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国際オリンピック委員会(IOC)は7日(日本時間8日早朝)にブエノスアイレスで開いた総会で、2020年の第32回夏季五輪・パラリンピック大会の開催都市に東京を選んだ。
最終プレゼンテーションでは、走り幅跳びでパラリンピック3度出場の佐藤真海(31=サントリー)をトップバッターに起用する秘策で「スポーツの力」を訴え、招致成功をたぐり寄せた。
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(日刊スポーツ特報版2013.9.9より)
IOC総会でプレゼンする佐藤真海選手(2013年9月8日)

彼女の言葉からいろんなヒントを学んでみようと思います。
★★★定期更新は★★★
原則週2回(水・日)+増刊で予定です。
初秋にむかって更新します
★★★☆☆☆☆★★☆☆
◆プレゼン冒頭のスピーチ
冒頭紹介の日刊スポーツにスピーチ全文(日本語訳)が掲載されていたので
印象的な部分を抜粋してみました。
(英文は動画サイトの表示から)
◆最初に語った、いちばん大切なテーマ
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私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。
スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。
I am here because I was saved by sport.
It taught me the values that matter in life.
それは2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。
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◆彼女自信の話
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19歳の時に私の人生は一変しました。
私は陸上選手で、水泳もしていました。またチアリーダーでもありました。
そして、初めて足首に痛みを感じてからたった数週間のうちに、
骨肉腫により脚を失ってしまいました。
もちろん、それは残酷なことで、絶望のふちに沈みました。
でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。
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そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、
私が失ったものではないと学びました。
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◆東日本大震災の出来事
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2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。
6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるのかどうかわかりませんでした。
そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。
私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食料も持っていきました。
ほかのアスリートたちも同じことをしました。
私たちは一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。
そのときに初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。
(Only then did I see the true power of sport.)
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◆スポーツが教える価値
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200人を超えるアスリートたちが、
日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら
五万人以上の子供たちをインスパイアしています。
私たちが目にしたものは、
かって日本ではみられなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。
そして、日本が目の当たりにしたのは、
これらの貴重な価値、卓越(Excellence)、友情、尊敬が言葉以上の大きな力を持つということです。
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約4分の英語のスピーチです。
就活の自己PRよりもはるかに難しいオリンピック招致のプレゼンテーション。
彼女は慣れない英語とも戦って見事に大役を果たしました。
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彼女のスピーチからいろんなヒントを学ぼう。
(できればスピーチ全文を動画で視聴してみるといいね!)
ではまたね。
★★★定期更新は★★★
原則週2回(水・日)+増刊で予定です。
9月も積極的にいこう。
★★★☆☆☆☆★★☆☆
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佐藤真海選手はじめ、今回の日本のプレゼンテーションはすべて英語で行なわれ、また内容や構成も今までの日本流では珍しく「欧米流のスマート」さが際立って印象的なものとなりました。
自分の体験を語り続ける人のなかには、自分の話に感情が高ぶってしまうことも多いのですけど
何のために語るのか、誰に対して何を伝えようとして語るのかという目的を忘れてしまうと、聞き手の心はだんだん離れてしまうものです。
自分の体験から何を学んで、何を一番伝えようとしているか、というクールな視点がポイントなのだね。
→→就活では、そんなクールなスマートさを心がけてみよう。