『ラジオ・フライヤー』(92)(1992.10.9.みゆき座)
1969年、マイク(イライジャ・ウッド)と弟のボビー(ジョセフ・マゼロ)は、母メアリー(ロレイン・ブラッコ)の再婚相手のキング(アダム・ボールドウィン)と共に、カリフォルニアの田舎町で暮らすことになる。
だが、キングは粗暴な男で、ボビーは彼からひどい折檻を受ける。兄弟はラジオ・フライヤーという小さなワゴンを引いて心を紛らわせ、“お願い山”という岩山に願をかける。
細々と公開され、しかもわずか1週間で打ち切られてしまった不幸な映画。危うく見逃してしまうところだったが、自分はこの映画が好きだ。
リチャード・ドナーという人は、『オーメン』(76)『スーパーマン』(78)『グーニーズ』(85)といった派手なヒット作の監督と思われがちだが、実はその本領は、この映画のような渋い題材に、現実の厳しさを盛り込む骨太さにこそ発揮されるのかもしれない。
例えば、『サンフランシスコ物語』(82)ではベトナム戦争の傷や身障者の姿や悩みを描き、『3人のゴースト』(88)では視聴率に毒されたテレビ業界の醜さを描いていた。
『リーサルウェポン』シリーズにしても、最初はベトナム戦争の影を引きずり、派手なアクションよりも白人と黒人の刑事による友情物語としての魅力の方が大きかったのだ。
この映画も、表向きはノスタルジックでファンタスティックな子ども心の世界を描きながら、その奥に児童虐待やいじめの怖さを描くあたりが、ドナーのバランス感覚の良さを表している。
そしてそれは、『未知との遭遇』(77)や『E.T.』(82)を作っていた頃のスピルバーグとも通じるところがある。だから、本家のスピルバーグが、先の『フック』(91)の変化球勝負で失敗したのに比べると、ドナーの緩急の使い分けのうまさが目立つ。ただ、そこには、常に大ヒットを求められる超エースと、多少は余裕が持てる中エースという立場の違いもあるのだろうが…。
そうした思いを持ちながらこの映画を見ると、達者な2人の子役ブラス犬のけなげさ、かつての伝説の少年の登場のさせ方、特別出演とナレーションを担当したトム・ハンクスの存在感、老優ベン・ジョンソンの扱いなどで、こちらの涙腺を刺激しながら、『スーパーマン』以来の、自らの空や飛ぶことへの憧れも描いていることが分かる。音楽的にも、対位法を使ってあの軽快な「ジャンバラヤ」を不気味に響かせるなど、ドナーの職人技がひときわ目立つ佳作だと思うのだ。