
先日、公園の菖蒲池でアメンボを見た。どのくらいの間見ていなかったろうか。菖蒲の葉陰などではっきりしないがかなりの数が水面にいた。菖蒲鑑賞の人らも珍しそうに眺めたり撮ったりしていた。ふと子どものころの小川のことを思い出した。
子どものころ住んでいた地域は藩政の時代は下級武士の住んでいたとされるが、そんな大昔のことは知らない。記憶にあるのは第2次世界大戦の終わった昭和20年代の初めから。空襲を心配することなく山や畑を駆けまわり、空き地があればそこにたむろし集団で遊んだ。庭に果実が生れば家の人に断って食べたりした。
そのころは山裾の道路両側に家が並んでいた。どこも3世代同居で町は賑やかだった。家並みの裏側は大方が水田。今の時期は田植えの終わったころで一面が緑一色だった。そんな稲田の真ん中を水量豊富な小川が流れていた。ここも子どもの遊び場。メダカ、フナ、ごり、ナマズなど追っかけた。蛙も飛び跳ねていた。水すましもいた、アメンボもいた。波紋も経てずにスーィスーィと水面を滑るように進んでいた。
そんな小川や稲田は一変して商業地域に変わった。それは昭和40年代の中ごろ、近くの山が崩され稲田や小川を埋め、国道のバイバスとなる道路が作られたから。今は幹線道路として重要な役目を担っている。自然を守るか道路を作るか、そんな議論はなかったように思う。何かの折にこうして思い出す子どものころの風景、やっぱり懐かしい。
(今日の575) 崩したらもう戻せない山と川
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