『サンフランシスコ物語』(82)(1987.5.3.)
自殺に失敗して歩行困難になったローリー(ジョン・サベージ)が、身障者が集まるバーでの出会いを通して、生きることに目覚めていく姿を描く。
こうした身障者を扱った映画は、描き方にも見方にも難しいところがある。単に同情的に描くだけではバランスを欠くし、中途半端なものになってしまう。また、うわべだけの同情故に、お涙頂戴的なところで終わってしまうこともある。
その点、この映画は、身障者である主人公の恋人(ダイアナ・スカーウィッド)を通して、健常者が身障者と対した時の戸惑いを率直に描いてはいるのだが、少々甘く爽やか過ぎるのでは、と感じるのも否めない。
実際、あんなすてきなバーがあれば、身障者に限らずたむろしたくなるだろうし、心の支えにもなるだろう。だから、それはそれでとても美しい光景ではあるし、ベトナム戦争が与えた傷も描いているのだが、もう一押し足らない感じがする。
監督のリチャード・ドナーは、『オーメン』(76)や『スーパーマン』(78)、最近の『グーニーズ』(85)など、SFや冒険物の監督というイメージが強いせいか、この手のドラマには合わなかったのでは…という気もする。
もともと、この映画のようなハートウォーミング物は、派手な見せ場がなかったり、現実に近い分、うその世界をいかに本当らしく見せるか、あるいは人間ドラマに深みがあるかが勝負の分かれ目であり、簡単そうに見えて、実は作るのが難しいという言い方もできる。
だから、見る方の目も、ついつい厳しいものになり、実は好きな映画なのに、素直にそうとは言えないもどかしさを感じることになる。
そんなこの映画の中で、ひときわ輝いていたのがダイアナ・スカーウィッド。最近では珍しい庶民的な魅力があるのだが、それでいて時々ドキッとするような美しさも感じさせる。
と、リチャード・ドナーの力量に疑問を呈しながら、テレビで久しぶりに『スーパーマン』を再見したら、冒頭部のクラーク・ケント=スーパーマンの少年時代の描き方に、アメリカの原風景を見るような温かさを感じて、実は人間ドラマもきちんと描ける人だということを再確認させられてしまった。