今日は43回目の結婚記念日です。
写真を見て思い出すのも辛い結婚前後の日々でしたので、
結婚式の写真も何処にしまって在るのか思い出せません。
もっと辛くて大変な人生を歩んでいる人々も沢山いることは承知していますが、
あの頃の事を思い出すとどうしても涙が出て来てしまいます。
中2で父が急逝。
高3の時に兄が結婚。私は即小姑になり、
翌年母親は47才でお婆ちゃんになりました。
昨日迄の自分の居場所が突然、自分の居場所で無くなる不幸…
他人が家に入ると言うことは本当に大変なことです。
父でも生きていればもう少し自分の居場所が確保出来たと思いますが、
私は早く家を出て行って欲しい 小姑鬼千匹 になってしまいました。
後妻を父親が家に連れて来て、今迄自分の家だったのに、その日から居候になったみたいだったと言う話、
全く同感。連れ子でもいたら、邪魔者以外の何者でもありません…
とにかく嫂と兄三人連続年子と同居の実家から早く出たかったです。
正直、男ならば誰でも良かったです…
母は一人娘の私には自分のような苦労はさせたくないと思っていましたので、
私の結婚相手には色々な理想を持っていたようです。
お陰様で色々な方々からお話を頂きましたが、あれこれと難癖を付けて反対していました。
立派な職業の方には、兄達が親戚付き合いが出来ないだろうとか、
自分は車の運転が出来ないからバスの乗り換え無しで行ける所に行って欲しいとか、
相手のお母さんが病弱だから、家事が大変になるとか……
そんな母がお見合いで一目惚れしたのが、夫です。
何かピンと来たみたいです!!
この男ならば大事な一人娘を託せると、彼の光頭に眼が眩んだ!?
2月28日にお見合いして、たった二回しか逢わないで5月2日に結婚式。
あれから43年。
母の眼に狂いは無かったようで、私の伴侶は彼を知る周囲の方々から
『まるで宝くじに当たったような旦那様』と評価されています!!
43年間の結婚生活中、合計3年半も入院生活を送っているにも拘わらず、捨てられもしないで
大切にして貰っていますので本当に有り難いと思っています!!
43と言う数字は、私の母親が未亡人になった年です。
母は21年程の結婚生活でしたので、私は二倍の長さの結婚生活を送っていることになります。
私はこの春67才になりました。
母は67才の夏、急逝しました。
父亡き後、何に付けても「お父さんさえ生きていてくれれば」と言うのが母の口癖でした。
宝くじに当たったような旦那様は、若くして亡くなった亡き両親からの贈り物だと思っています!
亡き両親様、御先祖様、何も無い何処の馬の骨だか解らない男ですが、
家も建てたし、留袖も、スカートも靴もミシンも二人で働いて買ったから大丈夫、安心して下さいね…