町の医院の待合室。マイナンバー保険証で受付を済ませ空いている席に。前列は私の同年配くらいの女性、知りあいらしく、ときおり静かに笑いながら話すそぶりは親しそうに見える。前方にあるTVは豪雪の様子を中継映像で映し出し、状況を紹介している。豪雪に苦労しているブロガーさんの記事を思い出しながら眺めていた。
前の二人のうちの一人が「私もそういね」と大きな声を出した。以後の会話を聞くともなしに聞いていた。「近ごろは、昔の事ばかり思い出しよるんよ、お迎えが近くまで来てとるんじゃあなかろうかと思うて気になってしょうがない」そんな事らしい。事らしいといえば終わりだが、当人は気に病んでおられるように思えた。
「お迎え」、迎えの尊敬語以外にもある。その一つに臨終のときの来迎(らいごう)がある。これは「臨終の際に仏・菩薩が迎えに来ること」とある。会話でのお迎えはこちらに当たる。しかし、お互いが笑いあいながらの会話からは臨終の姿は全く伺えない。思い出すことも脳の活性に連なる、悪いことではないだろう。
今日の思い出、その頃と日付は変わったが60数年前の成人式。3交替勤務だった私は夜勤明けで参加した。今、映像で見るような豪華なものではなく式典だけだった。祝いは町内の青年団が入団式を兼ねて大人の仲間入りを祝って迎えてもらった。成人式の日、会社からは交替者には特別休暇が付与された。
(今日の575) 成人の実感知った投票日
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