こういう映画を論ずるのは本当に難しいと感じる今日この頃だ。