日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

削られても

2017年06月29日 | 生活・ニュース

 鉄路の枕木、その端に幾株かの花が咲いている。枕木の近くに花を植栽するとは思えない。どこからか飛んできた種子が枕木のそばで芽吹き育ったのだろう。しかし大きく育ちすぎ、見たわけではないが伸びた茎や葉はそのほとんどがジーゼル車の底部によって削り取られている。おそらく花の姿は見られなかったと思える。しかし、植えらえたように数株並んでいるのは不思議だ。

 大都会のビルの谷間を走る列車ではお目にかかれない光景、ローカル線ならではの花の風景。削られた花から少し離れた場所には、近くの人が手入れされた花壇が鉄路に沿って続いている。この日も、高齢の男性が花の根回りを手入れされていた。声をかけると「喜んでもらえればうれしい」、汗をぬぐぬぐいながらの笑顔だった。

 もしかして、削られた花もこの花壇から分かれたのかもしれないとふと思った。花壇で美しく咲くか、あるいはジーゼル車に頭なでなでされても生き続けるか、二通りの生き方もある。「人生行路難し」というが、一生は容易ならないものである事を目の前に見る。なんだか背筋を伸ばせと教えられる。

 近々、喜寿の級友会を開く話をしたら「刎頸の友か」と聞き覚えのある言葉が返ってきた。咄嗟に級友会とその言葉の繋がりが分からず後刻確認としたら、一緒に首を刎ねられても悔いはない付き合い。それほどではないが、肝胆相照らす飲み会であることは間違いない。遠路の参加者から宿泊ホテルの連絡が届いた。
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