最近・暇に任せてインターネットで検索して、子供の頃耳にした軍歌などを「ユ~チュウブで聴く」として「麦と兵隊」や「異国の丘」などを聴いている。背景の映像も懐かしい。すぐ目が行くのが作詞者や作曲家だ。驚いたことに彼らは戦後の流行歌も手掛けている。彼らに思想性や哲学を期待するつもりはないが、あまりにも変わり身の早さには驚かされる。
彼らは世の中の空気を敏感に感知し何が流行するかを察知する能力が優れているのだろう。大衆は彼らの予測と云う手の内でウロウロしているにすぎないと、云えなくもない。もう少し掘り下げて考えれば日本人はすぐに派閥をつくりその派閥の中で考え行動するということだろう。個人が確立していないのだ。だから「鬼畜米英」という掛け声を誰かが云うと全員が同じことを言ってしまう。
この傾向は戦前も戦後も変わっていないのではないだろうか。皆が何と言っても自分はそうは思わない、と云う個人が確立していないのだ。これは、長い間の稲作農耕の歴史の中で培われてきたものと思われる。
狩猟採集民族は他人と同じことを後からしていては、収穫がなく飢えて死んでしまう。あくまで、自分で考え判断しながら獲物を狙わなければ飢えてしまう。こうした状況から日本人的思考がそだったのだろう。(T)
毎日目にするクリスマスツリー